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 見れば見るほど、ミランダは容姿にも所作にも非の打ち所がない。平民出身とはとても思えぬ身のこなしもさることながら、国王を楽しませる話題選びが素晴らしかった。エイレーネに対しては無作法だった言葉遣いも、完全になりを潜めている。確かにこの女性こそ、国王を捉えて離さぬはすだ。

 心の中で絶賛するエイレーネであるが、異国人だった彼女の所作も様になっていた。考え事をしていても手先は正しく動かせるまでに成長した。マナーに関して指摘を受ける点はもう見当たらない。ただ、アンジェロが大人しくしているのが不気味だった。着席前にあった一悶着など、挨拶代わりだろう。嫌味を言われるくらいでは済まないと、エイレーネは想定していた。

 案の定、彼はメインディッシュが運ばれてくるのを待っていたようだ。その証拠にアンジェロの口角は意地悪く吊り上がった。


「異国の姫の口に合うといいのだが」


 エイレーネの眼下には野菜の切れ端がちょこんと乗っている皿があった。他の人達の皿からは肉の香ばしい匂いが漂ってくるのに、彼女の皿には肉の欠片さえ無かった。一人だけ露骨に粗末な食事を出されたのだ。屑も同然の部分を集めろとでもアンジェロが命じていたのだろう。いやらしく細めた目でもって嘲笑してくる事からも明らかだった。周囲の反応は我関せずと傍観するか、くすくす笑うか真っ二つに分かれていた。


「どうかな?エイレーネ姫」


 問われているのに無視はいけない。だが不味いと答えるのは論外だ。かといって美味しいと返しても、どのみち育ちが知れるだのと馬鹿にされるだろう。どちらに転んでもエイレーネが痛い思いをするよう仕向けているのだ。

 けれども、分かっていて相手の興に乗ってやる義理など無い。エイレーネはにこりと笑ってみせた。


「王宮にお勤めされるだけあって、料理人の方々は素晴らしい腕前をお持ちだと感じました」


 彼女は料理そのものに言及する事なく、料理人を褒めた。だってそうだろう。わざわざ一人だけ違う皿を用意するのは手間だし、アンジェロの機嫌をとるなら適当に刻んだまま出しておけば良かったものを、茹でて味付けまでしておいてくれたのだ。そして、王子であろうと国王が召し抱える者達を貶す事は許されない。それ故にエイレーネは、料理人が素晴らしいと言ったのである。こうなると彼女の言葉に同意するしかなくなり、アンジェロの笑みが引き攣った。


「…何やら含みがあるように聞こえるな」

「そうでしょうか?わたしは感じたままを申したまでです」


 彼の苦し紛れの追及も、エイレーネは軽やかに躱していく。争いを好まず、おっとりしている彼女は舌戦が苦手だ。本人の性格だけでなく、ベルデ国では剥き出しの敵意に直面する機会など、ほとんど無かった事も起因しているのだろう。しかしながら、巧妙な駆け引きの応酬を全く経験しなかった訳でもないし、避けて通る事もしなかった。故にエイレーネがこんな稚拙なやり口なんかで慌てふためくはずも無いのだ。

 だいたい彼はエイレーネがどこの国の出身か知らないのか。農作物に恵まれたベルデ国で生まれ育った彼女は"腐っていなければ捨てる部位など無い"を持論としている。そんなエイレーネに、野菜の切れ端を出した程度で勝ったつもりになるのは早い。

 弱った姿を見せない彼女にアンジェロは業を煮やし、更なる鬱憤を腹に溜めていく。給仕の女性から飲み物をかけられたり、料理を床にぶちまけられて台無しにされたり、とエイレーネはその後も散々嫌がらせを受けた。しかし彼女はそれら全てを笑顔で許し、睨め付ける視線に負けることはなかった。寄越される視線の中には、ミランダの流し目も含まれていた。だがミランダは意味ありげに微笑むだけで、会話に入ってくることは終ぞ無かった。




 終わってみれば、腹も心も何一つ満たされない晩餐会であった。気疲れが全身にのし掛かっているように感じる。帰りの馬車を待つエイレーネは、重たくなる瞼に逆らわずに目を閉じた。ここはまだ王宮なので眠りこけたりできない。彼女は小さな古城のテーブルに並ぶ料理に思いを馳せていた。

