23 并州へ
二人の意見が一応、落着し、甄逸、甄梅に話を向ける。
「では甄逸殿、甄梅様は私が責任を持って袁尚殿の元へお送りしますのでご安心下され」
「有難い。これで私も肩の荷が下り申した。この娘の力を活かせぬまま、一生を終えさせるところでした。我が一族の技は乱世においてこそ真価を発揮しますからな。親の欲目かもしれませぬが」
顔琉の言い草ではないが、この父親の倫理観も、どこか壊れている気がした。
「では甄梅様、こちらへ」
審判が手を差し伸べると、甄梅はその手をとり、素直に従ってくれた。姉と同様、この娘も心というものを感じさせなかった。
「親も親だが娘も娘だ。何が呪詛だ。この戦国乱世、右も左も頭のイカれた奴ばかりだ」
三人が表に出て、馬を引きつつ顔琉は憤懣やるかたない様子だ。確かに、この先甄梅はロクな人生を送れはしないだろう。それを思うと良心が咎めもしたが、あの父親の元にいても五十歩百歩だろう。少し救われもしたが、そんな境遇の者達を利用する策自体狂っている。そう思いつつ、それを実行する自分もまた狂っているのかも知れない。正常なのは顔琉だけかと言いたい気分だった。
「顔琉殿、その馬、彼女のために使わせて頂けませんか?」
「致し方あるまい。ここでこいつが手に入ったのも、何かの縁かもしれん」
「甄梅様、馬には乗れますか?」
審判に聞かれ、甄梅は小さく首を振った。
「何、あぶみ鞍に腰掛けておるだけでよい。乗り方なぞその後で覚えればよいわ」
顔琉がそんなことを言っていると通りの向こうから粛と額彦命が走ってきた。
「酷いじゃないか。俺達を敵に押し付けてどっか行っちまって。まあ、額彦命のおかげで 助かったけどな。おや? その姑娘は誰だい? おい審判、教えろよ」
甄梅を認めた粛は興味津々だ。審判は仕方なくこれまでの経緯を話した。
「へええ、じゃあこれからの旅はこの甄梅さんと一緒かあ。えへへ、俺、審判の無二の親友の粛。よろしく」
お調子者の粛が軽い自己紹介をしたが甄梅は無表情のままどこか遠くを見ている風だ。粛の笑顔が引きつったまま凍る。容姿が良くても一緒にいて楽しい気分になれるような娘ではない。逆に気を使う分、いつまで我慢できるか審判は自信がなかった。
「粛さん、今それどころ違うよ。大変ね。曹操軍がこの城に向かってるらしいよ。その報せが入るなり、双方戦い止めたね。抗戦派も降服しそうなこと言ってたよ」
額彦命が重要なことを伝えると粛も、
「おう、そうだった。やばいぜ審判。しかも曹操軍の大将はあの干禁らしい。この城の連中、浮き足立っちまって内ゲバどころじゃないって感じだ」
「干禁文則か。じゃあ、雷天もいるな」
審判は一刻も早くこの城から脱出すべき状況にあることを知った。
「じゃあ、これから袁尚のところ行くか? でも審判さん、居所知ってるか?」
額彦命が基本的なことを思い出させた。袁尚は袁譚を攻めるも敗北し、本拠地鄴に退却する前に鄴が曹操に攻められたため、鄴を見捨てて邯鄲に向かい、そこでも大敗したのだ。
「袁尚が逃げるとすれば兄の袁熙が治める北の幽州か、族氏の高幹が治める西の并州であろう。豎子よ、当然知っておるんだろうな?」
顔琉が皮肉を込めて言った。実は審判も知らない。が、
「恐らく并州でしょう。并州ならこの丹からも近く、道も険しくありません。今すぐ出立しましょう」
「畜生、また放浪か。この城に来れば、ひと心地つけると思ったのになあ」
「まあ、一番いいのは袁尚なぞさっさと見限ってトンズラすることだがな。この豎子に言ったところで無駄だがのお」
粛と顔琉の苦言を聞き流し、審判は甄梅を馬に乗せた。幸い筋は悪くない。いや、馬がいいのか。かくして五人は城門を抜け城から脱出。一路并州は高幹の本拠地、壺関を目指すこととなった。
鄴が陥落してからふた月余り、建安九年の夏も終わろうとしていた。