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91 劉備玄徳

「おいおい、なんで急に泣き出すんだよ。もう、袁尚のところにも、曹操のところにも行かなくていいんだぜ。あっ、そうか。甄梅も袁尚をぶん殴りたかったんだな。それで嬉し泣きか」

 能天気なことを言う粛に対し、甄梅は首を振った。

「そうじゃない。袁尚のところに行った後、その後はどうなるの? 結局、みんなとは別れなきゃいけない。また、あの徒長酒家の生活に戻らなきゃいけない。そんなのは嫌。ずっとみんなと旅をしたい」

 甄梅の気持ちも分かるが、無理な相談ではある。顔琉とは袁尚の元に向かうまでの契約なのだから。額彦命が宥める。

「確かに、私と顔琉さんとはお別れだけど、徒長酒家に戻ることない。審判さんと粛さん、ずっと傍にいる」

 いや、と審判は心中で否定した。審判は審配正南の総領なのだ。首に懸賞金ぐらいかけられていてもおかしくない。曹操の勢力下では明日の命も知れぬ身の上だ。曹操が天下を取れば、中華に安住の地はなくなる。とても甄梅を連れて旅などできそうもない。粛にしても鄴がどうなっているのか分からない。今すぐ飛んで帰りたいのを堪えてついて来てくれているのだ。審判としてはそんなに悲観するな。世の中何とかなるもんさと言う所なのだろうが、そんな無責任なことを言う気にもならなかった。

「困ったのお。ま、娘っ子のことはおいおい考えるとして、それぞれの身の振り方は袁尚を殴り飛ばしてから考えようではないか」

 顔琉が締め括ったものの、甄梅の件は四人に重い宿題としてのしかかっていた。

「私は曹操を討って、運命は自分の手で切り拓けることを甄梅の前で証明して見せたい。運命を受け容れることしか教えてもらえなかった甄梅に、生きる力を持ってほしい」

「その志は立派じゃがのお、志だけで刺客の本懐が遂げられれば苦労はない。荊軻や茫発が良い例だ。運命を切り拓きたいなら、他のことにするのじゃな」

 どちらも始皇帝の暗殺を義によって請け負い、失敗した人物である。顔琉は続ける。

「曹操をまぐれで討てたとしてもだ、生きて戻れる目は薄い。殺されては生きる力を与えるもなにもなかろうが」

「いえ、貴方には白狼山の土地勘があり、曹操にはそれがありません。また、曹操は軍の大部分を主攻軍に割いているため、曹操本陣の規模はさほど大きくない筈なのです。だから白狼山に陣取って守りを固めているのです。決して分が悪い勝負ではないのです」

 戦には審判に一日の長があり、顔琉は軍略的センスを欠く。そこが付け目だった。

「ううむ。そうは言うがのお、曹操とて暗殺には用心しておろう。危ない橋には変わりないわい」

 だが審判は引き退がらない。

「やるとなれば命懸けなのは分かっております。勿論ただとは言いません。貴方のご子息、顔良殿の死の真相をお教え至します」

 すると審判の首に顔琉の鉄棍がぐいと押し付けられた。その冷たさに思わず息を呑む。

「今、なんと言うた。小僧。儂を駆り出したいがために適当を言うようなら許さんぞ」

 殺気さえ感じる顔琉の迫力に呑まれつつ、審判は答える。

「いえ、今まで黙っておりましたが、私と粛は白馬津で顔良将軍の麾下に加わっておりました。お疑いなら粛にもお聞き下され。誓って出任せなどではありませぬ」

 顔琉は傍の石に腰掛けた。

「話せ」

「それは諾と受け止めて宜しいのでしょうか」

「いいから話せ」

 顔琉に促されるも、どこから話せばよいものか暫し悩んだ。やはりあの男のことから説明せねばなるまい。奇しくも曹操暗殺に失敗し、本拠の徐州を追われに追われ、袁紹の元に逃げ込んだ天下の梟雄、

 劉備 玄徳。

 の、ことを。

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