2:クラスアップ・トラベラー
後ろで結んだ黒髪は、凛と流れて気品を示し。黒曜石の様に煌めく両眼は、常にまっすぐ前を見据えている。
立てど座れど歩けど白百合。明星学園を主宰する財閥の令嬢にして学生唯一の竜滅等級、鴇巣純。
入学式のあの日を思い返してみる。
全校生徒代表として壇上に上がった彼女を見て、やっぱりおかしくなってたと思う。
両親を失って親戚中をたらい回しにされ、学校にも馴染めず虐められていた五歳の頃。そこから救い出してくれた純様。
その十年分の思いを、抑えられなくなっていた。
式を終えて帰宅する生徒たちとは逆に、また校舎へと走った。
駆け回って探し出した純様の後姿は、女神さまの彫像の様。窓から差し込む光は、ステンドグラスを抜けたみたいに色づいて見えた。
言うんだ。ずっと、伝えたかった事。
「……貴方のために此処まで来ました!!
今度は、オレがあなたの力になりたいんです。
だから、どうか、傍に──」
「──すまない。」
振り返って、少しだけ困ったような顔をして、酷く優しくそう言って。
全部、言わせてもらう事すらできなかった。
「君の気持ちは、本当に嬉しい。
だが今の私は生徒会長として、公平に在らなければならない。
誰か一人を特別に、傍に置く事は出来ないんだ。
……本当に、すまない。」
言葉は丁寧で、君は悪くないというように。
当時は本当につらかったけど、思い返せばこの上なく気を使ってくれていた。
だって今の純様は生徒会長として、竜滅等級の探索者として様々な責を負う立場。
誰かを特別に扱うことはできないんだと、こんなに優しく教えてくれていたのだから。
次の日、この一件は何故か学校中に漏れていて。
異界工学科に勇者現る!なんて話題になり、クラスメイトからのあだ名が一時期勇者になった。
そんな、事が在ったから。
「無理すんなよー。ぶっちゃけ気まずいっしょ。」
「仕方ないよ。オレが馬鹿だったんだし。」
生徒会室へ向かう廊下。口ではそう言えるけど、足取りは重い。
冷静に考えて、入学初日にあんなことをした自分が悪い。自業自得。
こんな姿になっても、純様は絶対に弄らない。わかってる。
だとしても、やっぱり。不安な物は不安だ。
「入るぜ。いいんだな?」
徒歩二分の距離が一時間にも感じた。ようやく生徒会室の扉に辿り着き。
「大丈夫、行こう。」
顔を合わせるのはあの時以来。あの時は、覚えて貰えているかもわからなかったけど。
もう高望みはしない。せめて、名前を呼んでくれたら。
心臓がまるで太鼓。破裂しそうな鼓動を抑えて、生徒会室へ踏み出した。
「由良夏希君、三部猛君、よく来てくれたね。」
整頓されて、埃一つない空間に、一人。日差しを受けた純様が微笑んで。
真っすぐ目を見て、名前を呼んでくれた。
「由良君は、ココアが好きだったと思って。あの頃と好みは変わってないといいんだが。」
「……もう十年もたったのに、覚えてくれてるんですか?」
「当然。一度顔を合わせた相手を忘れる事など無いよ。
それに仕草も、言葉遣いも、何も変わってないからね。」
テーブルに用意されている二つのマグカップ。片方は珈琲。もう片方はココア。それは十年前、自分が好きだと言ってたもの。
十年前のことを覚えてくれてただけじゃない。
当たり前みたいに、変わらないと言ってくれた。ちょっと泣きそう。
「三部君は珈琲で構わないかな。砂糖とミルクは好きなだけ、ここにあるから。
いささか質素な歓迎ですまないが、寛いで欲しい。」
「あざす!!姉さん思ったより優しいっすね。」
「当たり前だろ、純様を誰だと思ってんだ!」
誰を相手にしているのかわかってないのか、猛は驚くほど普段通りに接している。
「随分と距離をとった呼び方をするじゃないか。
見知った仲だ。純で良いよ。」
「……そ、そんな!生徒会長を呼び捨てなんてできませんって!」
「ふふっ。呼び捨てるのが難しいなら好きに呼んでくれると良い。
