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 孤児の二人がエイレーネの侍女となる日がついにやってきた。孤児院での暮らしが長かったアリア達は、子供達の良きお姉さんだったのだろう。別れ際にはたくさんの子供達が門の前に集合し、涙ながらに送り出されていた。アリアは釣られて涙ぐみ、ジェーンは「お休みの日は帰るから!」と元気に手を振った。院長からの「働く前から休暇の話をするんじゃありません!」というお叱りが飛んできたのはご愛嬌だ。


 王族と膝を突き合わせて馬車に乗るとなれば普通、かなり緊張するものだ。ところがジェーンはおろかアリアまでも、ゆったりと背もたれに体を預けていた。エイレーネのほんわかした雰囲気に、いつの間にか呑まれてしまったのだろう。緊張がほぐれたのなら何よりである。その機を逃さず、エイレーネは伝えておく事があると前置きをするのだった。

 彼女の口から伝えられたのは、リファトの事であった。彼の人となりから始まり、病の事も、芳しくない現状についても、エイレーネは包み隠さず話した。


「わたしは二人が侍女になってくれたら嬉しいと言いました。ですが、二人にとっては過酷な日々の始まりになるかもしれません。それでも一緒に来たいと思ってくれますか?」


 幼い子供の時分に思い描くような立派なお城、ご馳走、綺麗な服…それらは確かに魅力的ではある。全く期待しなかったと言えば嘘になるだろう。だがアリアとジェーンには、そんなものよりも大切なことがあった。


「院長先生から"侍女とは主人と運命を共にする者だと思いなさい"と言われました。私もジェーンもその覚悟を持って、ここにいるつもりです」

「あたしは一生、誰かの手を借りて生きていくしかないと思っていました。迷惑ばかりかける人生なんだって。だけど、あたしでも姫様の役に立てるんですよね?誰かのために働けるんなら、こんなに嬉しい事はないです!」

「ありがとう…アリア、ジェーン」


 エイレーネは二人の手を握り、微笑む。


「頼りにしています。改めて、今後ともよろしくお願いします」


 そう言い終わってからエイレーネは静々と頭を下げた。やや遅れてアリアとジェーンも揃ってお辞儀をしたが、王族が平民に頭を低くするなど有り得ないと知るのは、まだ先のことである。


 新しい侍女達とリファトの初対面も、すんなりと終わっていった。アリアとジェーンは、教養の無い自分達がまともな挨拶ができるか緊張していたようだ。しかし、ぎこちなさを除けば及第点だった。馬車の中でエイレーネが簡単に指導しておいたのだ。仮に失敗したところでリファトが叱る訳もないのだから、心配するだけ杞憂である。

 それはさておき、二人がリファトと接した際の反応だが、珍しいものを見るような目をしただけで特に嫌悪している様子はなかった。見かけがどうのというより、彼の物腰の柔らかさに驚いたみたいである。ジェーンに至っては「そういえばこの距離じゃあ何にも見えなかった」と笑い飛ばしていた。逆にリファトのほうが、二人の反応を珍しく感じたかもしれない。

 だがエイレーネは、健常でないがための苦悩を持つ彼女達なら、リファトの痛みや辛さをわかってくれるのではないかと期待を寄せていた。無償で孤児達に治療を施すギヨームに感化され、少しでも手助けになれたらという思いもあったにせよ、結果は上々。エイレーネは皆に隠れて、胸を撫で下ろすのであった。




 やがて朽ちかけの城には続々と新しい使用人達が集まってきた。手始めに全員で自己紹介をした時など、ちょっとしたパーティーのように賑やかだった。エイレーネの侍女以外はリファトが選んだものの、決め手となった理由は彼女と似たり寄ったりだ。働き口が見つからない者や長時間の労働が難しい者、はたまた低賃金でこき使われてきた者……そういった何らかの事情により困窮していた者達に声が掛かった。リファトとしても渋らず手を貸してくれる人材を求めていたので、双方の利害が一致したと言えよう。

 とはいえ、リファトの思考の中心に在るのはどこまで行ってもエイレーネであった。彼が探してきた料理人はエイレーネを見つけると、すぐさまひれ伏した。それも大層、感激した様子だった。マルコと名乗る料理人を立たせたはいいが、エイレーネは小首を傾げていた。


