81 冒頓
五人は砦の大広間に通され、烏丸別働隊の隊長級と席を並べ、ひととおりの挨拶をする。もう彼らは顔琉が戦の助っ人として現れたものだと思い込んでいる。そんな中で審判達の旅の目的を告げるのは心苦しかったが、意外な事実を知ることになる。
「曹操は故安を落とした後、突如我らのところへ袁尚、袁熙の身柄を引き渡せと難癖をつけてきおったのです」
「なにしろ我々は袁紹が河北一帯を制しておった頃は協定を結び、国交もありましたからな」
審判達が言い出す間もなく、烏丸族は身の上話を始めた。
「言いがかりだ! 曹操はどんな口実をつけてでも、我らを攻め滅ぼすつもりなのだ」
「そうだ! 袁尚、袁熙など、おりもせん者を匿っていると言って聞く耳持たん。いない者をどうやって差し出せと言うのか」
これを聞いた五人は目を丸くした。審判が慌てて念を押す。
「待って下さい。袁氏の兄弟は貴方方を頼って逃げて来たのではないのですか?」
「なんだ? 巷ではそんな噂が罷り通っているのか? 確かに故安が落ちた後、袁兄弟は北方に向けて逃げたとは我らも聞いたが、それを我らが匿っているなどと、とんだ見当違いだ」
「それは確かなのか?」
顔琉が問うと、冒頓が神妙な顔で応じる。
「はい。我らも同じ疑念に囚われ、今、烏丸は疑心暗鬼に陥っておるのです。実は蹋頓単于が秘かに匿っているのではないか、あるいは他の誰かが、と。この隠し砦では柳城との連絡もつきませぬし、真相は藪の中です。みどもはそんなことはないと信じますが、そのため、烏丸の足並みが揃わぬのもまた事実です」
そうなると審判はお手上げである。すると別の烏丸の男が言った。
「もし匿っているのならとうに曹操に身柄を引き渡しておるわ。袁兄弟はきっと、遼東の公孫康のところへ行ったに違いない」
公孫康とは幽州の北東、遼東地方を治める豪族である。公孫瓚と同姓ではあるが、血縁かどうかは定かではないが、あまり関係はないと思われる。ただ、近い地域、同姓であることを考えると遠縁くらいにはなるのかもしれない。漢人とも騎馬民族とも判然としない。
余談だがこれより約三十年後、その公孫康の子、公孫淵なる人物が曹魏に反旗を翻し、燕王を名乗るも司馬懿仲達に滅ぼされている。
柳城に袁尚がいるものとばかり思っていた審判は途方に暮れた。ここより更に東の遼東に向かったと烏丸は言う。自分が追っている袁尚とは、実在する男なのか疑わしくなってきた。かつて狩りの場で自分に弓を向けたあの嫌な男が、夢か幻のような気がした。そうなるとすぐにでも遼東に向けて出発したいが、確証もないだけにそれもできない。張飛燕に一杯食わされたのだろうか。だとしたら何のために。審判は更に探りを入れてみた。
「では、仮に袁尚が匿われているとして、その身柄を引き渡せば曹操は兵を退くのでしょうか」
一同は押し黙った。曹操の目的が北伐なら袁尚など口実に過ぎない。烏丸の一人が口を開く。
「そもそも袁尚などいない。そんな仮定は成り立たない」
審判は烏丸が疲弊しきっていることに思い至り、敢えて反論しなかった。顔琉も考え込んだ。
「ふうむ。これでは埒が開かんのお。袁尚の身柄を確保したところで意味はなさそうだし、かといって公孫康を頼った所で協力は得られまい」
すると冒頓が口を挟んだ。
「ところで顔狼牙。先刻から何故、袁尚のことを聞かれるのか? それに、こちらの連れの方々は一体?」