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 全盛期のニムラは贅沢で楽しい事が大好きで、毎日のように舞踏会やサロンを開催していた。ところが倹約を好むフェルナンが王となってからというもの、使える資金を大幅に制限されてしまい、鬱憤を募らせていたそうだ。

 贅沢を控えるのは結構だ。だが王侯貴族の交流は必要であり、フェルナンも一切合切廃止する訳にはいかなかった。伝統的な祝賀は毎年あるし、娯楽の全てが悪ではないのも分かっていた。

 そうは言ってもフェルナン自身が取り計らうのは面倒。王妃がいれば一任するところなのだが、彼はもう二度と妃を迎える気は無い。今現在、貴族達を傅かせる力を有し、尚且つ社交向きの人間を絞っていくと……エイレーネに白羽の矢が立つのは、自然な流れであった。


「まあ…ではわたしが、王宮行事を取り仕切るのですか?」

「今すぐにではなくいずれ、だそうですが…まずは主賓として顔を出す事から始めるようにとの指示です」


 フェルナンから書簡が届く間隔が短くなったきたかと思えば、そんな事が書いてあった。確かにいずれライファンが戴冠した暁には、エイレーネが王太后となるのだから、今のうちに慣れておいた方が良かろう。

 種々の式典や夜会から遠ざかっていたのは、リファトが除け者にされていた為だが、情勢の変化と共にその理由も変わってきた。近頃はエイレーネ達を狙う勢力を警戒していた事が主な理由である。そもそも、人が集まる場から離れるよう仕向けたのはフェルナンであり、彼が今こそ社交界に戻る頃合いだと判断したのなら従うのみである。


「ではまたダンスの練習ですね。殿下」

「懐かしいですね。レーネが教えてくれた事は一つも忘れてませんよ。全部、私の宝物です。しかしダンスとなると衣装も新調しなくては」

「ふふっ、ハリエットが張り切ってくれそうです」


 ニムラの喪があけるまで催事は行われない。だから二人が社交界に復帰するのは、まだ先の事だ。




 ライファンが一歳を迎える前に、エイレーネは第二子を身籠った。外では秋の収穫が最高潮を迎える時期である。今回は悪阻ではなく、月経が止まった事で懐妊が分かった。

 エイレーネが懐妊したと聞き、ライファンの出産に立ち会えなかった使用人達はやる気に燃えている。産後のお世話すらできなかった事が、相当悔しかったらしい。あまりの熱気に、事情を知らなかったイシュビは気圧されていた。


「お会いできるのは夏頃かな」

「そうね。楽しみだわ」

「大変なこともあるけど、家族が増えるってやっぱりいいね」

「ええ。幸せも増えるもの」


 間もなく始まるであろう悪阻に備え、侍女達は手際よく準備を整えている。二人がうきうきとした声色で話すのを聞き、近くの長椅に座っていたエイレーネも笑いを零した。


「たのし?」


 二人の話し声に小首を傾げたのは、母と一緒に座っているライファンである。エイレーネは一冊の本を手に取り、息子に挿絵を見せた。それは今ライファンが気に入っている絵本で、美しい鳥の家族が登場するのだ。


「ライファン。この鳥は父上です。こちらが母上」

「ちいうえ。はあうえ」

「ええ。そうです」


 エイレーネは挿絵の親鳥を指差しながら、ゆったりとした口調で家族について説明する。ライファンが同じ単語をなぞると、微笑んで頷いた。


「それでこの子が兄上です」

「あに」

「あなたはこれからこの鳥と同じ、兄上になるのですよ」


 ライファンは親鳥に守られている雛の中で、一番大きな子をじいっと見つめる。まだライファンには難しかったかもしれない。でもそれ以来、この絵本が前にも増して気に入ったようだった。


 喜ばしい出来事はもう一つあった。

 王宮から届いた懐妊祝いの手紙に、とある書類が同封されていた。それはなんと、古城の跡地を巨大庭園に造り変える計画書だった。フェルナンからのお祝いなのだろう。リファトは逸る気持ちを抑えきれず、手紙を読み終えるとすぐ、一足飛びにエイレーネへ伝えた。少し気持ち悪いくらい早口になってしまったが、計画を聞いた彼女はというと、もう大変な喜び様だった。

