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39 倉亭の戦い 後編

 審判を隊長とする部隊を率いる麹利将軍とは、猛将と言われた麹義将軍の族氏である。麹義は界橋の戦いで武勲があり、元、韓馥配下であったこともあり、冀州人の人気が高かった。その後も公孫瓚や黒山との戦いで活躍し、地位を高め、領地も軍勢も巨大なものになった。その結果、麹義は増長し、袁紹から独立しようと画策したとの嫌疑がかけられ、腰斬の刑に処された。尤も、それが審配、郭図らの謀略だったなどと審判は知る由もない。とまれ、この一件で将軍達は戦場で目立った働きをしないよう、心掛けるようになった。これが袁紹軍という組織の構造だった。

 族氏の麹利は麹義とはあまり親しくなく、地位も高くなかったため嫌疑はかけられなかったが、麹義の二心を密告したのが麹利だという噂もあった。軍議の末席に加わった審判も麹利を見たが、これといった印象も受けない、影の薄い存在だった。更に、審判と同じ各部隊の隊長級も、本気でこの戦に勝利する気があるのかと言いたくなるほど覇気がなかった。その理由を審判は後に知ることになる。

 倉亭津には大小合わせて十五もの軍団を審配は配置。難攻不落と言ってよい布陣であった。最奥にある袁紹軍本陣に向かって開かれた中央を突き進めば左右の山、森林に配置された軍に挟撃される。したがって曹操は横陣を展開し、各個撃破の構えを取る。が、数に劣る曹操も迂闊には動けない。睨み合いの日々が続いた。

 やがて麹利の陣の対面に、

「干」

 の旗を掲げた軍団が布陣。袁紹軍で知らぬ者はない、干禁文則の軍である。干禁は官渡の前哨戦となる延津の戦いで、袁紹軍を散々に苦しめた将だった。


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