71 裏切り者の挽歌
一行は数日かけていくつかの山を越え、壺関も大きく迂回してやり過ごし、ついに并州の州境まであと一歩という所まで来た。が、そこで遭遇したのは、追跡から逃れられた時のために李典が配置しておいた部隊のひとつだった。まさかこんな偶然で再開することになろうとは、どこまで腐れ縁なのかと審判達は呆れた。
「だっはっは。李典将軍にこの任務を命じられたときには体のいい厄介払いにされたかと思ったが、とんだ怪我の光明よ。やはり儂には天が味方をしておるのだあ」
馬上で羊耳は大はしゃぎである。背後の配下達はもう、うんざりしている風だ。
「親分も懲りんのお。ウチの豎子といい勝負だ。どうだ? こんな不毛な争いはもうやめにして、ここらで手打ちにせぬか?」
「油断させて寝首を掻く肚であろうが、そうは問屋が下ろさんぞ。飛んで火にいる夏の虫とはお前らのことよ。いかに貴様でもこのお方には適うまい。ささ、中郎将殿、出番ですぞ」
羊耳に促されて出てきたのはいかつい面の大男だ。大刀を構え、それなりの鎧を着ているが、目の焦点が合っておらず、ぶつぶつと何か言っている。
「俺は裏切り者じゃない。裏切り者じゃないぞ」
「分かっております、分かっておりますとも、侯成殿。ですから早く此奴らを血祭りにあげて、それを証明して下され」
その名を聞いた審判は、あっ、と思った。侯成は魏続、宋憲という仲間と共に、飛将軍とも呼ばれ、天下を一時は手中に収めかけた猛将、
呂布。
という男を裏切って曹操に寝返った男だった。呂布は一人で万の兵に匹敵すると言われたほどの強者で、その配下の将も「呂下八健将」などと呼ばれ、曹操を何度も苦境に陥れた。審判はその名をよく覚えている。というのも、その内の二人、魏続、宋憲を討ち取ったのが顔琉の息子、顔良将軍だったからだ。しかし侯成も元は将軍だった筈だ。恐らく曹操軍では裏切り者と後ろ指を指され、仲間の二人も失い、針の筵のような環境の中、中郎将に降格され、心を病んだのであろうと推測した。確かに馬上で大刀を構えるその姿は往年の荒武者ぶりを感じさせたが、挙動がおかしく、どこか病人じみていた。
「俺は悪くないぞ。全部劉備が悪いんだ。俺は騙されたんだ。陳親子に嵌められたんだ。俺は悪くない。俺は裏切り者じゃないぞ」
侯成は訳の分からぬことを喚きながら突進してきた。とても話の通じる相手ではない。
「お前達は娘っ子を守っておれ。儂が出るでな」
顔琉は甄梅を三人に預け、単騎、侯成を迎え撃つべく馬を飛ばした。二人の影が交錯し一合。強烈な金属音が響き、両者再び仕切り直す。侯成が大声で吠え、またも顔琉に襲い掛かる。力任せに大刀を振り回し、危なっかしいことこの上ない。が、そこは顔琉、侯成の太刀を落ち着いて捌き、僅かな隙を狙い攻撃を小さくまとめる。業を煮やした侯成が大きく振りかぶった。これで勝負は決まった。大刀が振り下ろされるより一瞬早く顔琉が侯成の胴を抜いた。侯成の体が馬から吹き飛ばされ、地面に落ちた。
「このまま敵中突破するぞ。ついて来い」
顔琉はそう叫ぶや、鉄棍を構え、羊耳目掛けて突撃した。
「行くぞ、甄梅。流の手綱をしっかり握ってろ」
審判と粛が甄梅の両脇を固め、顔琉の後を追う。顔琉は既に羊耳に肉迫。
「うお。来るぞ。守れ。早く儂を守らんか」




