36 野犬と頭目
仕方なく審判は下馬した。が、降服する気はさらさらない。剣を構え、周囲を囲む敵を睨め回す。しかし誰一人近付こうとしない。皆、審判を警戒している。すると敵の後方から女性の勇ましい声が聞こえた。
「情けない連中だねえ。そんな若造に手も足も出ないのかい」
現れたのは黒髪なびかせる女盗賊だった。審判を若造呼ばわりしたが、年の頃は同年輩に見えた。一喝された賊徒の一人が応える。
「でも姐さん、この餓鬼、まるで飢えた野犬だ。危なっかしくて近寄れやしねえ」
「阿呆。それを手も足も出ないってんだろ。御託並べるしか能がないならすっ込んでろ」
威勢はいいが、どこか虚勢を張っているようにも見える。女は手下達を下がらせ、単騎で近付いてきた。
「アンタ、なかなかやるじゃないか。どうだい、私と一騎打ちってのは。勿論、アンタが勝てば見逃してやる。負ければ死ぬか奴隷。悪くないだろ」
とても信用できる申し出ではないが、審判はもう自暴自棄になっていた。顔琉達を見捨てて逃げてこの体たらく。守りきろうと決めた甄梅も守れずじまい。何故、自分はいつも負け戦をやらかすのかと。父、審配の敗軍の星の元に、自分も生まれついているのかと。
「私は青熊軍の汝水。一応、副将を務める者さ。女だと思って甘く見るんじゃないよ。何しろ私は今まで何百人と……」
汝水が言い終わらぬ間に審判が大声を上げて打ち掛かった。面食らった汝水が慌てて馬上から得物の曲剣を繰り出すが、金属音と共に弾かれた。審判がまた大声で叫んで汝水の乗る馬の尻に蹴りを入れた。馬は大きく嘶き、汝水は地面に転がり落ちた。すぐに起き上がろうとしたが、審判がすかさず覆い被さり、馬乗りになって汝水の喉元に剣を突きつけ、ひと思いに首を掻き切ろうとしたその刹那、審判は我に返った。
女盗賊の驚き、恐怖、悲しみがない混ぜになったその表情を見て、この女盗賊がどんな人生を送ってきたのか、不覚にも思い巡らせてしまった。
「やめろ。姐さんに手ェ出すんじゃねえ。こいつが見えねえか」
先刻、汝水に一喝された頼りない賊徒が叫んだ。見ると甄梅の乗る馬が賊に取り囲まれている。こうなることは最初から分かっていた。馬が足を止めた時、勝負はついていたのだ。もっと言えば、甄梅を連れて羊耳や賊から逃れること自体、無理があった。そんなことは審判達も分かっていたし、甄梅も理解していたのだろう。その図星を甄梅に突かれ、どうにでもなれと思ったのだ。そして遂に、行き着く所まで来てしまった。審判は観念して剣を投げ捨てた。どだい、甄梅を連れて袁尚の元に行くなど夢物語だったのだと、自分に言い聞かせて。
「結局、顔琉殿や、甄梅の言う通りだったなあ」
審判は天を仰ぎ、そう呟いた。組み敷かれたままの汝水は呆気にとられている。
と、突然怒声が響き、審判が賊徒に叩きのめされた。
「この人買い野郎。姐さんに不意打ち食らわせやがって。ただで済むと思うな」
集団に袋叩きにされて、審判は体を丸めて身を守るしかできない。遠のく意識の中、女盗賊の声が聞こえる。
「やめろ。そいつは一騎打ちに勝ったんだ。お前ら、私を虚仮にする気か」
どうやら審判の命乞いをしているようだ。どこまでも甘い女だなと思った。そんな女が何故、盗賊の頭の真似事をしているのか。恐らく頭目の情婦あたりだろう、などと思っているうち、意識が遠のいてゆく。体を縛られ、猿轡をかまされ、身動きもとれなくなったところで意識が途絶えた。




