22 籠の中の傾城
辺りは急に静かになり、顔琉は田象の乗っていた馬の手綱を引いて戻ってきた。
「見ろ、なかなかの名馬だ。こいつは拾い物だ。さあ、ここからはお前さんの出番だぞ」
顔琉に促され、二人は貧民窟を暫く歩き、目的地の建物に辿り着いた。
「徒長酒家か。何とも、意味深な名前じゃのお」
朽ちた門に書かれた四文字を見て顔琉が呟いた。徒長した苗は大きく育つが実がならない。とりようによっては家の断絶を連想させる。
二人はあばら家のような建物に入った。中は狭く薄暗い。だが迷路のように奥行きがある。少し進むと痩せこけた男がぬっと出てきた。幽霊を思わせるその風貌に審判はぎょっとしたが、すぐに人だと思い直して、
「甄逸殿……ですか?」
審判が尋ねると男は首肯した。
「審配殿ゆかりの方ですな。準備は整っております。どうぞこちらへ」
甄逸に案内されている途中、顔琉が尋ねた。
「お前さん、病の臭いがするのお」
「はい、数年前より臓腑を患い、もう長くないそうです」
それを聞いて顔琉が審判に言った。
「アテが外れたのお。天才軍師も病には勝てん。諦めて逃げる他なさそうだぞ」
顔琉は審判を逃がしてさっさと手を引きたいようである。だが審判は、
「目指していたのはこの方でも軍師でもありません。この方の娘なのです」
「娘? どういうことだ」
顔琉が言葉を接ごうとする前に甄逸は最奥の部屋に二人を促した。一見、押入れのような戸を開けると、四畳半ほどの狭い部屋に黒い道服に身を包んだ齢若い娘が座っていた。毅然とはしていたが、やはり怯えているようだ。
「次女の甄梅にございます」
甄逸が名を教えると顔琉も感心して、
「これはこれは。傾城の美女ではないか。こいつはたまげた」
だが、彼女の姉を見ている審判はさほど美しいとも思わない。どちらかというと、地味な感じの娘に見えた。
「姉には遠く及びませぬが、この甄梅もまた確かな力を備えております」
「力? 一体どういうことなのだ? 訳が分からん」
話が見えない顔琉に甄逸は冷静に説明した。
「分からぬのも無理からぬこと。私共は代々、古の巫蟲の術、断絶の術など、呪詛の技を今に伝える一族なのです。それがために時の権力者に追われ、迫害され、また、庇護も受けてまいりました。今般、曹操とその家系を断絶すべく、私の娘達が審配殿に買われたのでございます」
「豎子よ、ちょっと来い」
きたな、と、審判は思った。二人は甄逸から離れ、小声で話し始めた。
「儂が言うのもなんだがな、あのオヤジは頭がおかしい」
「別に無理に信じて頂かなくても結構です。私は彼女を袁尚殿の元へ届け、曹操との交渉に使う策を父から授かったのですから」
「正気か。あんな年端もいかぬ娘を、よりによって寝業に使うとは。しかも巫蟲の術だと?
馬鹿馬鹿しい。いい加減目を覚ませ。そんな呪いに頼っとる時点で、もう袁家は万策尽きておるのじゃ」
「だから最初に申し上げた筈です。気に入らなければ無理について来て頂かなくても結構ですと。私は父の遺言に従い、袁家に忠節を尽くすのみです」
顔琉は額に手を当て、
「かああ。度し難い豎子だ。儂はこんな茶番に付き合わされるために、あんな大枚受け取っちまったのか」
顔琉が一体、どれくらいの報酬でこの仕事を請け負ったのか知らないが、これから甄梅を連れて旅をするには顔琉は手放すには惜しい人物である。審判は思い直し、
「では、こうしましょう。どの道、この城に彼女を置いておくのは危険なのです。ならば一旦城を出て、どこか安全な村でも見つけたらそこで彼女は解放します。袁尚殿にはどうとでも言い訳ができますから。それまで、彼女の護衛を貴方に依頼したい」
「ううむ、仕方ない。それで手を打とう。だが、娘っ子を解放するまでだからな。その後のことまで、儂ゃ面倒見きれんぞ」
審判は心の中でほくそ笑んだ。甄梅を解放する気など毛頭ない。袁尚の居所を突き止めれば近くで解放すると見せかけ、そこで顔琉と別れればいい。それまで顔琉、額彦命の武力をせいぜい利用させて貰おうという肚づもりだった。