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21 騎馬と老木

「すまない。ここで敵を抑えておいてくれ。俺は行くところがある」

 雨後の筍のように湧いてくる敵兵を薙ぎ払い審判は一路、貧民窟を目指した。

 暫く走ると辺りの様子が変わってきた。貧民窟に入ったようだ。だが、ここの惨状は更に酷い。元々治安の悪い場所だけに暴動が起き、それを鎮圧に出た軍隊との乱戦になっている。

「ここにもいたぞ。抗戦派の者だ」

 反羊耳派と同年代の審判を見るなりそう決め付けられ、斬り掛かってきた。が、審判はたちまちこれも返り討ちにした。

「どけっ。俺は反羊耳派じゃない」

 全く説得力はなかったが半ばヤケ気味に敵を斬り伏せた。自分は何度も負け戦につき合わされ、未だ逆転への未練を捨てきれず、気に食わない袁尚のために戦っているというのに、さっさと曹操に降ろうとする羊耳派に腸、煮えくりかえっていた。

 敵兵を討ち払っているうち、目の前に二騎の騎兵が従える一団が現れた。

 一人は羊のような白髪頭に、山羊のような白鬚を蓄えた大男。着込んだ鎧から身分の高い者と分かる。この男が羊耳であろう。いま一人の大斧を装備した衛士は顔に傷のある歴戦の猛者といった風だ。羊耳の懐刀といったところか。

「ふん、ここにもいたか。者共、かかれ。袁尚になびく者は容赦するな」

 羊耳の号令一下、敵兵が群がってきたが、これも審判の敵ではない。折りしも敵は貧民窟の暴徒も相手にせねばならず、審判一人に兵力を集中できない。

 しかし、審判の武力が並ではないと知るや、羊耳の衛士が馬を飛ばして突っ込んできた。

 打ち込まれた大斧の一撃の鋭さに審判は一瞬面食らったが、剣で防ぐも吹き飛ばされ、地面を転がった。

「面妖な小僧よ。だが、この田象の敵ではあるまい」

 羊耳が手を叩かんばかりにはしゃぐと、田象と呼ばれた衛士が鼻を鳴らした。

 馬上の有利に加え、体格がまるで違う。成長著しい審判といえど、これほどの職業軍人が相手では適わない。

 田象が次々繰り出す豪撃を躱すのが精一杯で反撃の糸口すら掴めず、まるで歯が立たない。ついに上段から打ち下ろされた一撃を躱しきれず、何とか剣で受け止めるも、その衝撃で審判は地面に叩きつけられた。

「なかなか頑張ったではないか。余興としては楽しめたぞ」

 そう言って羊耳は哄笑した。殺し合いを眺めて楽しんでいる風さえある。青年士官達が決起した心境が分かる気がした。馬上の田象が審判を両断すべく大斧を構えた。するとその時、顔琉の声がした。

「おおい、待て待て。あまり年寄りを走らせるもんじゃない」

 鉄棍を杖代わりにして、やっと顔琉が走っている。審判は天佑を得た思いだった。

「顔琉殿。どうしてここが」

「年の功よ。人を隠すなら人の中と相場が決まっておる。あとは騒ぎの大きなところに目星をつければ、まあ、そこそこ当たるわな」

 顔琉は呆気にとられた審判の体を引き起こし、羊耳、田象に向き直った。

「おい、デカブツ。今度はこの爺いが相手してやる。それでこの小僧は勘弁してやれ」

 顔琉の惚けた口調に羊耳、田象はいきり立った。

「小僧の次は爺いか。どこぞの誰かみたいに鉄棍などぶら下げおって。面白い。田象、相手してやれ」

「やれやれ。お前さん達、なりはでかいが、知恵は回りかねとるようじゃのお」

 そう言うと顔琉は腰を深く落とし、構えた。

 田象が馬を飛ばし、大斧を振るった。すれ違いざま、金属音が響き、顔琉の鉄棍が田象の一撃を弾き返した。あれに一発で吹っ飛ばされた審判は目を疑った。いや、田象自身、羊耳も、その配下も同様だった。

 田象はその後も数合打ち込んだが足に根の生えたような顔琉を崩せず、田象は馬を止め接近戦に移行するが、技量においても顔琉が上回った。馬上から繰り出される攻撃を悉く叩き落し、逆に田象に数発の打撃を打ち込む。田象は馬上。更に鎧にも守られ致命傷とはいかないが、確実にダメージを蓄積している。

 接近戦は不利と見るや田象は再び距離をとった。

「田象、何をやってる。お前の自慢の突っ込みで勝負を決めんか」

 羊耳も自慢の衛士がみすぼらしい年寄りにあしらわれ、頭に血が昇っている。

 田象が馬腹を蹴って突進した。顔琉をひと突きにする肚である。田象が顔琉を射程圏に捉えた。と、同時に顔琉は鉄棍を脇に抱え、片方を地面に突き立て、もう片方を田象にぐいと突き出す。田象の振り下ろした大斧は突き出した鉄棍に当たり軌道を変えられ、田象は自分から鉄棍の先端に突っ込む形になった。

 どんという音と共に田象の体は一瞬宙に浮き、馬はそのまま顔琉の脇を駆け抜け、田象の体だけが地面に落ちた。田象は血を吐き、息はあったが助かる見込みはないと思われた。

「分かるかな。お主のようなデカブツでも、安易に必殺の一撃を狙えば足元掬われるのじゃよ」

 達人だ。

 審判は言葉も出なかった。一体、どれほどの修練を積めばこの老人の域に達することができるのか、想像すら及ばない。

「さて、次はお前さんか。このデカブツの飼い主のようだが、どうする?」

 羊耳は明らかに怯えている。

「ぬぬぬ、ええい、ここは見逃してやる。一旦退け。撤退。撤退」

 羊耳が号令をかけると雑兵も蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。この様子を見ていた貧民窟の暴徒は鬨の声を上げ、調子づいて羊耳に追撃を仕掛けた。

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