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国境まではベルデ国の騎士と使用人がエイレーネに付き従っていたが、彼女の身柄をカルム王国に引き渡す時がとうとう来た。特に接する機会の多かったエイレーネの侍女は、優しい姫君との別れに涙し、共に行けぬ事を悔やんだ。
「ここまでご苦労様でした。あなた達の働きに感謝します」
異国の衣装を身に纏うエイレーネは、それでもベルデの皆に愛された姫君であり、泣き崩れる侍女に微笑みかけて安心させようと努めていた。後ろ髪を引かれる思いで彼女は独り、祖国を離れたのだった。
国境を越えても、数日はまた馬車での移動である。エイレーネは緊張しながら覚えたての外国語で、出迎えの者達に挨拶をした。ところが、発音が下手だったのか相手の反応は思わしくない。どこか投げやりな態度で、早く乗車するよう促される。最初から失敗してしまったと、ひどく落ち込むエイレーネであったが、これはまだほんの序章に過ぎなかった。
失態を重ねる訳にはいかないと、彼女はこっそり忍ばせていた教本を移動中にも、宿の寝床の中でも読んだ。けれども、御者や護衛に挨拶するたび不躾に見られて終わる。仕える者に声をかけてはならぬ、とは教わっていないので、咎められる行動ではない。だとすればやはり、エイレーネの発音に問題があるのか。日常会話程度なら覚えたはずだったのに、ほんの僅かな自信さえも粉々に砕かれてしまった。
挨拶すらまともに返してもらえないのに結婚式は目前に迫っていて、エイレーネはその段取りも覚えなければならなかった。指南役が説明してくれるのは良いが、限られた時間に急かされているのかすごく早口で、聞き取りに骨が折れた。いや、正直なところ半分も聞き取れた気がしない。一応、ベルデ国にいた時に一通りの流れは頭に入れてきたのだが、もし変更点があった場合、知りませんでしたでは済まされない。しかし、辿々しく質問するエイレーネが鬱陶しかったのか、指南役の返答が段々とおざなりになっていくのに合わせて、彼女の口数も減っていった。
こうして益々不安を募らせるエイレーネだったが、外に目を向ける余裕が無かったのは、かえって良かったのかもしれない。
余程のことでもない限り、王族の輿入れは大々的なお祭り騒ぎとなる。といっても、エイレーネの嫁ぎ先は王太子ではないため、国を挙げてというのはいささか大袈裟であろう。しかしながら彼女とて他国の王女なのだ。いかに小国と言えど、蔑ろにして良い相手ではない。たとえ表向きだけでも歓迎の意を表すのが最低限の誠意というもの。大国と謳われるカルム王国ならば、やって当然のもてなしだろうに、エイレーネは国民の誰一人からも祝われることはなかった。当たり前だ、カルム側は隣国から王女がやって来る事を周知していなかったのだから。
思えばここまで乗せられてきた馬車も、小さく質素な代物だった。花嫁が乗る場所ならば、一目でそれと分かるように飾り立てるものというのが常識としてあったエイレーネは、初日に吃驚した。彼女の侍女が別れ際にさめざめと泣いていた理由は、ここにもあったのである。大切な姫君が粗末な馬車に乗せられた様子を、王宮に戻った侍女が何と報告したのか、エイレーネには知る由もない。
思っていたのと随分違う待遇の数々に戸惑いを隠せなかったエイレーネであるが次第に、彼方にとってこれは三度目の結婚となるのだから国費を節約する方針なのだろうと、己を納得させた。ベルデ王室は割と慎ましやかな生活を好む傾向にあったので、エイレーネも豪華絢爛である事にさして興味は無いのだ。民が納めた血税を無駄に浪費するくらいなら、簡素な式で良いと考えていた。だがしかし、カルム側の対応は彼女の遠慮を容易く踏み躙るものであった。
