六話 守護梟のラス
須戸は、自室に戻ってベッドに突っ伏していた。如何にこれが今生の別れとなるかも知れないからと言って、あんな無茶をしたのはやり過ぎだったのではないか? そんな後悔がゲリラ豪雨のように激しく須戸を苛む。
「……っ!」
一人で枕を抱えて足をバタバタとさせていたが、流石に落ち着いたのか小さく咳ばらいをしながら体を起こした。そして、晃人がいるであろう部屋の方角を愛しげに見つめてから、着替えるべく立ち上がった。
暫くして、玄関の扉を開けて出て行く者があった。普段の黒を基調にしたゴスロリの格好に戻った須戸である。背には銘は無いが、数百年愛用している大太刀。足音も無く気配も感じさせずに歩く彼女は、そっと指先を唇に宛がい、弟子である晃人と交わした口付けを思い出した。
「儂には過ぎたる思いだ……。末永く、元気でな、儂のいとし子」
晃人の部屋に灯っている灯りを一瞥して、顔を前に向けると須戸はギョッとして立ち止まった。梟のラスが羽を大きく広げて待ち構えていたからだ。ラスの双眸はオレンジ色の輝きを放っており、二つの日輪が闇に浮かび上がったようにも見えた。
「ラ、ラス……」
「ボクね、この国で好きな言葉あるの」
「な、何だ、藪から棒に……」
見つかったと思った須戸は、思わず相棒の名を呼び、相棒であるラスは唐突に場違いな事を言い出す。その意図を掴みかねた須戸は、恐々と問うと梟は大きく羽ばたいて……。
「報連相!」
と、叫んだ。
途端に須戸は晃人の部屋を慌てて伺う。心臓がバクバクと激しく動いているのが分かる。特に動きもない事を確認すれば、ほっと息を吐き出してラスを睨む。色々と踏ん切りをつけて一人で戦いに赴こうと言う自分の思惑を粉砕しかねないラスの行動に、須戸は怒りを覚えていた。
「いきなり、どう言う心算だ……」
「それは、こちらの言葉だよ、須戸。晃人を置いていくのは無責任じゃない?」
途端に須戸は、水をやり忘れた朝顔の様に怒りがしなびてしまった。反論すべき言葉は幾らでも頭の中に浮かんだけれど、そのどれもが勝手な言い分でしかないと彼女は気付いて居たからだ。
「――」
「今日、何が在ったか分からないけれど。晃人は随分と喜んでいる。でも、それが今生の別れの為の行いだと知ったら、酷く傷つく」
「……それは……」
「須戸にも理由があるのは分っている。だから、報連相!」
力強く告げられた須戸は、背負っていた大太刀を降ろして、玄関前の石段に座り込んだ。大太刀と膝を抱えながら、本日の出来事をラスに報告し始めた。
一方の晃人はパソコンを前に座り、マイク付イヤホンを付けてウィリアムと会話をしていた。本日遭遇した相手の報告の為だ。
「なんてこった! 本当に日本に行ってたなんて……。アキヒト、場合によってはとてつもない難しい仕事になるぞ……」
「そうかな? 『B』理事も動いているんだろう? 報告がいけばスペシャルチームでも送り込むんじゃないか?」
「甘いな、アキヒト。僕の所に情報が来た理由を考えろ。『B』理事が秘密裏に指輪の始末をつけたいと思えば、白羽の矢が立つのは君だぞ。精鋭で口が堅く……何より君は一人だ。それに……ご家族も関係者なんだろう?」
人の良さそうなウィリアムは、心配するように眉根を寄せて問いかける。彼にはある程度の事は話しているから、余計に心配なのだろう。家族を失った経験のあるウィリアムは、誰のものであれ家族の絆が脅かされるのを嫌う。
「ああ。家族と呼んで良いのか、分らんが」
「家族で良いんだ。ペアレントとかワイフとか呼び方は何でも良い、この仕事を全うするには繋がりは重要だ。君はそこを軽視する傾向があるが」
「何で親か妻なんだよ……!」
「――君が奥手なのは知っているが、僕の言いたいところはそこじゃない」
気恥ずかしさからくる怒りをウィリアムは冷静に捌いて話を続ける。
「ともあれ、頼れる家族なんだろう? 状況を確認し合って、協力するんだ。並みの人間ではない、高位悪魔の一人であるのならば互いに無事に切り抜けられるはずさ。くれぐれも、一人で抱え込むなよ」
「――分ったよ、気を付ける。……明日には荷物が届くんだよな? 行動は荷物が届き次第開始する」
「おっと、そうだ。荷物は日本皇国の憲兵局に送られる手筈になっている。狩人としての活動中は君もMPの一人だ」
「皇国には欧州のような狩人権限はないからな、了解した」
「無事に狩りを終えたら、土産の件、忘れないでくれよ」
「――ああ、はいはい。『画面より這い出る女VS階段をブリッジで降りる女』で良いんだっけか?」
随分と古いホラー映画のDVDを土産に依頼されていた事を思い出して、晃人は呆れたように返事を返す。カルト的人気が高くて、通販ではプレミアがついて高すぎるのだそうだ。B級以下の俗悪な映画を好む趣味さえなければ、彼もモテると思うのだが。そう言うと、妙なインディーズゲームを好む君は如何なんだと言われるのだが。
