《短編》婚約破棄されたおつかれ聖女はループ生活に嫌気が差したので、お役目放棄して大好きな専属騎士と幸せ逃亡生活を満喫します!
「何も聞かず僕との婚約を破棄してくれっ!」
「わかりました」
私は婚約していたミーチェン王子の申し出をあっさり受諾して、部屋に戻る。すると、待っていた専属騎士が開口一番に訊いてきた。
「またですか?」
「えぇ。いつもループ点がこのタイミングは勘弁してほしいわ。さすがに十二回目ともなれば、なんて反応してあげるべきなのか困るの」
私は肩を竦めてから――十二回目の三年を始める前に、宣言する。
「私、聖女をやめようと思う」
「念のため、理由をお尋ねしてもいいでしょうか?」
アルザーク王国の王城の離れの一室が、聖女であり、王子の婚約者であった私にあてがわれた部屋だ。すぐに王城内の教会に行き、いつでも聖女として祈りを捧げられるように用意された、どってことない部屋。ベッドに最低限の家具があるだけ。どれも一級品なんだと思う。でも何の面白みもない。聖女は清らかでないといけないから、世俗に触れてはならないんだって。本当つまらない。
この聖女ナナリー=ガードナー。女として見た目も悪くないのよ? 珊瑚色のたおやかな髪に、碧色の目はぱっちりと目立つ。食べても太りづらい体質だし、身長だって高すぎず、低すぎず。「今日も聖女様はお美しい」とよく言われるけど、全てがお世辞ではないと思う。自意識過剰かもしれないけど。
だから、生まれが違えばもっと楽しい人生が待っていたかもしれないのに……。一応王子殿下と婚約していたけど、それらしいことは何一つとしてなかった。政略結婚だしね。手を繋いだことすらない。
こんな半生、十一回も過ごせばもういいと思うの。
私は専属護衛をつとめてくれている騎士に思い出話を始めた。
「一回目死んだ時は、魔王と対峙した時だったわね」
「そうですね。護衛の俺を庇ってお亡くなりになりましたね」
恨めしそうな目を向けてくる彼の名前はイクス=レッチェンド。れっきとした騎士の家系の嫡男だ。薄墨色の短髪。菫色の瞳。端正な顔立ちをした長身の美青年は、今年で十八歳。私より一つ年上の幼馴染だ。歴代聖女を輩出しやすい公爵家系のうちと昔から懇意にしている。
聖女は神より授けられし聖なる力で、不浄を祓い、癒す力を持つ――簡単に言えば、治癒の力が使えたり、魔族を追っ払ったりする力。たまに神からの御告げが聞こえたりも。魔法を使う魔族に対抗できる聖女は国にとってなくてはならない存在だが……モノには限度というものがあるのだ。
「二回目は過労で死んだわ」
「極力最前線に立たないようにした結果、雑務に追われすぎて寝る暇がありませんでしたね」
「三回目は王子との婚約にしがみついて、のんびりお姫様生活したわね。暗殺されたけど」
「俺が雑務の大半を引き受けた結果、護衛が疎かになってしまったんですよね。大変申し訳ございませんでした」
「あなたは悪くないわ。あの王子に惚れている令嬢がいることを失念していた私がいけないのよ」
たぶん、いきなり言われた婚約破棄もその辺りが関係していると思うのだけど……気にしたことはない。後始末ご苦労様、くらい? 毎度婚約破棄に関してこれ以上私に迷惑かけないでくれるから、その点だけは助かっている。王子に愛着もなかったし。それに……もっと気になる人がずっと側にいてくれたから……。
「四回目はよその国に嫁ごうとしてみたのよね。デート中にやたら強い暴徒に襲われて死んじゃったけど」
「護衛なしで街を歩いたことがそもそもの誤りです。だからあれほど俺も連れてけと……」
このため息姿も様になるイクスも、私と一緒に何度も人生をループしている。たいてい私は二十歳になる直前で死んでいるので、十七歳の今からおんなじような三年を共に繰り返しているのだ。
私たちも、同じ失敗をしているわけじゃない。毎度前回の三年間を反省し、試行錯誤を繰り返している。
だけど、未だループ人生は終わらない。
なぜループを繰り返すのか――聖なる力で神に聞いたことがある。そしたら、神は言った。
『汝が世継ぎを産まなければ、誰も私の声を聞いてくれなくなるからだ』
どうやら、私が聖女の最後の末裔ということらしい。確かに年々聖なる力を持つ者は減り、妹は聖印を持っていない。聖印は手の甲に浮かび上がる聖女の証。つまり、私は魔族に対抗する最後の要なのだ。
『そんなの寂しいもん』
だから神様。そんな私情より人間の命運を心配してください。世継ぎなんてそんな簡単に……ねぇ? まともな恋人すら出来たことないのに。順序は大事。
まあ、へたに人間が侵攻しようとかしない限り、魔族の皆さまとは不可侵条約で和平が結ばれているのですが。無駄に野心家の王子がいけないのよ。彼が変な事しようとしなければ、魔王だって攻撃してこないのに。
「五回目は来年死んでしまう予定の国王陛下のご病気を治そうとしたのよね。馬鹿な王子を止めてもらおうとして。聖なる力で延命はできたのよ」
「ただ貴女様も病がうつり、亡くなりましたが」
「六回目は特効薬を探す旅に出たっけ。でも秘薬の原料が魔族の領地にあるのは想定外だったわ」
「邪魔しようとする王子率いる王国反乱軍と、侵略と勘違いした魔族に挟まれてしっちゃかめっちゃかでしたね。七回目も再挑戦してみましたが、似たようなことになりましたし」
えぇ……あの時は悲惨だったわ。人間側を攻撃するわけにもいかないし。むしろ魔族たちの方がまだ話が通じそうだったくらい。王子のせいで交渉は決裂したのだけど。