「申し訳ございません。妃殿下の前だというのに年甲斐もなくはしゃいでしまいました」

「それは構わないのですが…わたしの事をご存知なのですか?」

「レーネ、彼はベルデ出身なんですよ」


 恐縮しきりのマルコに代わり、リファトが説明役を務める。

 このマルコという男は、ベルデ国からこちらに帰化する前、遠目にエイレーネを見た事もあったという。六年ほど前の話になるだろうか。ベルデ国では春になると"開花の祝祭"と呼ばれる祭りが三日に渡って行われる。祭りの折には王宮の庭園が一部開放され、市民が肉眼で王室を拝める唯一の機会ともなるのだ。まだ子供らしかった王女と、カルム王国で再会できるなんてマルコは夢にも思わなかった。しかも、この国に来てから小国の田舎者と足蹴にされ続け、まともに厨房へも入らせてもらえなかった為、感動もひとしおなのである。


「懐かしき故郷で拝見したエイレーネ様のもとで働ける日が来ようとは…この上ない栄誉でございます」

「わたしも同郷の方にお会いできて嬉しく思います。マルコの作る料理が今からとても楽しみです」


 しかしエイレーネが何より嬉しかったのは、リファトの気遣いであった。広大なこの国に、ベルデ出身の人間が果たして何人いるのか。そうそう見つかるものではないだろうに、それでも探し出してくれた事に、エイレーネは大きな喜びを感じるのだった。


 さて、新米侍女の二人はというと、それはもう張り切っていた。知らない場所ゆえ、アリアの補助が無くては動き回れないジェーンだが、いったん間取りを把握してしまえば壁伝いに移動することができた。そんなジェーンの仕事は、もっぱら片付けや洗濯だ。一方、アリアは先任の侍女から仕事を教わり始めていた。互いに「姉妹同然に育った親友」と口を揃えるだけのことはあり、二人一緒ならばできない仕事は殆どなかった。

 しかし万年人手不足の職場では、常時共に過ごせる訳ではない。早急な対策が必要であった。ジェーンを雇うと決めた時点で、エイレーネは頭の中でとある計画を立てていた。それは、ジェーンに眼鏡を与える事だった。失明していない左目は、眼鏡による矯正が可能だと踏んでいたのである。

 ただ一つ、問題があった。眼鏡は高価なのだ。現に眼鏡を使っているのは貴族や裕福な商人ばかり。金銭に余裕の無いエイレーネ達からすれば、かなりの贅沢品となる。何せ王宮から第四王子夫妻へ配当される金は、長兄のそれと比べて二十分の一以下。自分達の衣食住と、使用人の給金でほぼ消えてしまう程度なのだ。とどのつまり、エイレーネが自分で金を工面して眼鏡を作るしかない。エイレーネには手持ちが無いものの、祖国を出る時に持ってきた装飾具が有る。数は僅かとは言え、王女が身に付けていた物であるから、換金すればそこそこの値段になるだろう。エイレーネはそう思って、宝石商と話をつけてきても良いかリファトに尋ねたのだ。

 ところがその問いかけは、思わぬ波乱の引き金となった。リファトは貴女の思い出の品を手放す必要は無い、代金なら私が持つと言い張り。だがエイレーネも譲らず、わたしの侍女なのだからわたしが面倒をみると反発した。


「お金の心配は要りません。レーネは指示を出すだけにしてください」

「いいえ。わたしが考え言い出した事ですし、お金は他者のために使ってこそ、役に立つのです。後生大事に仕舞い込んでおいても意味はありません」

「概ね同意しますが、貴女が持っているのは貨幣ではなく大切な装飾品でしょう」

「自分を着飾るより、ジェーンの目となる方がよほど有益です」


 話し合いはどこまでも平行線を辿る。変な風に拗れていく二人を諌めたのは、孤児達の診察に訪れたギヨームであった。真面目くさった顔つきで「金を払うのは自分だ」と主張し続ける二人へ、ギヨームは呆れた目線をくれてやる。