様を付けられるのは、少しむず痒く感じてしまうから。それ以外だと嬉しい。」
「じゃあ、純さん……で。」
大丈夫かな。耳まで赤く成ってないかな。
十年間憧れ続けた純様と、こんなに他愛のない会話が出来るのが信じられない。
ヤバイ。蕩けちゃいそうで、体が熱い。
心配していたことは何もなかった。
体が変わっても、あんなことがあっても、純様は純様として接してくる。
そんな事で、動じる様な人じゃなかったのだ。
……告白が、歯牙にもかけられてないだけかもしれないけど。
「んで姉さん、本題の方は?」
自分は、この時間がいつまで続いたって良かったんだけど。
しびれを切らした猛が話を進めてしまった。
「そうだね、本題に入ろうか。
まずは管理局から君達へ謝礼が届いていてね。」
テーブルの上のモニターが点灯する。映し出されたのは、端末のアイテムボックスと同じもの。
そこには一つ、魔石だけが入っていた。
「変異種の居た地点から発見されたそうだ。
これは、君たちにこそ手にする権利がある。是非渡してくれと言っていたよ。」
表示をよく見れば、それはただの魔石じゃない。
サイズは、あの牙うさぎからとれたものの何百倍───数十万円はくだらないサイズだ。
「マジでマジっすか?これ貰って良いんすか?」
「変異種を討伐したのは君達だろう。私も遠慮しないで良いと思う。
変異種討伐はプロでも危険だと言われる案件、学生の身でそれを成すのは正しく偉業だ。
私からも、礼を言いたい位だよ。」
「………っしゃぁぁああ!!!夏希、これお前のもんだぜ!!
なんでも買えちまうぜ、何する?何する?」
「──でしたら、これは学園に寄付します。」
は、と口を開けて猛が見ている。純様も、少し面食らったようだ。
「これだけの魔石はそうそう見つからない。学園の財とする方が意味があります。
それでもと言うのなら、この魔石の価格の半分を猛に渡して下さい。
オレの分は、純さ・・…さんに捧げます。」
今度は自分が力になりたい。その気持ちはずっと変わってない。
「夏希ぃ……マジで良いの?……」
「うん、オレはいいよ。お金は別に欲しくないし、持ってたって仕方ないし。」
「……わかった。君の気持、受け取らせてもらう。
この魔石は学園で預かり、報酬は三部君に手渡そう。」
そう言って、純様は笑ってくれた。
これでいいんだ。この表情を見られたら、それでいい。
「本題は、もう一つあるんだ。
君たちが来るまでは悩んでいたんだけど、今はもう悩みは無い。
──獣滅等級試験を受けてみないか?」
今、呼び出してまで話そうとした理由がわかった。
等級を学生時点で取得するのはかなり難しいとされている。
そもそも、全探索者の7割は等級なし。獣滅等級ですら、合格率は十分の一しかない。
等級の取得は、特級科への転科にも大きく貢献すると聞く。
それを提案するということは、つまり。純様は、俺たちに期待してくれてるんだ。
「でも、俺まだレベル12っすよ。
獣滅でもレベル20が条件っしょ?そもそも受けれねぇっす。」
「何らかの成果を見せた場合は、推薦により条件が緩和されるんだ。
君達の実績なら、受験資格は十分にある。
危険な試験だ、私からはあくまで提案しかできないが……」
試験内容は実際に強力な魔物との戦闘。試験のたびに怪我人が出ている。
危険なのはわかってる。でも、純様が期待してくれてるなら選択肢は一つだけ。
「──やります!!」
確かな意思を視線に込めて、純様へそう宣言する。
期待されたなら、応えるしかない。
「……夏希が言うんなら、俺もだな!」
遅れて猛も、拳を握って受験の意思を言葉にした。
「ありがとう。
君達なら、間違いなく出来ると信じているよ。」
純様は微笑んで、背中を押してくれた。
それから手渡されたのは試験説明会の場所と日取り。週末、そこで正式に試験内容が発表されるのだ。
一度は諦めた道に、また希望が見えたなら。きっと何だって出来るはず。