「八回目はいっそのこと王子を亡き者にしようとしたのに」
「まあ、普通にこちらが反逆者として処刑されましたね。あの近衛とはいつかまた一戦交えたいものです」
「九回目はいろいろ諦めて、部屋で引きこもってたんだっけ?」
「どんどん衰弱していく貴女を見ているのは辛かったです。貴女様も結局病気になりましたしね」
「十回目は二人だけだと限度があると、教育に一念発起したのよね」
「優秀に育った部下の裏切りに遭い殺されましたが」
「あれはあなたがスパルタすぎたのでしょう? まあ、まさか彼が兄弟を人間嫌いの魔族に人質にされているとは思わなかったけど」
和平を結んでいるとはいえ、王子が魔族のことを嫌いなように、魔族でも人間が嫌いな者もいる。異種族ということを抜きにしても、全員が全員を好きになれるなんて幻想だと知った。あと、スパルタ教育が良くないことも。あの鬼教官イクスは怖かったなぁ。
まあ、様々なことを経験し――私は思い至ったのである。疲れたな、と。
「だからね、そろそろ聖女やめてもいいかなって」
「前回の十一回目が抜けてますよ。バナナの皮に足を滑らせて頭をぶつけて死んだ経緯が」
「色々思い当たること全部なってみたけど、結局どれもこれも上手くいかないし。どうせやり直すならさ、一回くらいサボってもいいのかもと思って」
「まあ、さすがにあんなアッサリ死なれたら、もう俺もどうすりゃいいのかと。ずっと貴女様をおぶって生活すればいいんですかね? おまかせください。体力には自信があります」
華麗にイクスの話をスルーしつつ会話を進めたつもりだが……イクスの菫色な瞳は、とても真剣で。冗談じゃないの? 本気で私をずっとおんぶに抱っこで生活するつもりなの……?
私が疑惑の目を向けると、イクスは椅子に座る私に対して跪いた。そして、私の手を取る。
「この不肖イクス――貴女様のためならば、一生貴女様を抱えて生活することも厭いません。貴女様の食べる物も全て手ずから俺が作り、貴女が身につける物、触れる物も全て……あぁ、想像するだけで」
ねぇ、イクス。私の手の甲に口付けした直後に自身の唇を舐めるのはおやめなさい。このループ生活が始まってから、ちょっとずつあなたおかしいですよ? 私のことを大切にしてくれてるのはありがたいのですが……。
「ねぇ、イクス。無理して私についてこなくていいのよ?」
「は?」
ねぇ、イクス。その眼差し、怖いです。そんな射竦めないでください。これでも一応、私はあなたの主です。でも、あなたにもあなたの人生があると思うの。
「私について来るということは、国を裏切り、家督を捨てるということになるわ。私にそれを命令する権利はない。むしろあなたが私を無理やり引き止めて侮辱してきても、私はあなたを咎めないわ」
「俺の命は、貴女様のものです」
それなのに、イクスは即答する。
「俺の髪の先から足の爪の先まで、全て貴女様のものです。家の名を汚すことは、地獄で反省することにしましょう。貴女様がおわす場所こそ、俺があるべき場所――そんな俺を、貴女様はお捨てになると言うのですか?」
「イクス……」
「それとも、俺のことが嫌いになりましたか?」
……そんなわけ、ないじゃない。
嫌いだったら……そもそも初めて死んだ時、あなたを守ろうと身を挺したりしないわ。
「聖女やめても、一緒に来てくれるの?」
「勿論です」
イクスは私の膝に頰を乗せて、うっとりと笑った。
「あぁ、今日はなんて良い日なんだ……貴女が聖女じゃなくなる。もう、俺だけの……」
その恍惚な様子に、すこーしだけ嫌な予感がしないでもないんだけど――とりあえず、私の十二回目の人生は、聖女をやめてみることにした。
「では、決行は今夜で」
決めたからには、行動は早いに限る。
準備は任せろというので、私は誘拐等を疑われないように、しっかりと置き手紙を残して。
『もう疲れました。探さないでください』
まぁ、婚約破棄された直後だしね。くどくど書かなくても、勝手に察してくれるでしょう。
そして定刻、城を抜け出す。警備の隙なんて何のその。私もイクスも伊達にこの城で三年×十二回過ごしていない。
「今日だけは夜通し歩くことになりますが、おぶりましょうか?」
「自分で歩けるわ」
「横抱きでも構いません」
「だから自分で」
「またいつどこでバナナの皮が落ちてるかわかりませんよ⁉︎」
……ほんと、なんであの寝不足の時に限ってバナナの皮が落ちてたんだろう。いい加減忘れて欲しい。
薄暗い地下路。水滴がぽたぽたと細い足場を濡らし、確かに冒険者用のブーツを履いていても滑りかねない。でも気をつけていれば大丈夫だもの。
「とにかく大丈夫よ」
黙々と早足で歩いていると、灯りが増えていく。もうすぐ外に上がる階段があるだろう。
その時だった。
「ほら、ナナリー」
手を差し出すイクスが眩しく見えた。後光を浴びて、私好みの美丈夫が無表情で手を差し出してるの。
しかも、私を呼び捨てにして。
私は爆ぜる胸を押さえながら訊く。
「……イクス。今、なんて?」
「? 階段が濡れているから滑るぞ、と」
「そーじゃない! わ、私を、ナナリーって……」
違う! 動作の意味を説明しろということじゃない! 私をナナリーって、名前で……。
モジモジする私に、イクスは「あぁ」と納得が言ったようだ。
「申し訳ございません。これからは聖女をやめて一般人として生活するということでしたので、敬称や敬語は怪しまれてしまうかと……お嫌でしたら、今まで通りにしますが?」
ねぇ、イクス。どうしてそこで口角を上げるの?