 量も、質も、豪華さも遠く及ばないかもしれないけれど。料理人のマルコが食材を吟味し、真心込めて調理してくれて。アリアとジェーンが慎重に運んできた出来立ての料理を、リファトと笑い合いながら……。

 閉ざされた瞼の裏に優しい景色を浮かべていたエイレーネを、扉の軋む音が現実へと引き戻す。御者が呼びに来たとばかり思っていたがその予測は外れ、彼女は反射的に立ち上がっていた。


「まだ名乗っていなかったから…と思ったのだけど、無駄足だったかしらね」


 ミランダは実に優雅な仕草で肩にかかる髪を払う。彼女は小指の先まで、くまなく美しかった。


「そのような事はありません。ミランダ様に感謝をお伝えしたいと思っておりましたゆえ、ここを発つ前にお会いできて良かったです」

「感謝?まさか廊下に立たされたことを言っているの?」


 エイレーネがふわりと笑ったのに対して、ミランダは美麗なかんばせを顰めるのだった。


「第三王子の言い分もわかるわね。あなた、媚を売るのが下手すぎるわ」

「晩餐会の席でも申しましたが、わたしは己の心の声をそのまま言葉にしているだけです」

「じゃああなたは部屋の外に放置されて嬉しかったという事になるけれど?」

「嬉しかったというのはやや語弊がございます。助かった、との表現が正しいかと」

「………」


 不意にミランダは口を噤んだ。だが、より鋭くした眼光で続きを急かしてくる。


「あちらのお部屋には何か…良くないものが充満していたのではありませんか?」


 エイレーネの声量は意図的に抑えられていた。人払いはされているようだが、用心するに越したことはないとの判断である。そしてミランダは静聴しているようで、実のところ僅かに目を見張っていた。


「お部屋には素敵な花瓶が飾ってありましたが、活けてある花は力無く萎れていました。王宮への出仕が許された使用人が、摘み取った花々を幾日も放置するとは思えません。それでは何故、あの花瓶は見栄えの悪いままにされていたのでしょうか。人間が何らかの手を加えない限り、植物は精一杯生きようとします。ですからわたしは、短時間のうちに枯れる要因があったと考えました。加えて微かではありましたが、生花とは異なる甘い香りがいたしましたので、不審の念を抱いたのです」


 整然と語るエイレーネであるが、彼女が部屋の中を見たのはほんの一瞬だ。けれども彼女の瞳には、生気を失った花達が異様なものとして映り、強い違和感を残す結果となった。


「ミランダ様が入室を禁じられたのは、その"良くないもの"にお気付きになったからだと思いました。先ほど申し上げました感謝とは、そういう意味です」


 事の次第を聞き終えたミランダはというと、唐突に刺々しい雰囲気を霧散させたのだった。


「……ふっ、なかなか見所のある方のようね。そうよ、あなたの言う通り。あの部屋では東洋の香が焚かれていたの」

「東洋の香…ですか?」


 相手の言葉を反芻した後、エイレーネは小首を傾げた。

 広大な海に面するカルム王国は航海技術にも優れており、遥かかなたの国から珍品を仕入れてくる事もあると聞く。内陸のベルデ国にいたエイレーネは外来品に詳しくないし、目にする機会も無かったが、海の向こうから渡ってきた品々は高値で取引きされるのだとリファトが言っていた。


「正しく使えば問題ないのだけど、長期的かつ大量に取り込めば毒に変わる。その毒は女にだけ作用するの。正確には男とベッドを共にした女、ね。この意味わかるかしら?」

「は……はい…」


 要するに、妊娠している可能性がある女性には危険な代物という事か。そうなると、まだ清い体のエイレーネには無害なのだろうが、この手の話題に耐性が無いので赤面してしまう。それを何とか誤魔化すようにエイレーネは口を開いた。


「わたしより先にいらっしゃったミランダ様は大丈夫なのですか?」

「あら、お優しいこと。でもこれ以上の詮索は無用よ」


 絶大な権力を誇る愛妾が口出しするなと告げているのだ。謎は残っているものの、素直に引き退るのが身の為であろう。間もなく発つ場所を、無闇に引っ掻き回す必要もあるまい。エイレーネは大人しく従った。