増し加わる不安を抱えたまま望んだ結婚式当日。エイレーネは列席者の少なさに目を疑った。仮にも友好国の姫を迎え、あまつさえ息子の晴れの日だろうに、国王陛下が祝辞を述べに来ないのだ。代理の者を立てるでもなく、書簡の一通すらないとは一体全体どういう了見か。列席していたのは記録係と思しき数名の臣下のみなんて、あまりに異例だ。簡素で構わないとは考えたが、まさかこれほど適当に済まされるなんて思ってもみなかった。エイレーネが昨夜まで、衆目を集める場で粗相したらどうしようと、頭を悩ませていたのは無駄骨だったのである。とんだお笑い草だ。
エイレーネは己がベルデ国の出身である事に不満はおろか、恥などとは微塵も思わない。素晴らしい国に生まれ育った事を誇っているくらいである。だからこそ、こんな風に価値の無い人間のように扱われたのが、とても哀しかった。愛する祖国が足蹴にされたも同義だったからだ。小国だと侮られているのは承知していたから、エイレーネは祖国の名誉のために精一杯努力したつもりだった。あれでは足りなかったのだろうか。後悔してももう遅い。結果はこの結婚式を見れば明らかである。
泣いてしまえれば楽だった。けれど、ベルデ国の命運を背負って此処に居る以上、エイレーネは一挙一動に気が抜けなかった。今、成すべき事は結婚式を恙無く終える、それだけだ。歓迎されてなかろうが関係ない。
「私、リファト・グレン・カルムは、エイレーネ・メイ・ベルデを妻とし、永遠に変わることのない愛を神に誓います」
これから夫となる人が、静かでゆったりとした声を出した。おかげでエイレーネは一字一句きちんと聞き取る事ができた。彼女は足元に映るステンドグラスの模様をぼんやりと眺めながら、この方は既に三度同じ誓いをしたのか、永遠なのに三回もあるなんて不思議な事だ、とどこか見当違いな物思いをしていたのだった。
「…わたし、エイレーネ・メイ・ベルデは、リファト・グレン・カルムを夫とし…永遠に変わることのない愛を神に誓います」
宣誓に関しての指示は"司祭の言葉の後に手を取り合い、リファト殿下の台詞に倣え"であった。エイレーネはそれを忠実に果たす。
噂で聞いていた通り、リファトは痩せ細った体躯の青年だった。互いに白い手袋をしていても、彼の手の骨が浮き出ているのが分かる。ただ、やわく握った手袋越しでは、重症だと言う皮膚病の状態が如何程か判断しかねた。
エイレーネは式が終わった後も、青年の顔を見ることができなかった。事前に送り合うはずの肖像画が、彼から送られて来なかった事から察せられるものがあって、漠然とながら目を合わせるのが怖かったのである。
結婚式の後、これまた地味な馬車で夫婦の住まいとなる小さな城へと案内された。年季の入った古い城……と言えば聞こえはいいが、実際は敷地内の半分が朽ちており、残りの半分で暮らさなければならない状態だった。一歩足を踏み入れた邸内が、ともすれば生活必需品にも欠くくらい殺風景だった事に、エイレーネはついに絶句した。申し訳程度に置かれた調度品の質も良いとは言えず、ぞんざいな扱いを受けてるのが明らかだった。ぽつんと捨て置かれた椅子はまるで、棒立ちになる彼女を暗示しているかのよう。最早、打ちひしがれるより他に、エイレーネには何ができたのか。
「疲れたでしょう。今日はもう休みませんか?」
「…はい」
呆然と立ち尽くすエイレーネは単に疲れているだけと映ったのか、リファトが気遣わしげに声を掛けてきた。確かに酷く疲れて、彼女には小さく頷くだけの気力しか残っていなかった。
これから、いわゆる初夜を迎えるのだとエイレーネが気付いたのは、夜着に着替えて二階へ上がる途中であった。夫婦となった男女が寝所でどのような行為をするのか、知らない訳ではない。だが知っているからと言って、どくん、と心臓が不穏な音を立てるのを止める助けにはならないのだ。よく知りもしない男とまぐわう事が、初心な少女にもたらす緊張は計り知れなかった。
