40 常勝于禁
大軍をもって南進を開始した袁紹は延津を抜いて一気に曹操の本拠地、許昌を落とさんとしたが、延津城を守る干禁は早々に城を放棄。地に潜りゲリラ戦を展開。城を乗っ取った袁紹軍は守る立場に立たされ、延津に送られる補充を神出鬼没の干禁軍は次々とこれを撃破。延津に釘付けにされることを嫌った袁紹は軍を二つに分け、東の白馬津に攻め込む。が、これこそ曹操の思う壺だった。この一連の戦により袁紹は顔良、文醜の二将を失うことになるのである。また、審判には干禁と因縁があった。
延津攻略軍には雷天がいた。が、干禁軍との戦いのさ中、行方不明になった。戦場ではそれ即ち死を意味する。眼前に干禁が現れたと知った審判は運命を感じた。天が友の仇を討てと命じているのだと。審判は一日も早く出陣したかったが、袁紹軍も曹操軍も動こうとはしなかった。
やがて睨み合いがひと月になろうとした頃、袁紹軍の各陣地で不穏な動きが出始めた。小さな諍いから、刃傷や殺人事件があちこちで発生。放火や脱走まで起きはじめた。主な原因は兵糧不足によるものだった。官渡では優先的に兵糧を回され、その有難味が分からなかった審判も日が経つにつれ、寂しくなってゆく食事に初めて、兵站の重要性を思い知らされた。最初こそ、早く敵と干戈を交えたいと意気込んでいた彼らも、戦はいいから、腹一杯の飯をくれと思うようになっていた。今頃、敵もこの空腹に耐えかねているのだろうかと審判は干禁の陣を遠望した。だが、嫌な噂が流れ始めた。曹操軍は兵糧の備蓄が豊富にあり、対陣する軍には官渡から、それが続々と送られているというのだ。その理由は袁紹と戦を始める前、曹操に降伏した青州黄巾党、百万とも言われるが、彼らを労役に使い画期的な屯田政策を実現し、兗州、豫州に巨大な穀倉地帯を作り上げ、石高に応じた兵農分離、軍戸制採用により、計画的な食糧確保を可能にしたのだという。兵糧など戦の先で収奪するものだと思っていた彼らには信じられない話である。が、それがために官渡もついに落とせなかったのだと言われれば返す言葉もない。だが、そもそもそんな敵の内情が漏れてくること自体、おかしいのだ。腹が満たされ、冷静に物事が判断できれば、そこに思い至っただろう。
睨み合いがふた月を過ぎた頃、ついに曹操軍、動く。審判達は腹が減っているのに、もう勘弁してくれと泣きたい気分だったが、戦闘になればそうも言っていられない。曹操軍は袁紹の本陣に向かって一直線に突撃を敢行した。こうなれば挟撃作戦のいい餌食である。
麹利将軍は審判を含む部隊に干禁軍への攻撃を命令。審判達は空きっ腹を抱えつつ、延津の雪辱、雷天の無念を晴らすべく先陣を切った。
だが、不思議なことが起こった。突入した干禁軍の陣営はもぬけの空だったのだ。そこにあったのは干禁を示す旗と甲冑、服、竹槍で偽装した藁人形だった。審判達は不気味なものを感じた。何か得体の知れない、巨大な蜘蛛の巣に絡め取られたような感覚を。