「それほど進んで出費したいのであれば、お二人で半分ずつ出し合えば宜しいでしょう」


 それでもまだ何か言いたげな二人だったが、次の台詞で完全に沈黙した。


「少し見ない間に、痴話喧嘩するほど仲が深まったようですな。いやはや、年寄りは少々胸焼けがしそうです」


 彼が強調しながら言った痴話喧嘩という単語は面白いくらいに効果があり、初々しい夫婦はそれきり赤くなって黙り込むのだった。

 遠慮に遠慮を重ねるようなリファトとエイレーネが、相手の意見に耳を貸さずにいたのは、ギヨームにとって驚きであった。少なくともリファトがそのような態度をとるところは初めて見た。喧嘩と呼ぶのも馬鹿馬鹿しい内容ではあるが、彼が心のままに言葉を紡げるようになってきた事を知り、危うくギヨームは感涙に咽びそうになった。

 この後、眼鏡の費用は互いの持ち金から出し合う事が、嘘みたいにすんなり決まった。




 完成品を職人が届けてくれたその日に、眼鏡はジェーンの手へと渡った。片眼鏡では常時かけているのに適さないため、両眼鏡の設計になってはいるが、右側に嵌っているのはただの硝子だ。

 眼鏡を受け取ったら普段以上に大はしゃぎすると思われたジェーンだが、意外や意外、彼女は号泣していた。ジェーンは鼻声になりながら、隠していた本心を親友に吐露するのだった。


「ほんとはね、わかったんだ…あたし、ずっとアリアの邪魔になってたよね」


 昔はジェーンが肩を貸してアリアを助けていたのに、いつからか立場が逆転した。アリアは支えがなくても歩けるようになり、ジェーンはできない仕事ばかりが増えていった。親友に働き口が紹介されたのは、今回が初めてではない事をジェーンは知っている。座ってできる細かい作業なら、アリアはお手の物だった。

 だけどアリアは他ならぬジェーンの為、親友と交わした約束を守る為にせっかくの話を断り続けていた。もう左足の代わりになるどころか、足を引っ張る事しかできないジェーンの為に、だ。そんな事しなくていい、と突き放せる勇気がジェーンには無かった。挙げ句の果てに立場も弁えず穀潰しにしかならない自身を押し売りした。相手がエイレーネでなければ、アリア諸共罰せられていたかもしれない。ジェーンは表に出さなかっただけでずっと、大きな罪悪感に苛まれていたのだ。


「アリア…ごめん…ごめんね…っ!」


 えぐえぐと咽び泣くジェーンを見ていたら、アリアも貰い泣きをする。アリアは親友を邪魔に思ったことなど、ただの一度も無い。まともに歩けなかった日々を支え、一夜にして家族を失い泣くばかりだった頃、ずっと傍にいて励ましてくれたのはジェーンだった。アリアに巻き込まれて転び、膝から血を流してもジェーンは決して痛いと言わず、笑い飛ばすだけだった。だから謝られる筋合いなど無いのだ。


「私だって同じよ…離れ離れになるのが怖かった。仕事の話を断ってきたのは自分ためなの…ジェーンのせいじゃないっ」


 少女達はひしっと抱き合い、わんわん泣いた。


「やっと…やっと一人で歩けるよぉ…!」

「うん、うん…!良かったね、ジェーン…」

「ぐすっ…王子様も姫様も、本当の本当にありがとうございます!!この眼鏡は棺桶まで持っていきますぅ!!うわぁぁぁん!!」


 眼鏡は数年ごとに作り直さなければいけないのだが、今は静かに見守ろう。エイレーネ達はそう思うのだった。


 涙が引っ込んでしまえば、あとはいつものジェーンであった。今までを思うと大幅に見えるようになった視界に彼女は大興奮だ。


「アリアって美人だったんだぁ。髪きれい!あたしの癖っ毛ひどいね!直るかな?あはは!」

「うわぁアリアが話してた通りだね!本物のお姫様だ!ここの庭、姫様がお世話してるの?素敵!」

「王子様の顔って怖いのかと思ってたら全然だった!」


 とまあ、ずっとこんな感じである。忙しなく動く視線はもちろん、歩き回る足も、ひっきりなしに喋る口も、一向に止まる気配が無い。頼れるのが片目ゆえ、遠近感が掴めないのは難だが親友の補助もある事だし、この調子ならすぐに慣れるだろう。