わざとなの? わざと私を揶揄って悦に浸ってるの?
もう、私もどうにかしてるわ。
その顔ですら、かっこいいと思ってしまうだなんて。元より、あなたの顔はめちゃくちゃ好みなのよ。勘弁してちょうだい……!
「……構わないわ。私はこれから、ただのナナリーなのだから」
私は熱い顔を逸らして、彼の大きな手を取った。
そして町や村を転々と渡り、私たちは目的の辺境の村へとやってきた。途中で野宿したり、追っ手を撒いたり色々あったけど……これでも元聖女と専属護衛騎士だから。大抵のことはどうにかなる。
むしろ、心配性すぎるイクスの腕の中で寝たり、恋人同士のフリした方が危険だったわ。主に私の心臓が。
ともあれ、十日くらいかけて目的地に着いた私たち。夕暮れという時間帯のせいかもしれないが、崩れかけの茅葺き屋根が異様に切ない。人気のなさからか、風の音が異様に大きく聞こえた。
何故こんな寂れた村なのか――理由は簡単。地図にすら載っていないからだ。どうやら数年前から疫病が流行っており、病を拡大させないためにも王侯貴族たちはこの村の存在を隠蔽することに決めた。
本当、それを知った時は『なんのための聖女なのよ!』と憤ったわ。確か六回目のループ生活で国王陛下の治療薬を探している時に辿り着いたの。それ以降は毎度こっそりひっそりこの村に援助したり、疫病を払ったりしているのだけど……それが毎度バレて騒ぎになったことがない。ならば、今回隠れ住むのに最適かと思ったわけ。
「相変わらず……寂れてますね」
「黄昏てる暇はないわよ。早く復興させないと!」
「貴女様はのんびり生活がしたいのでは?」
相変わらず、二人の時は基本敬語のイクスさん。人前だとタメ口とか、普通逆じゃないかしらと思うのだけど……なんやかんや慣れというのもあるので、強く言えないでいる。
私は答えた。
「早く快適なのんびり生活を満喫するために地盤を全速力で整えるわけよ」
「なるほど?」
今にも倒れそうな村の門を見ながら、イクスが顎を撫でた。
「それなら、俺も全力で助力しましょう。とりあえず何をするにしても、人手が必要ですよね?」
そう言いながらニヤリと笑うイクスは、とても悪い顔をしていた。
「さぁ、抵抗するなら遠慮はしないぞ! それとも貴様らの方から首を差し出すか? その方が多少は痛い目に遭わないかもなぁ⁉︎」
夜。近くの山間にて。
私の専属護衛が楽しそうに盗賊たちを血祭りにあげていた。
……厳密に言えば、誰も殺していない。それでも一人の剣士から逃げ惑う盗賊たちの野太い悲鳴は、まさに地獄絵図。焚き火が広がったら大変だから、そっと神に祈る印を切り、聖なる力で消してやる。すると、
「ぎゃあああああ! 悪魔だ! 悪魔がオレらを食いに来たんだあああ!」
ひどいなぁ。私たちはお互いにメリットしかない提案をしに来ただけなのになぁ……。まあ、鬼教官リターンなイクスが怖いのは認める。顔がいい分ギャップで気迫も倍増なんだよね。
でも悪魔って。これでも、こちらは聖女一行なのに……元だけど。
でもその方が都合がいい? 郷に入ればなんとやら?
