3-1 無意識的な判断 -1 二つの異なる思考形態
一般的に二つの大きく異なる思考形態がある、と私は考えている。
例えば、原子力発電所を建設しようとしているとしよう。設計者が「この地域は大きな津波が来るので考慮しなければならない」と言われた場合、「なるほどそうだ」と考えて実際にそれを設計に反映することが出来る人と、「あっ、そうなの」と答えて無視する人の二種類のタイプが存在すると私は考えている。
なぜそういう違いが生じるかというと、普段からの物事をとらえる態度に違いがあるからだと考えている。
設計者になろうとしている学生が勉強しているとき、学習内容について「本当にこれは正しいのか、何か考慮が漏れていないか、条件によっては結論が違ってくるのではないか」と考える人もいれば、「なるほど、そういう風に考えればいいのか」とただ覚えこむだけの人もいる。試験を受ければ同じように回答し、同じように資格を得て、社会に出ていくことになるだろう。だが、教わってない事例に遭遇すると大きな違いが発生する可能性がある。普段から様々な方向から物事を考慮出来る人間と、ごく限られた局面でしか物事を考えられない人間が、実際に存在しているというのが私の認識である。そして、ほとんどの人はその差異の大きさに気づいていない、と私は考えている。
上記は、よくあることではあるが、かなり分かりやすい例として想定している。いつもそんなに分かりやすいわけではないと断っておく。
「アウトサイダー」の思考形態がどちらに近いかといえば前者の方である。ただし、その深さにおいて質的な違いがあり、「アウトサイダー」以外の人々は「アウトサイダー」の思考についていくことがかなり難しい、と考えている。
最初の原子力発電所の設計者の話に戻して、もう少し詳しく説明したい。「あっ、そうなの」と答える人がいるという記述を読んで、「えー、本当?」と思った人もいるだろう。そう思った人は、ほぼ間違いなく「あっ、そうなの」と答える側の人間である。様々な方向から物事を考えることが出来る人間であれば、「なぜこんな簡単なことが分からないのか」と自分以外の人間に対して思った経験が何度も何度もあって、「そうそう、その通り」と思うはずだからである。(勘違いでそのように思う人も多いので、決定的な見分け方ではないことを断っておく。)
「あっ、そうなの」と答えて無視する人の特徴は、頭が悪いのではなく、「気がつかない」という点にある、と私は考えている。
それを理解するためには、人は何かを判断する場合、意識的な判断と無意識的な判断を同時に行っているということを理解する必要がある。誰でも意識して判断している部分のことには、当然気づいている。しかし、過去に溜めこんだ知識や観念、習慣などから無意識的に(ほぼ自動的に)判断している部分のことには、多くの人が「気がつかない」。
「気がつかない」ということは、その人にとっては「存在しない」のと同じである。それが自分自身の判断であるにもかかわらず、自分が判断していると意識することが出来ないし、当然、それが正しいかどうかを検討することも出来ない。そして、無意識的な判断をそうと気づかずに採用してうまくいったとしても、それはたまたまうまくいったにすぎないが、そのことに気づくことも出来ない。
無意識的な判断の内容を自分では気づくことが出来なくても、気づいている人が具体的に指摘すれば意識して考えることが出来るようになるのでは、と思う人もいるだろう。しかし、私の経験から言えば、実際にはそうはならないことの方が多い。なぜなら、無意識的な判断を常習としている人は、無意識的な判断をしていると認識すること自体が困難になっており、その結果、しばしば洗脳レベルで無意識的な判断を固定化してしまっている(そういう脳の癖が出来てしまっている)からだ。そして、何度も同じような間違いを繰り返し、間違いを繰り返していること自体に気づくことも出来ず、平然としているのである。
それに対して、「なるほどそうだ」と考えることが出来る人の特徴は、一度考えたことでも何度も何度も繰り返し考える習慣があるという点に違いがあるのだろう、と私は考えている。ただ単に人の意見に耳を傾けられるというだけでは十分ではない。
それは過去に間違った判断をしたという経験があって、いつも慎重に考えなければならないという自分をいさめているせいであるかもしれない。同じようなことであっても、少しの状況の違いで異なる判断をしなければならないこともあると分かっているせいかもしれない。何度も何度も検討することで、より効果的な解答にたどり着けると考えているせいかもしれない。おそらく、自分が間違っていたと認めたくないということよりも、少しでも適切な考えにたどり着くことの方がずっと重要だと思っている人が多いだろう。
繰り返し考えることによって可能となる効果の一つは、異なる視点を取り入れやすくなるということである。何かを考えようとする場合、最初は単独の視点のみで対象を見てしまいがちである。しかし、何度も繰り返し考えていると、異なった視点を取り入れる余裕が生まれ、その結果、気づかなかったことに気づくことが多くなる。また、繰り返し考えていると、なぜかは分からないが頭の中で熟成するものがあって、突然もっと適切な新しい発想が生まれることもある。
いずれにせよ、繰り返し考える習慣がある人は根底から考え直すことが多いので、無意識の領域の判断に左右されにくい傾向があるようだ、と私は考えている。ただし、そういう人でも自分の専門を離れると、とたんに考えることが出来なくなるということが少なくないようだ。探求心や経験の差が、考えるという過程の深さに反映するからだ、と私は考えている。