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29 官渡の戦い その2

 業を煮やした袁紹に審配は攻城兵器の投入を進言。攻城兵器は維持、運用に多大な資金と労力を要する。冀州の豊富な財源で造らせた袁紹軍の切り札である。それをこの決戦で使うことになった。そのひとつは衝車。巨大な杭を鐘つきの要領で打ち出し、城壁を崩す。下に車輪が装着され、移動も可能だ。もうひとつが井欄車。城壁ほどの高さのある櫓で、城壁上に陣取った敵兵に矢を射掛けることができ、やはり車輪での移動が可能だ。この二つはワンセットのようなもので、同時に運用しなければ効果を発揮しないが、その威力は絶大で、勝負は決するかと思われた。

 だが守将李典は袁紹が掘った地下道を逆用。多くの塹壕、落とし穴を仕掛け、次々と攻城兵器は落ち込み擱座した。これ以上の損耗はできない袁紹は決死隊を組織し、歩兵による工作部隊で陥弄を埋めたものの、多くの犠牲を強いた。

 ようやく残った攻城兵器が城壁に取り付くと、今度は発石車と呼ばれる、石を飛ばす兵器で曹操軍は対抗。攻城兵器は全て破壊され、袁紹軍は官渡攻略の決め手を失った。

 この発石車、投石器とも呼ばれるが、中国戦史に登場したのはこの戦だったとも伝わる。巨大な石が宙を舞い、次々と攻城兵器が、それを運用、守備する兵士達が潰されてゆく光景を目の当たりにした袁紹軍の恐怖は如何ばかりだっただろう。決め手を失うと沮授が黙っていない。撤退を進言すれば周りの兵士、将らも心の中で賛同した。損耗したのは袁紹だけではない。曹操もまた多大な犠牲を強いられた。袁紹は河北一帯を支配し守りに有利。一方、曹操は周囲を敵に囲まれ立て直しに時間がかかる。撤退しても充分に勝算はあるというのがその根拠だった。この献言を袁紹が容れれば後の歴史はどうなっていただろうか。だが袁紹は攻撃続行を指示。鄴に投獄した田豊が正しかったと認めることになる。また、これまでの戦に費やした戦費、兵力もドブに捨てるようなものだ。このあたり、下落する株を手放せない投資家の心理に似ている。攻める時は徹底して攻め、退く時は潔く退く。中途半端は最悪の選択だ。しかしと袁紹は思う。公孫瓚には四年の時を費やして勝てたではないかと。だが公孫瓚と曹操は違う。過去の戦を引くのは負け戦のみにすべきで、勝ち戦を参考にするのは禁物だ。だが、とかく人は成功体験から学習したがる。

 官渡城への攻略法も定まらぬまま、袁紹、いや、審配、郭図、逢紀らは悪戯に消耗戦を仕掛けた。軍の足並みが揃わないのだから効果的な打撃は望むべくもない。とはいえ、曹操とて余裕があった訳では決してなかった。この間、曹操は何度か許昌を守る荀彧らに手紙を送っている。官渡を放棄して退却すべきではないのかと。その都度、曹操軍のブレーン達は今が天下分け目、曹家の興亡ここにありと曹操を励まし続けた。決して自分に甘くない献言を採用できる曹操の方が異常なのだ。乱世、戦争という異常な状況下では、異常な決断ができない者から淘汰されてゆくのかもしれない。

 籠城開始から五ヶ月も経つと風向きが変わってきた。旅順攻略戦の乃木希典よろしく官渡の城壁に過酷な突撃を敢行し続けたものの、死者の数が累積するばかりで明るい兆しは何一つ見えない。袁紹軍に厭戦感が広がり始めたところに兵糧不足が追い討ちをかけた。

 実は袁紹は以前にも兵糧不足で痛い思いをしている。反董卓連合で挙兵した折、袁紹はやはり大軍を動員し、兵糧不足で自滅した。公孫瓚を攻めたときには韓馥が蓄えていた貯金があった。しかしその殆どを使ってしまったまま、官渡戦に突入したのである。兵糧不足に陥った軍ほど、脆く危険なものはない。袁紹もそれは経験則で知っている。またも撤退を主張した沮授を拘束し、直ちに幽、并、青の三州から兵糧を掻き集め、烏巣の地に集積した。低下した士気を回復するには兵站線を直結した方が良いと判断したのだろう。だが、これに許攸という謀臣が異議を唱えた。兵糧を一ヶ所に集めてはそこが軍の急所になるというのがその根拠だ。正鵠だが、いい加減うんざりしていた袁紹はそれを無視した。烏巣を守らせるのは淳干瓊という古参の堅実な将であり、烏巣も守りに適した地なので容易に発見、攻略はされないであろうと判断したのだ。だがそれは理由付けで、今更、兵糧の分散など面倒でやってられるかというのが本音だったのだろう。すると許攸はその情報を手土産に曹操に降ってしまう。自説の正しさに拘泥したのか、結局それが戦を決めてしまう。許攸が持ち込んだ情報は戦を決めるほど重大なものだったので罠を危惧する声もあったが、荀攸、賈詡、程昱といった曹操軍のブレーンが烏巣を攻めるべしと主張。特に大きかったのが、

 郭嘉 奉孝。

 という参謀のひと声だった。

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