56 止まらぬ楽進
もうこうなれば楽進軍は突き進むしかない。楽進に率いられた兵士は騎虎の勢で鄭重軍を蹂躙する。楽進はついに鄭重の背を捉えた。
「待て。そこな総大将。その首置いていけ」
楽進が得物の槍を構えて追いすがると鄭重も、おのれ、と、馬首を返した。振り向き様一合。
「敵将、楽文謙が討ち取ったあ」
槍で胸板をひと突きにされ、鄭重の体は無残にも乱戦の中に呑み込まれた。しかし、楽進はまだ止まらない。退路を断たれた事などお構いなしに突撃を続ける。そのまま楽進、一直線に本陣を貫いた。この事態に鄭重軍は凍結状態に陥り、収拾がつかなくなってしまった。本陣を食い破った楽進は大きく弧を描き、また別の部隊に襲い掛かった。
「勝負あったようじゃのお。総大将を討たれては戦になるまい。儂らは逃げるほかなさそうだぞ」
本陣から離れた所に配置された審判達は一部始終を傍観するだけであった。顔琉に戦う気はさらさらないらしい。だが、彼らの所属する安国隊もまた混乱しており、何の音沙汰もない。すると銅鑼の音が響き、山中に布陣していた青熊に突撃命令が下った。もう、并州軍は壺関を捨てるつもりなのだ。一番捨てやすいところに貧乏クジを引かせた形だ。
「お前ら、怯むんじゃないよ。青熊の力を見せてやれ」
正規軍の思惑を知ってか知らずか、汝水が勇ましく手下を率いて楽進に遊撃を仕掛ける。味方の援護も後詰もない中で。
それを見切ったか楽進、青熊には目もくれず別部隊を壊走させると、改めて青熊と仕切りなおす。そうなると青熊など楽進の敵ではない。青熊の兵は次々、討ち取られていった。
「何かと思えば賊軍ではないか。こんな連中にまで頼るとは片腹痛し」
益々勢いづく楽進に青熊は成す術なく討ち取られてゆく。堪らず汝水が手下の制止を振り切り、楽進に打ち掛かった。汝水の曲剣が横から楽進を襲う。が、楽進、易々とそれを弾き、槍をひと突き。汝水は体を仰け反らせ、紙一重で躱した。
「儂の槍を躱すとは、女、やるではないか。よかろう。武人の礼をもって応えよう」
楽進ほどの武人になれば女だからと甘く見てはくれない。更に厳しく攻めたて、汝水もよく戦ったが、ついに悲鳴を上げ落馬してしまった。手下達が汝水を救出すべく楽進に打ち掛かったが、皆、返り討ちにあった。
「やめろ、お前ら。こいつには勝てない。退がれ」
絶叫する汝水の眼前に楽進の槍がずいと突きつけられた。
「女。その若さで大した統率力だ。腕も度胸もいい。我が軍に降れ。悪いようにはせぬ」
楽進は汝水に光るものを見たようだ。が、汝水の名を大声で呼ぶ声がした。二人がその方向に目を遣ると、並走して突っ込んでくる審判、顔琉の姿があった。
審判が楽進に一撃を加える。楽進、これを辛うじて防ぎ、反撃に転じた刹那、顔琉が楽進の突きを撥ね上げた。その一撃の重さに落馬しかけたが、済んでのところで持ち堪えた。
「福」
「合点」
審判の呼びかけに応じ、福が馬を引いて現れ汝水を乗せ、すぐさまその場から離脱した。
「よせ、審判。いくらアンタでもそいつには勝てっこない。逃げろ」
汝水の叫びは虚しく乱戦の中に消えていった。楽進は険しい表情で顔琉を見据える。
「豎子よ、退がっておれ。此奴は儂との勝負をご所望のようじゃ」