うーん……真似してみるかぁ。
私は神に祈りを捧げ、印を切る。手の甲の文様が光った。
すると、当たりの木々が次々に燃えていく――ような幻が映る。そう、真っ赤な幻。本当に燃やすわけないじゃない。危ないもの。
でも、幻でも効果は劇的だった。盗賊たちの悲鳴がもう言葉になっていない。私は声たかだか叫ぶ。
「聞きなさいっ! この辺り一帯は私が治めた! 今すぐひれ伏さないと私の可愛い下僕たちがおまえたちを食い殺すよっ!」
「ひいいいいいいいいいいいいっ!」
盗賊たちが、次々に膝をつきこうべを垂らしていく。……ちょっとだけ壮観だと思ったのは内緒。
私はぱちんと指を鳴らして、炎の幻を消した。
さて、ここからどうするかな……と考えていると、イクスがじっとこちらを見ている。
「どうしたの?」
「今の言葉はなんですか?」
「えーと……変、だったかな?」
あはは……やっぱりちょっと調子に乗りすぎたかな……?
こめかみをぽりぽり誤魔化していると、近づいてきたイクスが耳打ちしてくる。
「いえ、素晴らしいご対応でした。俺はあなたの忠実な下僕ですから……何も間違ってはおりませんよ」
ただでさえ耳元がボソボソくすぐったいのに、ぺろっと舐めた――舐めた⁉
慌てて顔を離して見やれば、イクスは愉悦たっぷりの目で笑っている。
「ただ、『たち』というのだけは取り消してください。貴方様の下僕は、俺一人だけで充分……そうでしょう?」
悪魔だ……私の従者、本物の悪魔だ……。
今日も私の大好きな専属護衛が楽しそうで何よりです。
疫病の改善自体、聖なる力を行使すれば解決は難しくない。
だけど、また新しい病原が猛威を奮いだしたら? 聖女がいなければ、また二の舞だ。
それにそもそも……そんな派手なことをしたら『聖女はここにいますよ!』と知らしめるようなもの。それじゃあ本末転倒だ。
その後、盗賊たちの調教(と、本当に言っていた)はイクスに任せて。
私は夜通し、村の井戸や近くの川を回った。病は衛生面の改善から。それは長年のループ生活で、特に国王陛下の病を治そうとしてから、嫌でも学んだこと。そのためには、清潔な水が不可欠だ。
だから、村の汚れた水を全て浄化する。根本からどうにかしようとすれば、一つの井戸に付き一時間くらいは祈る必要があるからね。三つの井戸。そして川はさらに二時間くらい。すべての汚れを浄化する頃には、朝日がすっかり昇っていた。
その頃、徹夜のはずなのに清々しい顔をしたイクスと合流する。
「イクス、元気そうね……?」
「生半可の鍛え方はしておりませんので。それに楽しい作業でしたよ」
その後ろに控えている盗賊たち……総勢三十人くらいは、みんなやつれてげっそりしているけどね! 何したの? 夜通しでどんな調教していたの⁉
イクスは胸を張った。
「ご安心ください。彼らはこれから志を改め、忠実なる村人になると誓ってくれました。きっとこの村の繁栄に命を賭けてくれるでしょう!」
ねぇ、イクス。私、初めて『忠実な村人』って言葉を聞いた。そして村の繁栄って命を賭けるものなの?
でも……病院の看病や掃除、食べ物の確保や炊き出し等、人手はいくらあっても足りない。
「それじゃあ……まずは――」
私は気だるい身体に喝を入れて、指示を出す。
「ナナリー。飯だ」
それから一ヶ月。
村は徐々に活気を取り戻し始めた。
病にふせっていた人たちも、清潔な環境と栄養満点の食事でだいぶ回復。今では村の復興に勤しんでくれている。
どこから栄養満点の食事が出てきたって? そりゃあ盗賊たちが貯め込んできた財宝を『善意』で『寄付』してもらい、近隣の町から材料を買い込んできた。炊き出しは最初だけイクスが教えて、あとはなんやかんやで総勢五十人くらいに増えた盗賊たちのお仕事。
……なぜ人数が増えたか? 聞いちゃいけない。強いてあげるなら、イクスのカリスマ性が増していることくらいかな。ともかく、イクスと私はそんな彼らと村人をまとめる復興作業の総監督みたいな役割だ。
だけど、私の食事だけはいつも別メニュー。検診がてら、まだ起き上がれない村人に炊き出しのくたくた野菜を混ぜたお粥を運んでいた私に、イクスが持ってくる。今日はオムライスらしい。夕陽を浴びて、ふわとろ卵が黄金色に輝いて見える。ほのかに甘い香りに、私のお腹が小さく歓声をあげた。
しかし、私は顔をしかめる。
「ねぇ、イクス……私もみんなと同じ食事でいいのよ?」
「何を馬鹿なことを。それでまた毒でも仕込まれたらどうする」
……そうね。それで死んだ時もあったわね。あれからどのループ生活でもイクスが私の食事を作るようになったのよね。
でもね、百歩譲ってイクス特製ごはんを食べるにしても、もっと他のがあると思うの。
「卵の在庫は少なかったと思うんだけど?」
「そんなの、あんたの分だけ別に仕入れているに決まってるだろう」
周りに炊き出しを手伝ってくれる村人もいるから、イクスはタメ口。
私たちは、か……駆け落ちした恋人ということになっている。親の反対を押し切って身一つで逃げ来た風変わりな善意の若者――ということで、けっこう村人に歓迎されてたりするのだ。どんな形にしろ、僻地の寂れた村に元気な若者が増えるのは喜ばしいのだろう。なぜかその二人を「アニキ!」「アネゴ!」と慕って(?)来る五十名あまりの体力自慢な取り巻きがいるから、尚更だ。
「でも、奪ったおたから……コホン。寄付も残りは少ないと思ったけど」
「安心しろ。俺が別途小遣い稼ぎしているから。俺の小遣いをどう使おうが構わないだろう?」
「まあ、そうね……」
そうね、と言いつつ腑に落ちない。だって小遣い稼ぎなんてする暇がいつあるの? 私もけっこう遅くまで井戸水の確認や悪化した病人にひっそり祈りを届けたり(本当にひっそりと)しているのだけど……イクスが寝ている姿なんて、ここひと月見てないわよ?
