7 極め技
突如、大声が響き皆の動きが止まった。声の主は雷天だった。いつの間にかすぐ傍にいた。
「こいつは戦だろう。だったら双方の大将同士、一騎打ちといこうや」
そう言うと雷天は拳を突き出した。つまり、審判に喧嘩をふっかけているのだ。
「ふざけんな。これは模擬戦だぜ。。何でお前とそんなことをしなくちゃいけないんだ」
ルールを無視した雷天の申し出に粛が反発する。が、審判は粛を制して前に出た。
「よせ、審判。こんな挑発、乗ることない」
一見正論で粛は審判を宥めるが、本音は審判の実力では雷天には及ばないこと、雷天は審配の威光に恐れをなして手心を加えるような性格ではないという計算が働いていた。勿論、そんなことは粛に限らず、その場の皆も、審判自身もよく分かっている。だが、冀州の主戦論者の急先鋒の息子という立場が雷天の挑発を拒むことを許さなかった。
雷天、審判がにじり寄り、周囲は固唾を呑んで見守るばかりだ。両者お互いの間合いに入る。と、いきなり雷天が蹴りを繰り出す。現代で言うところのローキック。足元を狙う蹴りだ。審判はすかさず膝を上げこれを防ぐが衝撃は重く、防いだ足に激痛が走り顔をゆがめる。間髪いれず雷天、頭部を狙ったハイキックを入れる。まともに入れば頭に深刻なダメージを負う。が、これも審判は腕で防いだものの、やはり激痛が走る。しかし蹴りを入れた雷天の体が浮き、胴が空いた。審判は腰を落としてタックルを敢行。そのまま雷天を地面に押し倒すことに成功するが体格に勝る雷天がすぐに審判を押しのけ、地面を両者もつれ合いながら転がる。すると雷天は体を入れ替え、審判を組み伏せマウントポジションを取った。普通ならここで審判は成すすべなく頭の布を奪われ勝負ありとなるのだろうが、雷天にはそんな気はさらさらない。
「降参するか」
雷天が容赦なく聞く。
「誰が」
審判が笑みを浮かべ余裕を見せる。
有無を言わさず雷天の両拳が降ってきた。審判も両腕で防ぐが防ぎきれるものではない。周囲はもう、ことの成り行きを見守るしかできなくなっていた。
もう何発貰っただろう。審判の意識が遠くなってきた。だが、その中にあっても審判は起死回生の機を伺っていた。降ってくる拳を貰う覚悟で下からカウンターを繰り出すものの、そう上手くは当たらない。マウントを取られたら形勢は圧倒的に不利である。だが、審判が下から打撃を放つのは雷天の注意を逸らすための布石だ。反撃に用心して雷天の攻撃が僅かに甘くなる。その隙を見逃さなかった。雷天が不用意に打ち込んだ左拳に審判が前頭葉をぶつけ、打ち込んだ雷天の顔がゆがむ。瞬間、受け止めた左手首を審判が掴み、折り畳むように捩じると雷天が苦痛の声をあげ、思わず審判の体から離れ、逃れようとする。だが審判の掴んだ腕は命綱。決して離さず、今度は雷天の腕を脇に挟みこみ、そのまま地面に組み伏せた。と、同時に雷天の悲鳴が響いた。
見守っていた者は皆、我が目を疑った。体格も、腕力も、度胸も雷天の方が上であろう。その雷天が審判に腕を押さえられ、身動きが取れないどころか悲鳴を上げている。
審判がやったのは現代のプロレスなどで見られる脇固めという関節技なのだが、彼らはそんなことは知らない。プロの格闘家同士ならこうも鮮やかに決まることはないが、予備知識のない、ましてや子供同士の喧嘩ならこういうフロックが起こる。形勢は完全に逆転。審判がその気になれば梃子の原理で難なく雷天の左腕をへし折ることが可能だっただろう。
だが、銅鑼の音が響き、審判は雷天から離れた。白組の本陣が落ちたのだ。
皆が呆然としていると雷天が左腕を押さえて立ち上がり、鬼の形相で審判を睨みつけた。
「貴様。どういうつもりだ」
「勝敗はついた。俺達の負けだ」
審判がつれなくすると雷天が激昂した。
「ふざけるな。俺を虚仮にする気か」
すると別の声が響いた。
「お前達、一体何を騒いでいる」
悲鳴やら怒声やらが聞こえたので指揮官役の青年兵達が駆けつけてきたのだ。彼らは審判、雷天、そして周囲の者達の様子を見て察しがついたようだ。二人とも泥にまみれ鼻や口から血が出ている。模擬戦の最中、多少エキサイトして怪我してしまうのはよくあることだが、二人の様子は明らかにそんなものではない。
ルールを無視し私闘を行った二人は教官にきっちり絞られ、居残りで宿舎の片付けやら掃除やらをさせられることとなった。本物の軍隊なら命令違反は重罪である。そのあたりの信賞必罰は少年兵の頃から叩き込んでおかねばならない。しかし、二人の罰がその程度で済んだのは、やはり審配の息子ゆえのお目こぼしだろう。