 すでに空は真っ暗であったが、リファトの待つ古城へ戻る頃にはさらに夜が更けていた。それでも彼は寝ずに待っており、侍女の二人も起きていたのである。耳の良いジェーンが真っ先に馬蹄の音を聞きつけ、リファトに知らせた。すると彼は玄関を飛び出し、その勢いのまま門の外まで出て行くのだった。


「殿下…!?」


 帰って来た余韻に浸る暇も無く、エイレーネは馬車を降りたらすぐに、温かな腕に包まれた。触れる前は必ず許しを求めてくるリファトが、何も言わずに抱きしめてきたのだ。エイレーネは吃驚したのと、嬉し恥ずかしいのとで動悸がした。少し迷ったが、エイレーネも骨張った背中におずおずと手を伸ばす。


「あの…ただいま、帰りました…」


 辿々しく声を掛けたところで、リファトは我に返ったらしい。急いで距離を取ろうと体を離すが、エイレーネの両手が彼の背中に回っていたので、あまり意味を成さなかった。


「すっ、すみません…いきなり、こんな……申し訳ない…」


 表情こそ見えないものの、彼の言葉の端々からは激しい動揺が窺えた。これがもし昼間であったなら、燃え上がる炎みたいに赤くなったリファトを見つけていただろう。あまりの焦り具合に、エイレーネの方は若干の余裕が生まれる。


「殿下にはやくお会いしたかったので、嬉しいですよ」


 背中に回した手は外さず、彼女はそう告げた。驚きはしたが、嬉しかったし安心したのだ。


「…辛い目に遭わなかったですか」

「全然平気でした」

「…我慢していませんか」


 いくら言葉で示しても、リファトの心配は尽きないらしかった。案じてくれるくすぐったさを感じたエイレーネは小さく笑う。


「少し眠たいかもしれません」

「!私としたことが、門の前で長々と…すみません。早く休みましょう」


 二人して身を翻した直後、門の陰に誰かが隠れているのに気がつく。暗がりへ向けて目を凝らしてみれば、頬を上気させながらジェーンの口元を押さえるアリアが居た。恐らく、リファトに続いて出迎えに走り出したジェーンを、アリアが止めたのだろう。良い雰囲気を察知したアリアが止めなければ、ジェーンが突撃していたに違いない。眼鏡で矯正したと言っても、はっきり見えるのは半径三メートル程度なのだ。

 人目がある事も忘れ、熱烈な抱擁を交わしていたリファトとエイレーネは、居た堪れなくなって顔を赤らめたのだった。




 それから一ヶ月も経たないうちに、再び王宮から書簡が届いた。此度はエイレーネだけでなく、リファトの両名に宛ててであった。封を切り、中身を取り出してみると、それは舞踏会の招待状だった。エイレーネは彼と一緒ならと内心で安堵したのだが、リファトの横顔を見遣った後、それは時期尚早だったと知る。


「殿下…何か心配事があるのですか?」


 敵の本拠地に行くと言っても過言ではないので、懸念など掃いて捨てるくらいある。そんな事は今更だし、彼女とて承知済みなのだが、リファトの顔色が優れないのがどうにも気になった。


「………」

「言いにくい事でしたら、無理に仰らないでくださいね?」

「…いや、貴女の迷惑になる事ですので。恥ずかしい限りですが、聞いてもらえますか」


 リファトは諦めたように苦笑す。痛々しい笑い方に胸を詰まらせながら、エイレーネは「はい」と頷いた。

 ややあって、彼は自信なさげにぽつりと、全くダンスができない事を告げた。一度も教えてもらった事が無いのだと。人前に出る機会も与えられぬ王子には、無用の技術だったのだろう。第一、病魔に冒された手をとり、踊りたいと願ってくれる者がいなかった。


「…私が踊れないのを見越して、招待したのでしょうね」


 誰の企てかなど、もはや考える事さえ億劫だ。大勢の貴族が集まる前で、ワルツも踊れぬ王族の面汚しだと嘲笑する魂胆なのであろう。ついでに、同伴しているエイレーネも恥をかけば万々歳、といったところか。舞踏会まであと三日しか残されていないことにも悪意を感じる。こんな大々的な催しなら、件の晩餐会よりもっと前に決定していたはずだ。