それなのに、片手にオムライスを持ったままのイクスは、空いた手で私の顔に触れた。
「でも、ナナリーが倒れたら元も子もないだろう。ほら、くま」
彼の指が、目の下の薄いところをそっと滑る。
「誰よりもあんたが栄養をとらないと。あんたがいない世界なんて、何の意味もないんだ。だったらこんな村も世界も滅んでしまえ」
ねぇ、イクス。毎日みんなで一生懸命復興作業に勤しんでいるのに、滅んでしまえはないと思うの。ほら、他のみんなもいるし。
……それなのに、どうしてみんな「今日もよろしくやってるわね〜」と生暖かい視線を向けてくるのかしら⁉︎ もうっ、イクスもいつまで触ってるの? くすぐったいわっ‼︎
私がふるふる首を動かし振り払うと、イクスが鼻で笑って見下ろしてくる。もう、もう! どうして夕陽を背にしているの? めっちゃくちゃ良い顔が神がかって見えるじゃないっ!
私はイクスの持つオムライスを奪い、自棄になって大口でパクリ。優しい甘さが口の中に広がって、頬が落ちるかと思った。
そんな日が続いて、三ヶ月。
今日は集落総出で麦の刈り入れ作業に勤しんでいた。かんかんの陽射しにやられないように麦わら帽子を被って。他の作物も順調に育っているし、この調子でいけばそれらを町に卸して集落が潤すことができる。人手もさらに増えたしね。イクス調教済みの体力自慢が八十人くらいはいるはず。さらに、ひっそり聖なる力で作物の成長をフォローしているのはここだけの話。
朽ち果てた茅葺き屋根も、徐々にタイルや漆喰のものに変化させていた。黄金に輝く稲穂との対比が、遠目に見ても美しい。私がのんびり生活できる日も、そう遠くないだろう。
「ナナリーはそろそろ休め」
遠くから、同じように繋ぎに麦わら帽子姿のイクスが声をかけてくる。どうしてそんな格好でもカッコいいのかしら? そんなくだらないことを考えながらも、私は首を横に振った。
「まだ作業始めて一時間よ? まだまだいけるわ」
「あんたの『まだまだいける』は信用ならん。それで何回死んだんだ?」
ちょっとループのこと言ったら……⁉︎
だけど一緒に作業しているみんなは微笑ましいものを見るように「またかー」「今日も見せつけてくれるねー」とあたたかい野次を飛ばしてくるのみ。もうっ、私たちは見せ物じゃないのよっ⁉︎
だけど、「ほら」と言うイクスは一向に眉間の皺を緩めてくれないから……、
「お水飲んだらすぐ再開するからね!」
と、木陰に向かおうとした時だった。
「ようやく見つけたぞ! ナナリー=ガードナー!」
声の方を見やれば、見覚えのある黒髪美青年がそこにいた。
齢は私より二つ上の十九歳。だけど、きらびやかなはずの衣服はボロボロで……ぜいはあ、と息が荒いが間違えない。彼こそ私の元婚約者ミーチェン=ウィルス=アルザーク。このアルザーク王国の王子である。
うわぁ、なんでこの人ここにいるんだろう? 害意持っている人は入ってこれないような結界を集落に貼ってたんだけどな。ボロボロだから執念で入ってきたの? あるいは普通に害意がない……いや、それはないな。顔がめっちゃ怖いもの。
私が口を開こうとしたとき――は、時すでに遅しだった。イクスの号令がかかる。
「野郎ども、敵だ! 生死は問わん。総員、かかれぇ‼︎」
「生死は問うて⁉︎」
王子です! 今にも行き倒れそうなボロボロですが、見間違えることなく我が国の正当なる次期国王様です。殺さないで? 躊躇いもなく多勢に無勢でなぶり殺そうとしないで⁉︎
長男は早くして病で亡くなっちゃったからね。第二王子が必然的に第一王子に繰り上がったのは、五年前。ループ生活が始まるよりも前のこと。
とにかく、考えなしで攻撃してはならない高貴な方である。私がとっさに静止をかけると、イクスがむっとこちらを向いた。
「しかしナナリー。俺はあいつが嫌いだ。過去の無念を今こそはらすべきじゃないのか?」