ともかく、報告を終えて通話を終えると、明日に備えて寝ようかと晃人は立ち上がり、何の前触れも無く、師である須戸と交わした口づけを思い出して、一人で悶絶した。
「……夜風でも当たって、気分を落ち着かせよう……」
このままでは、絶対にまずい夢を見ると真面目な表情で一人呟けば、窓ガラスを開けた。冷たい夜風に紛れて何やら声が聞こえてきた。如何やら師とラスのようだった。一体何の会話をしているのか気になった晃人は、耳を澄ませてみる。聞こえてきた言葉に、彼は、ドキリとした。
「チューしたの? チューしたの?」
「連呼するな、馬鹿者! は、恥かしいわ」
「そこから先は? 先は?」
「何も無いわ! 真面目な話をしているのに茶化すな!」
「――ちっ」
「舌打ち? 今舌打ちしたな、おい」
師匠と相棒の楽しそうな、そして幾分か面映ゆい言葉が飛び交っている。黙って聞くのは流石に悪いかと晃人はそっと窓を閉めた。つい先ほどまで、須戸がただ一人戦いに赴こうとしていたなど到底想像できない会話だったのは、晃人にとっては幸いであった。
翌日、朝起きた須戸はごろごろと昨日の行為を思い返しては、何とも言えない様子で悶えていた。完全に覚悟を決めての行動だったから、あんな振る舞いも出来たが、これからどの様な顔で晃人と話せば良いのかさっぱり分らない。三角のナイトキャップを被ったまま、ベッドの中をごろごろしているとドアがノックされた。
「師匠、大丈夫ですか? 何処か体調を崩されましたか?」
「っ! ――だ、大丈夫だ。今起きる」
慌てて時計を見やると既に朝の八時。如何やら三時間ばかりベッドの上でごろごろ悶えていたようだ。
(儂は阿呆か!)
自身を叱咤しながら須戸は慌てて起きて、着替えるべくクローゼットを開け放った。
程なくして、黒を基調にした、普段よりはフリルの少ない動きやすいゴスロリ服を纏った須戸が階下に降りると、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。見れば食卓にはベーコンエッグとトーストが並んでいる。三人分用意されており、その一席にラスがちゃっかり座っていた。正確には、椅子の背凭れに掴まっていたのだが。
「遅い、遅い」
「お前が作った……訳ではないか」
「晃人だよ。和食と違ってボクも食べやすい」
梟が皿に盛られたベーコンエッグを食う姿を想像して、須戸は肩を竦める。一人と一匹の時に比べて明らかにラスは良く喋る。テーブルの中央には灰皿とライターご丁寧に置かれており、須戸は煙草を吸おうと身に付けているポーチをあさる。
「口づけの味は煙草の味か」
「や、止めんか、馬鹿者!」
煙草を吸おうとした所、ラスに揶揄され狼狽する須戸。結局暫し迷った挙句に煙草をしまい込んだ。
「もう一回するから?」
「せんわ! くどい! 喧しい!」
昨日の行動を立て続けに揶揄されると流石に面白くない。須戸は荒い口調で言い放ってむっつりと黙り込んでしまった。流石にラスも悪かったかなと思いながらも、双眸を閉じて晃人が来るのを待った。
盆にコーヒーカップを二つ乗せて現れた晃人は、一人と一匹の状況に困惑したように一度足を止めた。それから、何とも申し訳なさそうにカップを須戸の前に置くと、自分も席に着いた。
「お気に召しませんでしたか?」
「違う。機嫌が悪いのはラスの所為で、晃人は何も悪くない」
「そうそう、機嫌悪いの須戸の所為、晃人悪くない」
食事自体は問題なかったかと安堵しつつも、何故に急に喧嘩しているのか理解及ばぬ晃人は一つ首を傾いで。
「昨夜はあんなに仲が良さそうだったのに」
「――! 昨夜って、玄関先の、あれを……聞いて居たのか?」
「窓を開けたら聞こえてしまいまして。悪いと思ってすぐに閉じましたが」
何処から聞かれていたのか、何処まで聞かれていたのか判断付かず、また昨日の一連の行為を思い出して頬を赤く染める須戸だったが、不意に晃人を睨むように見据えて言った。
「晃人! 儂は、アレだぞ! 昨日の行為は謝らんからな! す、す、好きでやった事だ、後悔も無い!」
「師匠、正直、どの様なお気持ちでキスをしたのか、私にはわかりません。ただ、私は嬉しかったのは覚えておいてください」
須戸よりは冷静さを見せる晃人の言葉に、須戸は思わず押し黙った。
(今嬉しいと言ったのか? 嬉しい? 本当に? ……何だ、この気持ちは……これを知らずに逝く心算だったのか、儂は)
頭の中を思考がぐるぐると空回りする。叫びだしたいような、そうでは無いような、何とも言えない気持ち。どんな顔をすれば良いのか分からずに、口を無理やりへの字にするが、それも中途半端で何処か笑っているようにも見えた。その様子を晃人は見詰め――。
「おなかすいた」
空気を壊すつもりはなかったのだが、中々食べ始めない二人を前に、思わずラスはそう呟いていた。