いくら王族の義務だと言い聞かせたところで、怖いものは怖い。エイレーネは何もかもが怖かったのだ。顔を上げる事さえ怖れたのは、この後起こるであろう事柄から、形だけでも目を逸らしたかったのかもしれない。
小刻みに震える手で寝室の扉を押せば、そこは既に照明が落とされ、枕元に置かれた小さな燭台だけが灯っている。仄暗い室内に細い影が見えた。やや不気味な光景に、エイレーネは恐る恐るといった感じで視線を移す。目を凝らしても、薄ぼんやり浮かぶ輪郭の主がどういう面持ちでいるのかは見えなかった。
リファトは寝台ではなく長椅子に腰掛けていたが、扉が軋む音を聞くとおもむろに立ち上がった。しかし彼はその場から一向に動こうとしない。エイレーネはどうして良いか分からず、扉を閉めたところで途方に暮れる。
「…そこのバルコニーから隣の部屋へ行くことができます。貴女が良いと思えるまで、私は貴女に触れることはしません。同衾も拒んでもらって構いません。その場合、私は隣の部屋に行きますから」
静寂な空間に、ぽつりと落とされた静かな声はやはり聞き取り易かった。だが、彼の言葉の意味は飲み込めても、エイレーネは理解に苦しんだ。よりにもよって世継ぎを切望するカルム王家の人間から、同衾を拒んで良いなどという台詞を聞くことになるとは、今日一番の驚きである。
この結婚が例を見ないほどに急がれた理由は後継者問題にある、とエイレーネは考察してたからだ。カルム側からは最後まで説明されなかったものの、大凡の察しはつく。カルム王室には四人も王子がおり、全員が妻帯者であるのに未だ後継となる男児が誕生していない。一応、幾人か産まれはしたのだが皆、夭折してしまった。カルム王国としてはもう"呪われた王子"でも良いから、血筋を絶やしてはならぬという決定が下ったに違いない。そして肝心のリファト王子は、虚弱ゆえに先が短いと予見され、一分一秒も無駄にできないとの判断だったのだろう。
そういう事情から、世継ぎを産む事が急務とされているはずだ。なのに、リファトからこうも穏やかに断られるなんて、拍子抜けどころの話ではない。エイレーネは反射的に面を上げていた。真意を探るかのようにエメラルドグリーンの瞳がリファトを見つめたが、残念ながら夜の帳が彼の顔を隠している。
「……恐れながら殿下。それではわたしは何のために、ここに居るのでしょうか」
本音を言ってしまえば、恋も知らないのに身体だけは差し出さなければならないなんて嫌だった。拒めるものならエイレーネだって拒みたい。だが初めから、遅かれ早かれ何処かへ嫁ぐ事は覚悟していた。淡い期待さえ打ち砕かれようと、王女としての使命感がこの胸から消失することはない。恐怖に震えながらでも課された責務は必ず果たす気概がエイレーネには在った。
彼女の問い掛けに対し、リファトは微かに笑ったみたいであった。はっきりと見えないので、あくまでも笑ったような雰囲気があった、という意味だ。
「エイレーネはここに居てくれるだけで大丈夫です。ご存知でしょうが、私には兄が三人もいます。いずれ後継にも恵まれるでしょう。貴女が無理をする必要は無いんです」
エイレーネは同意も否定もできず、言葉に詰まった。逡巡している間に、リファトはバルコニーのほうへ体の向きを変えてしまった。流石にそれはいけないと、彼女は咄嗟に声を上げるのだった。
「殿下を追い出すなどという非礼は許されませんっ」
「しかし…貴女を追い出す訳にもいきません。貴女はこんな所に来てくれた、大切な姫君です」
エイレーネは必死に言葉を探していた。お互いに相手を出て行かせるつもりが無いなら、この部屋にある一つの寝台で眠るしかない。でも、それを何と言って伝えたら良いのか。女の方から一緒に寝ましょうと誘うなんて、はしたなくてできない。言えないのなら態度で誘うのか?どうやって?