 朽ちかけていた古城の取り壊しは諦めもついたが、リファトがくれた庭だけはどうしても諦め切れずにいた。文字通り泣く泣く別れを告げてきたのだ。そこへ、跡全てを自由に造園して良いなんて許可が下ったら、狂喜乱舞せずにはいられない。

 感謝の手紙をフェルナンに送った後、エイレーネは早速リファトと共に新しい庭園の構想を話し合った。と言っても園芸に関してエイレーネの右に出る者はいないので、リファトはほとんど聞いてるだけだ。それだけでも彼は充分楽しかった。生き生きとしたエイレーネを眺めているだけで、彼は満ち足りるのだ。浮かれるまま筆を走らせ、第二王子のマティアスに何通も手紙を送ってしまい、後から後悔したりもした。時には建築家も呼び、専門的な意見も取り入れた。二人とも譲らなかったのは、あの小さな四阿は必ず残すという意思である。


「すごく、すごく嬉しいです。リファト殿下と一緒に、庭園を造り上げる事ができて、本当に幸せです」


 夢のようだと語るエイレーネは頬を上気させながら、満面の笑顔を浮かべる。


「これでポプリオさん達にも戻ってきてもらえますね。嬉しいことがいっぱいで、どうしましょう!」


 母となり、より女らしくなったエイレーネだが、庭園の計画を練るひとときだけは、あどけない少女時代に戻ったかのようだった。リファトは幸福感に浸りつつ、この上なく可愛い妻を静かに愛でていた。




 はてさて、弟か妹ができると聞かされても、大きな庭園ができると言われても、ライファンはあまりぴんときていない様子だった。何やら両親が楽しそうなので、つられて笑う程度である。それよりも歩けるようになって、城の中を探検する事でライファンは大忙しだったのだ。しかし冬を越し、エイレーネのお腹が目立ってくるにつれ、なんとなく理解し始めたらしかった。

 その辺りからだろうか。ライファンが食事の時にぐずり出すようになった。これまでにも多少の好き嫌いは見受けられた。だが好き嫌いと言っても精々、口に含んでからあんまり美味しくなさそうな顔をするくらいで、いやいやと首を横に振って強い拒否反応を示す事はなかった。いつも良い子だと褒められるライファンが、ここまで大人を困らせるのは初めてだ。

 体調が悪い訳でもなさそうなのに、突然どうしたというのか。ライファンは大人しい性格で、同年代の子供と比較してお喋りも少ない方である。何か言ってくれればエイレーネ達も察せられるかもしれないが、ライファンはぐすぐす鼻を鳴らしながら口を固く結んでいるのでお手上げだ。


「私達がライファン様をみてますから、お二人は先に召し上がってください」


 自分の食事が進んでいかない状況を見かねて、アリアがそう促す。リファトとエイレーネはお言葉に甘えて、とりあえず己の分を片す事に専念した。

 そして食べ終えたリファトとエイレーネは、改めてライファンに食事をさせようと奮闘する。二人とも叱りつけたりせず、優しく声をかけていたのだが、とうとうライファンはしくしく泣き出してしまった。慌ててリファトが抱き上げて、自分の膝の上に座らせる。エイレーネはリファトのすぐ隣に移動し、息子の涙を拭ってやった。

 徐々にライファンが落ち着いてきたのを見計らい、エイレーネは試しにもう一度、匙を近付けてみた。するとどうだろうか、今度はぐずらずにぱくりと食べてくれたのだ。つい二人して褒める声が大きくなってしまう。


「温め直してもらったのが良かったのでしょうか?」

「うーん…今日は特別ご機嫌斜めだっただけかもしれません」


 結局その日は原因が判らずじまいであった。

 ところが翌日も同じ事が起こり、またしてもあの手この手で宥めすかさなければならなかった。三食ともそんな風だった。全員が食事を終えるのに二時間近くかかった。同じ状況が長く続くと流石に参ってしまいそうだ。

