85 武人張遼
「猪口才な。我らに騎馬戦を挑む肚か。向こうから来て探す手間が省けたわ。者共、張遼を討ち取るぞ」
冒頓が馬を嘶かせ、鉄斧を振るう。確かに今は敵中に孤立した形だが、大将の張遼を討てば形勢を引っ繰り返せる。烏丸は冒頓の指揮のもと、張遼軍に突撃。周囲は曹操軍の歩兵に囲まれ、唯一、こじ開けた後方に隙間があるだけだが、後続との合流を敵が必死に妨害している。最初から張遼は第一陣を分断させ、限られた騎兵を集中して運用する肚だったのだ。審判はここに至り、張遼の意図が読めた。
騎兵の数はほぼ同数。後続が合流すれば烏丸が倍する。それまでに張遼は勝負を決める気だ。かなりの自信である。
審判がまずいと思ったとき、既に冒頓は張遼軍に斬り込んでいた。冒頓は馬を縦横に操り、敵騎兵を寄せ付けない。続く烏丸の兵も張遼軍を圧倒している。やはり騎馬は騎馬民族に分がある。審判、額彦命も彼らに及ばぬまでも馬を駆り、敵を討ち取っていたが、次第に冒頓が突出し始めた。彼らの馬術に二人はついていけないのだ。その瞬間を見逃さなかった。突如、敵軍の中から数十騎の一隊が飛び出してきた。
「烏丸の将とお見受けする。その首、張遼文遠が貰い受ける」
青龍刀を引っ提げた一人の偉丈夫が名乗りを上げた。大将自らが決着をつけるべく乗り込んできたのだ。張遼を見るのは初めてだったが、その武名は聞いた事がある。侯成、魏続、宋憲らと共に呂下八健将に数えられ、戦上手で知られた男だ。呂布と共に曹操の前に引っ立てられた際も、命乞いどころか曹操を罵倒したという硬骨漢でもある。本陣に座して軍の指揮だけ執るような将ではない。
「冒頓殿、お退がり下さい。我々と合力して当たるのです」
審判が叫ぶより早く、張遼は冒頓を捉えていた。二騎がすれ違い様一合。
冒頓の一撃を張遼が跳ね上げ、石突で冒頓の胴をひと突き。冒頓は辛うじて落馬を免れたものの、がくりと馬の背に体を沈めた。
審判は慄然とした。冒頓の武力は決して低くない。馬術と組み合わせれば一軍の将足り得る。それが一合で返り討ちにあった。これは決して油断や出会い頭などではない。こんな武力を見せつけられては軍の統率さえ瓦解しかねない。
「張遼を止める。額彦命、続け」
冒頓の救援に駆けつけた烏丸を張遼は次々討ち取る。その勢いに配下の騎兵の士気も上がる。形勢が逆転しつつあった。李典、楽進、干禁。そしてこの張遼。曹操軍にはなんと実戦型の将が多いことか。その層の厚さに審判は戦慄した。
群がる烏丸を討ち取る張遼の不意をつく形で審判が側面から斬り掛かった。だが張遼に一分の隙もない。ぎろりと審判を睨みつけるや否や、すぐさま馬首を向け、青龍刀を打ち込んできた。審判が気合をいれ、これに合わせる。両者の得物がかち合い、金属音が響く。瞬間、審判に衝撃が走り、危く体ごと持って行かれそうになる。既のところで堪えたものの、眼前に張遼が再び迫り、青龍刀を第二撃目に繋ぐべく構えを取っていた。審判の脳裏に死が過ったそのとき、額彦命が横から現れ張遼に一撃を入れた。が、これも張遼は弾き返し、体勢を立て直す。その間に審判も張遼の射程圏から逃れたが、すでに戦意は喪失し、退散したと言っていい。一撃で分かったのだ。張遼との武力の開きが。とても適う相手ではない。額彦命とて危いであろう。だがあの男、顔琉ならば。しかしその顔琉は殿軍にいて暫く到着しそうにない。その間だけでも二人で持ち堪えられれば、審判がそんなことを考えていると額彦命が叫んだ。
「審判さん。こいつ、私抑える。審判さんは冒頓さん頼むよ」
審判は自らの戦意喪失を看破されたと思った。だが、果たして言われるままこの場を離れてよいものか迷っていると、
「早く」
再び促された。すると張遼、青龍刀を額彦命に突きつけ、
「俺を抑えるか。異国の武人。名を名乗れ。生まれは何処だ」
張遼の眼中に審判などすでになく、額彦命に意識が移っていたようだ。すると額彦命もこれに応じた。