「わ、私も好きじゃないけどさ……」
そりゃあ何回やり直しても毎度魔族討伐に兵をあげちゃう問題児だし。過去のループでは殺そうとしたこともありますけれど。でも……でもさ、でもさあ⁉︎
だけど、私が逡巡している間に事態は決していた。
「とりあえず殺さない程度にかかれえ‼︎」
「おおおおおおおおっ!」
幸か不幸か、元盗賊たちはみんな鎌を持っていた。収穫中だもんね……我が集落の体力自慢たちに襲われた王子の無惨な絶叫が青空に響き渡る。
鎖で木の幹にぐるぐる巻かれたミーチェン王子のすぐ横に、イクスは剣を突き刺した。
「選ぶがいい――目を抉られるか。耳を剥ぎ取られるか。男の沽券が死ぬか」
ねぇ、イクス。これじゃあどちらが悪党かわかりません。取り巻きの元盗賊さんたちも同情の眼差しを向けています。ミーチェン王子もガクブルで顔が真っ青じゃありませんか。
とりあえず、私はイクスの肩を叩く。
「代わります。イクスは少し頭を冷やしなさい」
「俺はこれ以上ないほど冷静だそ? 本来ならナナリーを見た者には死を、ナナリーの声を聞いた者にも死を与えたい所を……俺はこんなにも温厚に始末しようとしている」
「……その理屈だと、私は誰にも会えなくなってしまうのだけど?」
「理想的ではないか。のんびりとした毎日を過ごしたいのだろう?」
……さも当然とばかりに反応されても、どうしろと? 引きこもりは良くないって過去のループ生活で学んだつもりだったけど? とりあえず『のんびり』の定義からじっくり話し合わないといけないことはわかった。
とりあえず、ミーチェン王子が本気で粗相しそうなくらいに怯えているので後回し。粗相を見る前にどうにかしないと。だけど、私がどうする前にミーチェン王子が叫んだ。
「今生の頼みだ! 城に戻ってきてくれ、せいじょ――」
だけど最後まで言えずに。その口はイクスに塞がれた。イクスが何か楽しそうな顔で王子に耳打ちしている。それに、ミーチェン王子の顔はさらに青ざめたけど……もう怖いから聞かないことにしよう。
代わりに、私はイクスに命じた。
「人払いを」
「わかった」
イクスが一瞥すれば、鎌を持って取り囲んでいた元盗賊たちはそそくさと立ち去って。生暖かい風が、私の珊瑚色の髪を大きく靡かせた。
私はミーチェン王子に言う。
「置き手紙は読んでくれたのでしょう? どうしてはるばるこんな所まで?」
「だ、だから、君に戻ってきてもらえないかと!」
「わざわざ殿下みずから? それに兵士らはどうしたんですか?」
唯一の王位継承者が、護衛も付けずにこんな辺鄙な場所まで来れるはずがない。私の質問に、殿下は苦渋の表情を浮かべた。
「……どうせ君が結界を張ったのだろう? 入り口で入れずじまいだ」
「殿下は私を攻撃するつもりはなかったんですか?」
「戻ってきてもらいたいのに、君を害してどうする。……まあ、僕を支持してくれる者たちは聖女を不要だと思っているものも多いらしいが」
そういった話は以前からあった。聖女が活躍すればするほど、民衆は聖女を支持する。代わりに、王位権力を軽視する兆候があると。だからこそ、わかりやすく聖女を取り込もうと婚約が結ばれたのだ。
代々聖女を輩出している我がガードナー家も、遠縁では王族と繋がっているらしいし、私自身王の座を乗っ取ろうだなんて考えたこともない。だけど、現国王陛下が病に伏せりがちな今、次期国王の座について色々画策する者もいるのも不思議ではない。国という大きな単位が、一枚岩で動けるはずないのだから。
……こうしたゴタゴタが面倒で、聖女をやめたというのもある。まあ、そのついてきた兵士の中には『聖女の首を持ち帰って来い』なんて命令を下されている者もいるのかもしれないわね。イクスの手前、口にしないでおくけれど。
だけど、その聖女に婚約破棄を言い放った殿下が私を頼るの?