「まかり通るかは分かりませんが、体調を理由に何とか断って、」

「特訓いたしましょう」

「ん!?」


 エイレーネは彼の台詞を遮ってまで主張した。礼節を重んじる彼女にしては珍しい態度に、リファトから間抜けな声が上がる。


「卑怯なやり口に屈するのは悔しいです」


 彼女の大きな瞳は、義憤に燃えていた。


「できない事を馬鹿にする権利なんて、誰にもありません」

「し、しかしたったの三日では…私は誰かが踊っているのを見た事すら無いですし…」

「僭越ながら、わたしがお教え致します」

「レーネが!?」

「弟の練習相手を務めていたので、殿方のパートも粗方覚えています。基本の姿勢と足の運び方だけなら、三日でも何とかなるはずです」

「…ありがたいお話ですが、やはり貴女の迷惑になってしまいます」


 怒ると遠慮が少なくなるのか、早口で迫ってくる彼女を前にリファトはしどろもどろである。


「リファト殿下は迷惑でしたか?わたしに語学を教えるのが、面倒くさいとお感じになったのですか?」

「何を馬鹿な…!そんな事は絶対にありません!誓ってあり得ない!」

「わたしだって同じです!」


 たじたじであったつい先刻とは打って変わり、語気を強めたリファト。しかしエイレーネも負けじと声を張った。


「幾らかでもお力になりたいのです!失敗したって構いません。だって殿下は、わたしが何度間違えても、当たり前のように許してくださったではありませんか」


 真剣そのものの双眸が、リファトの胸を打つ。楽な方へ逃げるのではなく、共に険しい道を歩まんとしている。エイレーネにここまで言わせておきながら、挫ける事は許さないとリファトは己を鼓舞した。


「…レーネ。私にダンスをご教授願えますか?」

「もちろんです!お任せください!」


 彼の覚悟を聞くなり、エイレーネはぱっと表情を明るくする。そして躊躇う事なく彼の手を取り、早速稽古を開始するのであった。


 熱意とは真逆に、稽古の進行は遅々としていた。まずはエイレーネが手本を見せ、リファトが真似をし、一つできるようになったら二人で踊ってみる……という地道な作業を延々と繰り返す。優雅にゆったり動くだけのように思えても、正しい姿勢を保つだけで意外に体力を使うのだ。

 体が丈夫ではないリファトは、こまめに休憩を挟まなければならず、焦りだけが募った。熱心さの奥に焦燥を見てとったエイレーネは、やや強引にでも彼を休ませた。本番は三日後、ここで力尽きては元も子もない。気持ちが逸るのはエイレーネとて同じであったが、万全を期さねばならないのだ。

 リファトが休んでいる間も、エイレーネは一人で踊り続けた。離れた所から観察して目にイメージを焼き付けるのも役立つと考えたからだ。踊りっぱなしのエイレーネは額に玉のような汗をかいていた。リファトにはそれが彼女の優しさの結晶に思えて、とても愛おしかった。柔らかな髪を掻き分けて汗を拭いてあげると、彼女は面映そうにしていた。


 何となくダンスが形になってきたら、次は衆目の中で踊る想定として侍女の二人を呼んだ。楽器は無いので手拍子を頼めば、二人が一定のリズムで叩いてくれる。やがて拍手だけでは物足りないとジェーンが言い出し、楽しげに歌い始めた。意外にもジェーンは歌が上手だった。明るい曲調のおかげで、次第に気分も浮上する。終いにはステップを踏み間違えても、笑い合えるくらいの余裕が出てきた。


 散々体を動かした反動か、寝床に入るや否やエイレーネは眠ってしまった。いつもなら入眠する前に少し話をするのだが、それだけの力も残っていなかったらしい。休み休み練習していたリファトにはまだ余力があり、いとけない寝顔のエイレーネを暫く眺めていた。


「…貴女と踊れるならば、舞踏会も悪くないと思えるのですね」


 心境の変化に一番驚いているのはリファト自身である。


「…愛しています、レーネ。私の妃。私の慕わしいひと」


 リファトは眠る彼女の髪を一房をとり、そっと口付けを落とすのであった。

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