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25 月明かりの女

 美しい満月だった。辺りは虫の声が響き、顔琉達が鼾をかいている。

「眠れないの?」

 初めて聞く美しい声だった。声のした方向に目を遣ると満月を背にした甄梅が座っていた。その目は爛々と輝き、この世のものとは思えなかった。美しいという訳ではない。物の怪か、狐狸の類に見えたのだ。

「ああ、そうだよ。俺の父はお前の姉のせいで狂った。俺の人生も狂わされた」

 何故そんな言葉を甄梅にぶつけるのか、審判自身、分からない。

「貴方の父は狂ってなどいない。ただ、曹操に殺されただけ」

「ふざけるな。父は曹操に捕われたかもしれないが、殺されたと決まった訳じゃない。勝手に決め付けるな」

 官渡での敗戦で参謀として従軍していた沮授は曹操軍に捕らわれたが、曹操は沮授をなんとか配下にしようと、軟禁していた。だが硬骨漢の沮授はそれを拒み、脱走を企て看守の手に掛かり死んだ。曹操は沮授の才能と気骨を惜しんだという。

 この話を聞いていた審判は一縷の希望を抱いていた。審配は曹操に降らぬまでも、曹操は審配を殺さないのではないかと。その希望が儚いものだと甄梅に自覚させられたのだ。

「貴方の父は死んだ。私の姉さんを利用したから。呪詛に近付く者は三族まで呪われる。貴方の母も、親族も皆殺された。もう、貴方一人。貴方も失意のうちに死ぬ」

 でまかせを言うんじゃない。確証もないことを見てきたように言うな。

 審判は叫んだつもりだったが、声が出なかった。

「辛毘という男の名を覚えているか」

 甄梅が言った。さっきまでの美しい声ではない。地獄の鬼のような声だった。審判は愕然とした。

 辛毘は袁紹配下であり、長子、袁譚派であり、袁尚が袁譚の領地、青州に攻め込むと辛毘は曹操との同盟を献策し実行。袁譚を勝利に導いた。鄴が曹操軍に包囲されると審配は城に残っていた辛毘の一族を悉く処刑した。戦略的意義は全く見出せず、ただの私怨と見られた。この凶行により審配の名声は失墜。軍の士気を悪戯に下げただけであった。

「それだけではない。袁紹が死んだとき、更なるお家騒動を避けるため、貴様の父は何をした。袁尚とその母を誑かし、袁紹の愛妾達、その子、その一族郎党を皆殺しにさせたな。もう、貴様は何処にも逃げられん」

 もう審判は耳を塞ぎたかった。事実だからだ。だが、何故この女はそんなことを知っている。審配は巧妙に自らは手を下さず、袁尚、その母、側近達を使って彼らを始末した筈なのに。

 やめてくれ。父は悪くない。冀州の安定の為に仕方なくやったことなんだ。俺の父一人が悪い訳じゃない。郭図、逢紀、許攸。悪い奴は他にも沢山いるだろう。

 審判はあらん限りの声で叫んだつもりだったが、やはり声は出ない。

「冀州の安定だと? 笑わせるな。今の冀州を見ろ。戦で大地は荒れ果て、屍山血河が広がり、妖賊が跋扈する地獄ではないか。誰がそうした。貴様の父だ。韓馥を陥れ、奸賊と通じ、袁紹を操り民を欺いた貴様の父だ。そして心の底から戦争を望んでいた貴様だ。後ろを見てみろ」

 見たくなどなかった。大勢の呻き声、怨嗟の声が聞こえるからだ。地獄の亡者共が審判を引き摺り込もうとしているのは分かっていた。命を返せ、我が子を返せ、母を返せ。そんな声が聞こえる。振り向いてはいけない。分かっているのに振り向こうとする自分を止められない。

「やめてくれ。俺は知らなかったんだ。悪いのは袁紹だ。その息子達だ。奴らが冀州を目茶苦茶にしたんだ。呪うのならそいつらにしてくれ」

 やっと声が出た。だが、審判の体は闇の彼方に落ち込み、その叫びも空しく呑み込まれた。気が遠くなるほどに落下してゆく。やがて、どすん、と底に落ちた感覚と共に審判の意識は引き戻された。

 月明かりに照らされて、顔琉達は鼾をかき、粛は暢気な寝言を言っている。甄梅も横になり寝息を立てていた。辺りから虫の声が聞こえる。では、今のは夢だったのか。審判は心の底から安堵したが、余りにも生々しかった。

 審判は甄梅を見た。眠っている姿を見る限り普通の娘だ。だが、この娘が持つという妖しげな呪詛の力に、自分もまた絡めとられたのだろうかと思った。


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