目を回しそうになりながら思い悩んでいたら、再びリファトが笑った気がした。
「では、すみませんが私もここで休ませてもらいます」
「…は、はい」
彼方から切り出してくれて良かったと、エイレーネは密かに胸を撫で下ろすのだった。
リファトが寝台に上がるのを待ってから、彼女もおずおずと近付く。そうして、大きさだけは立派な寝台に二人並んで横たわった。しかし夫婦の間には、まだ人ひとりが寝そべることができるだけの空間が開いていた。すぐに寝付けないエイレーネは、ふと寝具から出ている彼の手を見遣った。リファトは両手に黒い手袋を嵌めていた。就寝時も外さないのだろうか。気になってじっと見ていたら、その視線を感じたのであろうリファトが訳を話してくれた。
「油断するとすぐに乾燥して肌がひび割れるんです。血や膿で貴女を汚してはいけませんから。感染性のものではないので、万が一付着したとしてもその点は心配はいりません。見苦しいと思いますが、どうか容赦してください」
見苦しいとは思わなかったが、エイレーネはばつが悪くなって視線を元に戻す。
「いえ…わたしこそ、不躾に眺めて申し訳ありませんでした」
「そんな事は気にしないでください」
リファトはとても物腰の柔らかい青年のようだ。数回のやりとりだけでもそれが伝わってきたエイレーネは、自分でも知らないうちに詰めていた息を僅かながらに吐いたのだった。
疲れが溜まっていた身体は、いつの間にか睡魔に負けていたらしい。カーテンの隙間から差し込む朝陽を見つけて、エイレーネはそう悟った。ゆっくりと半身を起こして、ほとんど無意識に隣を見たが、そこは既にもぬけの殻だった。昨晩は字義通りの共寝をしただけに終わった。初夜の失敗は恥と言われるが、エイレーネにとっては一概に悪いとも思えなかった。彼女は確かに安堵の気持ちを覚えていたのだから。
エイレーネは小さな溜息を吐いてから、埃の被ったベルを手にとって軽く揺らす。使用人を呼ぶ合図だ。しばらくすると侍女が一人やって来たが、無言で洗顔の道具と着替えを机に並べたら去ってしまった。てっきり身支度に手を貸してもらえるものと思っていたエイレーネは、面食らって呼び止めるのも忘れてしまった。いや、もしかしから己が勉強不足なだけで、これがカルム王国の慣わしなのかもしれない。きっとこの国では、何でも他人任せなのは恥ずかしい事なのだと思い直し、彼女は身支度に取り掛かった。
王族の衣装は繊細かつ複雑だが、エイレーネに用意された服はあまり飾り気の無いものだったため、苦戦しつつもどうにか独りで着ることができた。問題は髪型である。不幸中の幸いだったのは、ベルデ国では髪を纏め上げるのが主流なのに対し、カルム王国では伸ばした髪を背中に流すのが一般的な事だ。毎日侍女がやってくれたような綺麗な纏め髪なんて、仕上がりを待つだけだったエイレーネには全くできる気がしない。だが髪を下ろすだけで良いと言っても、編み込んだり、髪飾りを付けたりと、各自思い思いの工夫を凝らすのがカルム国風のおしゃれだ。多分、貴族なら煌びやかに飾り立てるのだろう。しかし侍女は髪留めの類を持ってこなかった。仮にあったとして己に使いこなせるかは疑問であるが、ただブラシで梳いただけで大丈夫なのか。エイレーネは橙色の髪を鏡に写しながら少しばかり弄ってみる。けれど、どうにもならないので最後には諦めたのだった。
いつも纏めていた髪を下ろすというのは、何だか落ち着かない。波打つ髪が視界の端で揺れるたびに、つい気を取られてしまう。エイレーネの髪は腰を覆うほどに長く豊かなので、嫌でも目に付くのだ。それはともかく、思っていた以上に時間が過ぎていた。エイレーネは急ぎ足で階下へ向かう。食卓がある部屋に行くと、案の定リファトが待っていた。そこで彼女は不思議に思った。テーブルの上の食事はどう見ても準備の途中なのに、給仕役の姿が見えない。料理をのせる手押し車がぽつんと置いてあるだけだ。
