60 壺関城包囲
壺関で敗れた并州軍は複数の部隊に再編され、各地に潜伏。だが、無防備になった壺関を曹操軍が一気に抜くことはなかった。李典、楽進の二将軍は何故か慎重策をとり、斥候を放ち安全を確保しつつゆっくりとほふく匍匐前進。壺関城の指令は彼らも察知しており、残存兵力を放置したまま城攻めを行う下策をとりたくなかったのだと考えられた。こうなると潜伏した并州軍もゲリラ戦を仕掛けるのは難しい。結局、数日かけて曹操軍は壺関城に到着した。城は巨大で堅牢。落とすのは容易ではないと二将軍は感じた。しかも背後にはあの鉄棍使いが潜んでいる筈。二将軍は口にこそ出さなかったが、顔琉の存在を脅威に感じていた。
「結局、曹操軍が壺関城まで来てしもうたのお。ここまでついに手が出せずじまいであった。ま、かえって良かったのかも知れん」
顔琉が潜伏した山から壺関城を眺めながらこぼした。後ろにいた審判が声をかけた。
「顔琉殿、少し宜しいですか」
「珍しい。何かのお」
「何故、壺関で李典、楽進の二将軍を見逃したのです。勝ってた勝負でした。あそこで仕留めておけば壺関城が包囲される事もなく、敵は退却さえしたかも知れません」
顔琉はふうと息を吐き、座り込んだ。審判も腰を下ろす。
「どうやら儂を買い被っておるようだが、それは早計というものだぞ。あの楽進とやらとあのままやり合うておればどうなっておったかな。傍目には楽勝に見えたのかもしれぬが、七分三分でこっちの負けじゃよ」
額面通りに受け取る気にもなれなかったが、武人には武人の感覚があるのかも知れず、そこに審判が反論できる余地はない。
「それでも、千載一遇の好機ではありました。我々が合力すれば、少なくとも落馬した楽進は討ち取れたかと」
「よいかな、豎子よ。確かにあの場で二将を叩き殺せば、敵は一旦、兵を退いたかもしれん。だがその後はどうなる。更なる強者が更なる大軍を率い、并州を蹂躙するであろう。冀州の二の舞だ。この戦の先は大方見当がつこう。高幹が降服して終わりよ。なれば、悪戯に戦火に油を注ぐこともあるまい」
「しかし、三月も耐えれば袁尚殿の援軍が来ると」
「同じことであろう。兎に角、儂はお前さんが袁尚に会うまでの用心棒だ。それ以外のことなど知ったことか」
確かにそうだった。顔琉にこんな戦に巻き込まれる義理も道理もない筈なのである。それ以上を求める権限など審判にはなかった。
「それにしても、あの娘っ子には驚かされたのお」
顔琉が言うのは、敗戦処理で見せた甄梅の働きだった。