「ですが、宜しいのですか? あなたのお立場を危うくする私が戻っても?」
「戻ってきてくれるのか⁉」
「それは丁重にお断りするつもりですが」
と言いつつも、事態によっては多少の譲歩はしなくちゃかな……なんて考えてしまっている私も、しょせんは聖女なのか。ただのお人好し馬鹿なのか。
口を「むっ」と尖らせた王子は言う。
「……聖女の治癒を求める者大勢が陳書をあげてきている。このままでは多くの者が命を落としてしまう」
「でも、今まで私が治癒してきた人たちは、皆貴族や豪商の人ばかりでしたよね? 多額の寄付がないと私まで話が届いていないようでしたし。公にはしていませんが、今も同じくらいこちらの地区の人たちを癒やしております。殿下は人の命に大小を付けると?」
ちなみに両方どうにかしろと言われても無理です。それこそ私が過労で死んでしまいます。二回目のループ生活でそれは実施済みです。そりゃ、私がいないことにより助からない命が……といわれて、昔だったら心が揺れ動いていたかもしれないけど……。
だけど王子は「むむっ」と怯んだのち、さらに続けた。
「聖女が謀反を起こそうとしていると、ガードナー家ならびにレッチェンド家を貴族連盟から追放しようという話もあるんだ。家族が大事ではないのか?」
「それでは、家族に言付けをお願いできますでしょうか。私個人を除名してください。どんな汚名を被せてもらっても構いませんが……神に誓いましょう。決して国に仇なすつもりはございません」
家については……もう本当に申し訳ないとしか言えない。お父様、お母様、ごめんなさい。不肖の娘、聖女として働くことに疲れました。これ以上は迷惑かけずに生きて行きますから、どうかご勘弁を。
「ずいぶんと厳つい輩を引き連れているようだが?」
「……殿下ともあろう方が、人を見た目で判断してはなりませんよ」
イクスの一声で動く我が集落の体力自慢たちは、あくまで善良な人たちです。きっと今も率先して収穫作業に勤しんでくれていることでしょう。うん。
それでも、ミーチェン王子はさらに「むむむっ」と論を講じた。
「父上……国王陛下が、やはり僕と婚約を結んでもらえないかと言っている。ぼ、僕も昔はああ言ったが……君を手放して、君の大切さが身に沁みたんだ」
「そのお言葉が真だと命を賭けることができますか?」
「え?」
ほら見て。イクスが再び剣を構えました。こちとら、何度あなたに婚約破棄を言い渡されたと?(あなたは一回しか言ってないと思いますが)
それに、過去にあなたと婚約を続けて私が恨まれた経験がありますからね。同じ轍は踏みません。あの頃よりちょーっと私の専属護衛が激情型になったような気がしますけど……気にしたら負け。気にしたら負け!
「……すまん」
殿下はにっこりと微笑むイクスを見て、竦み上がる。大丈夫です。嘘だとはわかってましたから。
だけど殿下はさらにがっくりと肩を落とし……その声は、とても小さいものだった。
「僕じゃ……誰もついてきてくれないんだ……」
「殿下?」
「父上の公務が難しくなってきている今、当然僕が代わりを務める機会が増えている。それでも、君に頼らなくてもやっていけると思ったんだ。頼ってはいけないと思った! だから婚約破棄を申し出た。だが……」
その声には、涙も混じっていた。私はあえて目を逸らす。
「結局君がいなくなってから何一つ上手く行かない。聞こえてくるのは『兄上がご存命であれば』と悔やむ声ばかり。僕を支持してくれている者たちも、僕を傀儡の王にしたいのが目に見えている。そ、それでも民が平和ならば、僕は責務を全う出来ているのかもしれない。だけど……それこそ何か大きな成果でもあげないと、父上が安心して天寿を全う出来ないのではないかと……」
……ちょっとだけ同情しないでもない。殿下にのしかかるプレッシャーは、とても大きなものだと思うから。それから逃げ出した私にとって、逃げない殿下のことは尊敬する。
だけど、物事にはやり方ってのがね……⁉
「もしかして、その大きな成果が『魔族討伐による領地の拡大』とか仰っしゃいます?」
「さすが聖女だな。そこまでお見通しか」
肯定しないでください! あなたの偉業のために、私は何度死んだとお思いですか⁉
もう言っちゃおうかな。全部言って、そのせいで私は何度も死んでいるから勘弁してくれと頼んでみようかな……でも、そうしたらそれこそ城で『保護』という名の隔離生活が始まるのかな。それはそれで……嫌。村人たちと交流して、みんなで麦を育てたりする生活が気に入っていたのに。
私がどうしようかな、とため息を吐くと。いつの間にかイクスが苦笑している。何を笑っているの? と視線を向けると、彼は「すみません」と謝罪してから、耳打ちしてきた。
「そんな神妙なお顔をなされないでください……食べてしまいたくなる」
「何を⁉」
ボソボソとした吐息がくすぐったくて耳を覆うと、イクスは楽しそうな顔をしたまま――剣を振るった。――だけど私の背後で切り裂かれたのは、ミーチェン王子を捕らえていた鎖。ガシャリと落ちたそれに、自由になった王子もまばたきを繰り返すだけ。
イクスは剣先を王子に向ける。
「彼女を返してほしくば、俺に剣で勝ってからにするんだな」
『え?』
思わず、私と王子の疑問符が重なった。
ねぇ、イクス――あなたは急に何を言っているの?