 しかし、食事風景を見ていたアリアがある事を指摘したのを契機に、ライファンのいやいやはぴたりと止まったのである。


「…もしかして、ライファン様はお二人のすぐ傍にいたかったのでは?」


 アリアが言った通り、ライファンは子供用の椅子に座った瞬間から眉が八の字になっているように見えた。リファトが抱き上げエイレーネが側に寄れば、落ち着いた事も加味するとアリアの観察は的を得ていると言えた。

 次いで「あっ!」と手を打ったのはジェーンである。


「ライファン様、きっと寂しかったんですよ!身籠られてからエイレーネ様に抱っこしてもらえなくて!」


 それを聞き、こめかみを押さえたのはリファトだ。何せ彼には身に覚えがありすぎた。

 まず一点目、エイレーネにライファンの抱っこを禁止した事。懐妊が判明するとリファトの過保護が加速するのは今に始まった事ではないが、彼女は重たいものを一切持たせてもらえなくなる。それは最愛の息子でも適用された。エイレーネが困ったように微笑んでも効果が無いくらいである。

 二点目は、ライファンに対して毎日のように「母上に決して飛び付いてはいけない」と教え込んでいた事だ。言葉の理解が途上のライファンは、母に近付いてはいけないと解釈してしまったのだろう。道理で最近、エイレーネから少し離れた場所で遊んでいたし、呼んでもそっぽを向かれた訳だ。幼いなりに母を想い、父に従おうとし、我慢していたのか。


「…すまない、ライファン」


 リファトは一歳の息子に平謝りするしかなかった。何故、父が頭を下げているのか分からないライファンは、父の髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜるのであった。


 それからというもの。エイレーネはライファンが寂しい思いをしないよう、なるべく側にいた。食事で苦労したにも相変わらず、抱き上げるのは禁じられたままだったが、触れ合う方法はいくらでもある。ライファンはまだ、母のお腹に触ってはならないと思い込んでいる節があった。そこでエイレーネは、優しくライファンの手を運び、自身のお腹に触らせた。初めて胎動を手の平で感じた時など「おお」という形の口のまま、くりくりと目を見開いていた。


「たくさん話しかけてあげてください。お腹の赤ちゃんも、兄上のお話が聞きたいと思いますよ」


 エイレーネがお願いすると、ライファンは心得たとばかりに一生懸命お腹に向かって喋りかけるようになった。たどたどしく今日あった出来事を教える様子は、もうすっかり兄上だった。


 喋り疲れて眠ってしまった息子を挟んで、リファトとエイレーネは小声で話し合う。


「レーネは下の子達が生まれた時、寂しくなかったのですか?」


 質問を受け、彼女は昔を振り返るように首を傾けた。それから、恥ずかしそうにはにかむのだった。


「そう思っていたかもしれませんが、あまり覚えていないですね」


 一歳か二歳の時分の記憶など、残っているものの方が少ないだろう。リファトとてほとんど何も覚えていない。


「でもお母様が『上に生まれた者は、下に生まれた者を守らねばなりません』と、何度も仰っていたのはよく覚えています」


 折に触れてエレーヌは娘に言い聞かせていた。それがエイレーネにとって、一番古い記憶でもあった。当時を懐古しながら、エイレーネは眠る息子を優しく撫でた。


「その言葉の続きは決まっていました。『レーネ、貴女のことはお父様とわたくしが必ず守る故、何も不安に思わなくて良いのです』と」

「是非この子にも話しましょう」


 僅かに身を乗り出したリファトは、力強い口調で言う。


「私も、必ず守ると伝えたい」


 家族から愛されることの無かったリファト。いつしか、それを望むことすら止めてしまった。そんな物思いを、我が子達には決してさせたくない。愛情は当然注がれるべきものだと欠片も疑わず育ってほしいのだ。