 元気が有り余っているのは結構だ。しかしそれだけでは王族に侍る者として務まらない。学舎へ通っていない二人には当然、教養が無く、読み書きも怪しい状態だ。無知は弱点ともなり、己の身を守るためにも知識は重要である。

 という訳でエイレーネが直々に語学を教えることになった。これは彼女がリファトに教えてもらった内容の復習も兼ねていた。器用で何でもそつなくこなすアリアに比べて、ジェーンは業務でも勉強でも遅れをとっている。しかしジェーンはめげるという事を知らず、読んだり書いたりするのが苦手な代わりに、耳で聞いて覚えるのが得意だった。

 こうして教える側に回ったエイレーネは、リファトの教え方が非常に巧みだったことを改めて実感した。二人を教える際はなるべく彼の説明に倣ってみたが、簡単ではなかった。限界を感じた時はリファトに協力を仰いだ。彼はいつでも、何をしていても、喜んで応じてくれる。頼ってもらえて嬉しいと率直に告げてくるので、エイレーネもついつい甘えてしまうのだ。


「今日もありがとうございました。やっぱり殿下は人に教えるのがお上手ですね。わたしは四苦八苦しています」

「あんまりレーネが褒めてくれるので、私は自分が賢人になったと錯覚してしまいそうですよ」


 就寝前の少しの時間、リファトとエイレーネは横になりながら小声で談笑するのが日課となっていた。


「ふふっ、わたしも生徒達が優秀なので勘違いしてしまうかもしれません」

「今後が楽しみな生徒達ですね」

「はい。殿下にも良い侍従が見つかると良いのですが…」


 この城には執事に当たる人間がいないものの、誰かに割り振らねば回らないような庶務も無いので、リファトひとりでも充分ではある。だが何かと不自由な王子に代わって動ける侍従がいてくれると便利なのだ。


「おいおい見つかるでしょう。焦らず探してみます」


 リファトはそう話したが、実のところ彼が探しているのは単なる侍従ではない。武術の心得があって、隠密行動にも慣れた、あらゆる感覚の鋭い人間を必要としていた。何故ならリファトひとりではエイレーネを守りきれないからだ。剣を持ったことのない己では、役に立たない場面が必ず出てくることだろう。そんな時、信頼できる侍従がいてくれたら、少なくとも懸念が一つ減る。

 無論、仔細はエイレーネに伝えていないし、今後も伝えるつもりはなかった。この件についてリファトは己の我儘だと思っている。それにきっと、探しているのがエイレーネを守るための侍従だと知ったら、彼女は喜ばない気がした。しかしリファトも、こと彼女に関しては一切の妥協ができないのである。

【補足①】

視野に大きな制限のあったジェーンは、介助の先生がいる部屋で寝起きしていました。ジェーンとしては他の子供達と同室になりたかったのですが迷惑をかけると思い、孤独を辛抱してました。しかし孤児が増えるにつれ先生達の手が回らなくなり、ジェーンは部屋を移動することになります。そこでアリアとジェーンは出会いました。

毎晩泣いていたアリアを、ジェーンは一生懸命に慰めます。時には一緒に泣き、時にはアリアを元気づけようと明るく喋りかけ続けました。塞ぎがちになるアリアを引っ張り、歩行練習をやろうと言い出したのもジェーンでした。ジェーンは誰かの力になれる事が嬉しかったのです。

アリアは一番辛かった時期を支えてくれた友への感謝を、一度も忘れたことはありません。


【補足②】

アリア達がエイレーネのことを「姫様」と呼ぶ理由について。目が悪いジェーンにアリアが「お姫様」だと説明したため、それが定着しました。

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― 新着の感想 ―
[一言] わたしも眼鏡がなければジェーンと同じくらいの視力なので、一日中裸眼で生活することを考えるだけでぞっとします。 ジェーンがおしゃべりでいつも明るいのは、アリアを慰めるためにしてきたことなのでし…
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