41 埋伏渋面
はるか遠くを、巨大な軍が砂塵を上げて横切っているのが見える。曹操軍が中央を進み本陣を目指しているのだ。審判は伝令を走らせ、麹利がどう動くか待った。ここに留まり哨戒するのか、このまま曹操軍に突撃するのか。
だが、麹利は動かない。審判は暫くして異常なことに気付いた。
曹操軍は既に中央の半分まで来ているのに、どの陣も攻撃を仕掛けようとしない。それどころか対陣する曹操軍の陣もひとつとして動いていない。もしや干禁軍と同様、殆どがもぬけの空なのではないか。では一体何のために。そんなリスクを犯す必要が何処にある。審判は訳が分からない。すると粛の声が響いた。
「おい、麹利将軍が動くぞ。陣が移動を開始した」
確かに麹利軍が動き始めている。だが、何かおかしい。動くのなら何故、それを知らせる銅鑼や太鼓が鳴らないのか。しかも麹利軍は袁紹本陣に向けて進路をとっている。まさかと審判は周囲を見渡した。
やはり思った通り、全てではないが、殆どの袁紹軍が袁紹本陣に進路をとっている。ここにきて審判は全てを理解した。
難攻の布陣。兵糧不足。長い対陣。小さな諍い。曹操軍の噂。自分達が腹を空かせていたとき、すでに戦いは始まっていたのだ。直接、干戈を交えるのが戦争だと思っていた己の浅はかさを知った。戦争とは華やかなものではない。静かで暗く、残酷で汚いものだった。
程昱。
という軍師がいた。齢は六十に近いが身の丈八尺、体つきもしっかりして一見武人にも見えるが曹操軍で五指に入る参謀である。倉亭の戦いで曹操軍の軍師を務めた程昱は袁紹軍の布陣を見て心を攻める策を採用。埋伏の毒の計を用いることにした。
埋伏の毒とは敵軍に潜り込ませた間諜のことである。毒は敵軍の情報収集、切り崩しや破壊活動、凋略の任に当たる。敵を内部から攻撃し、時に寝返らせる。
この計略が倉亭の戦いでは図に当たった。官渡での敗戦、足並み揃わぬ重臣。袁紹の決断力の無さとこの戦いでの無気力を看破しての計略ではあったが程昱自身、会心の出来であったに違いない。結局、この埋伏の毒に掛かり寝返った軍は十を数えた。この時程昱が用いた計略は後の時代、こう呼ばれた。
「十面埋伏の計」
と。
「ここにいては危険だ。我々は急ぎ袁紹殿の本陣に合流するぞ」
審判はすぐさま決断した。並みの部隊長ではこうはいかないが、審配の息子であったため、独断専行できたのである。
何故、曹操は各陣地を空にしたのか。それは寝返る者かそうでない者かをふるいにかけるためである。命令どおり曹操陣営に攻めかかる者は寝返る気がないという訳だ。審判は父親が審配であったが為に凋略リストから外されていたのだ。