「はい。そうしましょう、殿下」


 ライファンが目を覚ましたら、教えてあげよう。父と母はどれだけあなたを大切に想い、愛しているかを。




 母親譲りの色彩を持つライファンは、園芸好きまで遺伝したかもしれない。中庭で薬草の世話をするエイレーネから離れないだけでなく、彼女が医学書を読んでいると意味も分からないのに一緒になって見たがるのだ。輪に入れないリファトは寂しげにしていたが、それはさておき。

 ライファンは薬草だけでなく、花々もよく眺めている。その真剣な眼差しを観察していたエイレーネは、息子に己の宝物を見せてあげたいと思い始めたのだった。


「リファト殿下。春になったら、あちらの庭園にライファンを連れて行きたいです」


 出産予定日は夏なので、春ならばとうに安定期に入っている。短い距離を出歩くくらいは、むしろ運動になって良い。だがリファトの心配は尽きる事を知らないのだ。よって彼は、エイレーネの頼み事であっても即決できなくて、見るからに逡巡していた。

 結局、その場で返事はできず、翌日ギヨームに相談したリファトは、却って常時の倍の小言を言われる羽目になり、許可を出す以外の選択肢は与えられなかったのである。


 そんなこんなで春になるまで城で過ごしていたエイレーネ達は、麗かな晴天の日に古城の跡地へと向かった。ついこの間まで居住していた城は既に壊され、更地に戻された頃である。リファトとエイレーネが二人で練った計画書は受理されているので、これから造園が進められていくだろう。更地になったといっても、最初にリファトが用意した庭はそのまま残されている。そしてそこはポプリオが責任を持って管理していた。だから今年もラナンキュラスが花を咲かせているはずだ。

 古城の跡地を見たエイレーネ達は、一抹の寂しさを覚える。それと同時に、土地の広さに驚いた。放置されていた瓦礫のせいで分からなくなっていたが、元々は立派な城だったのだ。この場所に庭園が完成したら、さぞかし見応えがある場所となるに違いない。


「きっとベルデ国に勝るとも劣らない、素敵な庭園になりますね」


 エイレーネはそう言って目を輝かせるが、リファトは向こうで見た素晴らしく完成された庭園に勝る庭はあるのだろうかと一瞬考えた。しかし、ベルデ王が教えてくれた「あの子にとっては何にも代えられぬ大切な場所」という言葉を思い出すと、自然に肯定の頷きを返していたのだった。


「さあ、ライファン。とっておきの場所を見せてあげますから」

「とっとき?」

「そうですよ。わたしの一番お気に入りのお庭です」


 左手は父、右手は母に繋がれて、ライファンは庭園を進んで行く。

 しっとりとした土を踏み締めていると不意に、枯れ枝ばかりの小さな庭を二人で歩いた日の記憶が呼び起こされて、胸に応えた。


「きれい!」

「ええ。とっても綺麗ですね」


 普段、あまり大きな声を出さないライファンが、幼子らしくはしゃいだ様子を見せる。やはり園芸好きの血筋だろうか。エイレーネも楽しくなってきて、童心にかえった心地になる。これはなに?あれはなに?と息子から質問責めにされても、嬉しそうに答えていく。

 すっかり夢中になっている二人を、リファトもまた微笑みながら見守っていた。幸せを絵に描くとしたら、正にこういう光景なのだろう。


「レーネ」

「はい?」


 リファトは庭師からこっそり貰っていた一輪のラナンキュラスを、彼女の髪に挿す。そして、とびきり甘い声と笑顔でこう告げるのだった。


「とても綺麗ですよ、レーネ」


 エイレーネはゆっくりと破顔する。


「ありがとうございます。折角ですから、リファト殿下もいかがですか」

「わ、私に花は似合いませんよ」

「任せてください。殿下に似合うお花を探してきます。ライファンもどうです?」

「いく!」


 ライファンは男の子だが髪色がエイレーネに似ているので、花がよく似合った。しかしリファトの頭に花を飾ってもつまらないと彼自身は思うのだが、エイレーネは綺麗だと喜んだ。


「これで皆んなお揃いですね」

「おそろい!きれい!」


 太陽みたいに眩しい二つの笑顔が目に沁みて、リファトの視界は僅かに滲む。それを何度か瞬きをする事でやり過ごすのだった。

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