だけど、彼はとても楽しそうに笑う。
「俺は聖女を誘拐した大悪党だ。その首を持ち帰り、聖女を救出したならば――それは充分な功績になるのではないですか?」
「それは……」
「殿下の仰る『厳つい』輩を牛耳り、一つの集落を制圧しているのです。多くの兵が近寄ることもできない悪党を討伐して帰る……あげくに地図からも消えた占領されていた領地を奪還復興させれば、それこそ魔王を倒す勇者として、堂々と凱旋できるのでは?」
「だ、だが……」
ミーチェン王子が言い淀むのもわかる。
この王子が武芸に秀でているなんて話、一度も聞いたことないもの。色男だけど、見るからに細いしね。とてもじゃないけど、ずっと剣を振ってきたイクスに勝てるとは思えない。
それでも、イクスは剣を振る。それに「ひぃ」と驚いた王子は背を木の幹に当て、そのままズルズルと腰を抜かしていく。そんな無様な王子を見下ろすイクスの目は真剣だった。
「ようは、堂々と『次期国王は自分だ』と言い張れる自信が欲しいのでしょう? 俺はいついかなる時でも、貴方様からの挑戦を受けますよ。俺からナナリーを奪おうとするものは、総じて皆、敵ですから。容赦はしません」
そう言い切ったイクスは、いつになくとってもよい笑顔を私に向けた。
「そういうわけで、ナナリー。貴女様は皆の元へ戻って、収穫作業を続けていてください。初めてなので、多分数刻もしないで、俺も戻ると思いますから」
「え、えーと……イクス。殺しちゃ、だめよ?」
「えぇ、勿論ですとも。俺が貴方様の命に従わなかったことがありますか?」
イクスは跪いて、私の手を取る。そして甲にそっと唇を落とした。
見上げてくる彼の顔は、とても美しい。寂れた集落の片隅で行われている行為とは思えないほど、洗練された動きだ。
彼は立ち上がると「行って」と私の背中を押した。名残惜しくないのだが……
「さあ……調教の時間だ」
「ぎゃああああああああああ!」
王子の絶叫が、集落中に響き渡る。
うん、今日はとてもよい天気だ。
それから王子が集落に足繁く通うようになった。馬を飛ばしてもまる一日はかかる距離なんだけどね。忙しい公務の合間を縫って、イクスにぶっとばされて――ついでに一行ともども集落の復興作業を手伝わされて、数日で城に帰っていく。
頻度は月に一度程度とはいえ、あれから一年も経てば、心無しか身体や顔付きもたくましくなったような気がした。今は剣だけではなく、マイ鍬を持参してくるくらいだ。鬼教官イクス、恐るべし。
「では、また今度。その時には新しい苗でも持ってこよう」
「助かります」
こうして今日もミーチェン王子一行を見送って――イクスは肩を回しながらため息を吐いた。
「やれ、ようやく帰りましたか」
「あれ? イクスも結構楽しそうにしてたと思うんだけど」
何気なく振り返るも――イクスのこめかみがピクピクと動いていた。
「イクスも? まさか貴女様はヤツに会えて嬉しいのですか?」
「はは、まさかぁ……」
あ……これ、ダメなやつ……。
よし、とっとと話題を変えよう。
「そ、それにしても、この集落もずいぶん綺麗になりましたね。もう村と言っても差し支えないくらい」
「……あの王子が来るようなってから、さらに人手や使える金も増えましたしね。このまま発展を進めれば、王子御用達の別荘地として人気が出てくるかもしれません」
その明るい展望に、私は思わず苦笑した。
「そうなると騒がしくなりそうね」
「ではやめましょう。貴女様がこれ以上人目に付くのは不本意です」
せっかくの前向きな話題を、イクスは即座に否定する。「さて、夕飯の支度をしないと」と背中を向けた彼に、私が問いかけたのはちょっとした気まぐれだ。何度も(彼は一回だけのつもりなのだろうが)私に婚約破棄を告げた男が清々しい顔をするようになったから――少しだけ悔しくなったのかもしれない。私はもっと幸せなんだぞって。
「イクスは……私のことが好きなの?」
「えぇ、愛しております」
「わ、私も――」
それを告げようとした時、私の口をイクスの手が押さえた。その上から、イクスが口付けてくる。
一瞬伏せられた長いまつげ。そして開かれる菫色の瞳。それらを間近で見せつけられるも、その温もりは伝わってこない。
イクスは微笑む。
「その先は、まだ聞かないでおきます。もっと、貴女様が俺を求めてくれるまで」
「……え?」
「もっと俺を欲して。もっと必要としてください。俺なしでは生きられないようになりましょうね」
その蕩けた顔は、とても幸せそうで――。
私は何度人生を繰り返しても、彼から離れられそうにない。
《完》
数多くの小説がある中、本作をお読みいただきありがとうございました。
今回は短編で仕立ててみましたが、書いているうちに長編でも書きたいと思えるような作品になりました。
感想はもちろんのこと、広告下に評価欄がありますので、応援(☆☆☆☆☆→★★★★★)いただけましたら、今後の励みと作品づくりの参考になります。
またもし宜しければ、お気に入り作者の一人に入れてくださると嬉しいです。
重ねてになりますが、最後までお読みいただき誠にありがとうございました!
ゆいレギナ
2021.9.15追記
こちらの短編を原案にした連載をはじめました!
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