61 叶わぬ弟子入り
壺関で散々に敗れた并州軍だったが、青熊にも膨大な犠牲が出た。その亡骸は仕方なく埋設処理されるのだが、汝唐はじめ青熊の古老達に請われ、甄梅が弔うことになった。その葬儀の場での甄梅の姿は実に神々しく、普段、甄梅を見ている審判達には別人に見えた。青熊の者達は尚更で、甄梅を巫女様、道士様と涙を流して感謝した。青熊では長らく死者を弔うことさえできなかったのだ。
「のう、豎子よ。今からでも決して遅くはない。袁家に仕えるのはもうやめにせぬか。娘っ子を連れて、共に逃げる肚を決めぬか。無道の君主に従って、無駄に命を散らすこともあるまい」
顔琉の言うことも分かる。しかし袁紹は倉亭での敗戦のショックで鄴に戻る途上で病没。その軍権を父、審配はほぼ手中に収めたものの、鄴で敗れ曹操に処刑された。どういう経緯でそうなったのかは分からないが主君に殉じた形だ。なのに息子の自分が命惜しさに逃げたとしたら。そう思うとどうしても今の使命を投げ出す気になれなかった。
「では、顔琉殿にひとつお願いがあります」
「おお、何だ? 何なりと言ってみろ」
「私を弟子にして下さい。私にも顔琉殿のような武力があれば、自信を持って生きてゆけます。命惜しさに袁家を見限って逃げたとしても、その後ろめたさにも耐えられると思うのです」
顔琉はすぐに表情を曇らせ、立ち上がった。
「済まぬが、それはできぬ相談じゃ」
「何故です。それが叶えば、袁家を出奔するとしてもですか」
「豎子よ、お前は羿の話を知っておるか」
「太陽を射落とした罪で神籍を剥奪された神の伝説だったと記憶しますが」
「左様。その後、羿の弓の腕前を妬んだ弟子の逢蒙に殴り殺されたのじゃ」
「私が逢蒙だというのですか?」
「そうではない。この神話の云わんとするところは、一芸に長じたところで、調子に乗って弟子など取るなということじゃ。武芸に限らず、他の何にしてもな。ましてや儂など、弟子に殺されるほどの技も持ち合わせておらぬでな」
「そうですか。では、仕方ありませんね。私はいま暫くここに留まり、袁尚殿の到着を待つことにします」
「まったく、お前さんの意固地には呆れるわい。その執念を、もうちいと別な所に向けることはできんのか」
審判にそんなつもりはなかったが、顔琉はやり込められたと思ったようだ。顔琉は立ち去り、審判一人、とり残された。
壺関城を攻める曹操軍は予想通りの苦戦を強いられた。攻め手の楽進が幾度も城門に攻撃を仕掛けるが、堅い守りをなかなか突破できない。一方、李典は本陣の守りに専念するも、前線との補給路が伏勢と化した并州軍のゲリラ戦法で手痛い損害を受けた。異様なのは、その伏勢のひとつを指揮するのが異国の人間らしいということ。更にその部隊にはあの鉄棍使いがいるという。それだけではない。その部隊は并州の正規軍と賊の混成部隊であり、他にも毛色の違う兵士の姿が目撃され、士気も高く神出鬼没。曹操軍にとって厄介な存在として認識され、「群狼党」などと呼ばれるようになった。