「おはようございます、エイレーネ。ゆっくり休めましたか?」
唖然として固まっていたエイレーネは、リファトの穏やかな声にハッとなり、慌てて頭を下げる。王子に挨拶もせず、突っ立っていたなんて恥ずかしい。
「すみません。貴女がいらっしゃる前に準備しておくつもりだったのですが…」
己の失態に項垂れていたエイレーネであるが一瞬、恥も忘れて耳を疑った。
「……殿下が、ご用意なさったのです…?」
いくらエイレーネが不勉強だとしても、これが異常な事であるのは断言できる。一国の王子に食事の支度を丸投げするなんてあり得ない。
彼女の動揺は予想できたのか、リファトはのんびりと答えていた。
「いえ、調理はここの料理人がしていますよ。私はただ、出来上がったものを取りに行って並べただけです」
並べただけ、ではない。それらは全て給仕役の仕事のはずだ。散々軽んじられてきた小国の王女でさえ席に座っているだけで良かったというのに、大国カルムの水準がそれ以下で良い訳がないだろう。こんなの、絶対におかしい。エイレーネの声色が自然と強張る。
「……それは、何かやむを得ぬ事情があるのでしょうか」
「私が極力、使用人と関わらないようにしているだけです。言ってしまえば私の我儘みたいなものですから、気にしないでください」
目の前で王子がスープを注いでいる状況で、何も気にせず着席などできようか。心臓に毛が生えている人間ならできるのだろうか。何にせよ、エイレーネには到底無理な話であった。彼女は自分がやると控えめながら宣言し、見様見真似でパンを切り始めた。リファトは慌てた様子で止めようとしたが、彼女は頑としてパン切り包丁を離さなかったのである。すったもんだの末、やっと朝食にありつけた頃にはスープが冷め切っていた。具が少なくて薄いスープだったが、マナーの事で頭がいっぱいのエイレーネは味を気にしている場合ではなかった。
置いておけば食器は片付けられる、との事らしい。わざわざ説明してもらうような事ではないはずだが、エイレーネは「わかりました」とだけ返す。
「貴女に見てもらいたい場所があるのですが、一緒に来てくれませんか?」
そう請われて、断る理由は無い。エイレーネは大人しくリファトの後について行った。彼が案内してくれたのは、この城の庭だった。しかしそこには、こじんまりとした四阿がぽつんとあるだけで、花は一輪も咲いていなかった。春はまだ先なので枯れ木だけなのは仕方がないが、殺風景な庭を見せられても寂しくなるだけだ。ベルデ王宮の庭園の美しさをリファトが知っていたら話は違っただろうが、生憎と彼は碌に外へ出たことが無かった。
寂れた庭を前にして、どんな反応をするのが正解なのか分からなかったエイレーネは、曖昧に微笑むことしかできない。そんな彼女に気付いているのかいないのか、リファトはどことなく楽しそうに、あそこは何々の花が咲くだのと語っていた。
「ここは、その…何も無いので、庭だけでも華やかにしたくて、庭師には無茶を言ってしまいました。花が咲いたら是非もう一度、見てもらえませんか?」
「殿下のお心遣いに感謝いたします」
エイレーネは半ば上の空で返事をする。自然豊かな土地で育った彼女は、花が大好きだ。祖国と同じようにはいかないが、あのこじんまりとした四阿から花々を楽しむのも悪くないかもしれない。茫洋と思い描いた景色は、本当に朧げではあったが、ここへ来てから初めて抱いた希望だった。