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20 その名は羊耳

「この山を越えれば丹城の筈です。急ぎましょう」

「やれやれ、これで何度目だ、その台詞を聞くのは。お前さん、本当に丹城とやらの場所を知っておるんだろうな?」

 顔琉に窘められて審判に不安が過る。距離と時間を考えれば近い筈だ。それとも方向を間違えたのかと。だが、山頂に辿り着き、月の光に照らされて、眼下には盆地が広がり、中央には緩やかに流れる川。その周囲に広がる田園地帯。そのほぼ中央に小さな城邑が見えた。

「はああ、やっと着いたぜえ。これで久方ぶりに人間の生活に戻れるんだあ」

 粛がその場に寝転がった。

「ところで豎子よ。あんな小城で何をする気だ。籠城するには、ちと心許ないのお」

 顔琉に聞かれ、審判は答えたものか迷った。ここまで付き合って貰って隠すつもりもないのだが、本当のことを言ったところで呆れられるか、一笑に付されるか、あるいはその両方かと思ったのだ。

「ああ、そうだったな。ここでもうお別れなのじゃ。何も戦に関わることをバラす必要もないわな。知ったところで儂には一文にもならん。いや、知っちまうと益々厄介事に巻き込まれちまいそうじゃ。くわばら、くわばら」

 顔琉もそう言って棍を杖代わりにして腰を下ろした。月夜だったが空が白みはじめている。

「いえ、ここまで来れたのも御二方のおかげです。差し支えない限りでお話しましょう」

 道中、猪や山犬に遭遇したが顔琉、額彦命の知恵や経験に救われた。また、昆虫や爬虫類で飢えを凌ぐこともできなかっただろう。二人がいなければ実際、丹城まで辿り着けはしなかったと審判は思う。

「実はあの城に、この戦を引っ繰り返しうる人物がいるのです。私はその方を保護し、主君、袁尚殿の元へ向かうよう、父に託されました」

「ほっほう。こりゃたまげた。そんな大軍師があんな小城で燻っておったとはな。まさか次は古の大軍師、太公望か張子房が生きておるとか言いだすのではあるまいな」

 やっぱり馬鹿にされた。尤も、軍師ではないのだが、本当のことを言えばもっと馬鹿にされそうだ。

「そんな人物なら一度会ってみたいもんじゃ。だが、袁尚ごとき豎子に、果たしてそんな奇貨が使いこなせるかのお。親父の袁紹も沮授や田豊といった宝を持ち腐れた。やるだけ無駄だと思うがな」

 何故そこに父の名を加えないのかと審判は不満だったが、それも仕方ない。結果論ではあるが、沮授、田豊の献策を袁紹が容れてるうちは良かったが、やがて袁紹は二人を煙たがるようになり、審配、郭図、逢紀といった面々の意見を容れるようになってから袁家の凋落は始まり、ために官渡での敗北に繋がったのだから。

「無駄かもしれませんが父の遺言でもあります。私の使命なのです」

 顔琉は肩を竦めた。すると額彦命が、

「ちょっと待って。あの城、何か様子変よ」

 言われて全員が城に目を遣る。ほのかな朝日で明るくなってくると、城内で何か騒ぎが起きているらしいのが見て取れた。

「反乱だ」

 粛が叫んだ。鄴が陥落し、袁尚も大敗を喫した報せは審判達より早く丹城に届いた筈だ。ならば城内で曹操に降るか、袁尚に従うか意見が割れたのだろう。緊張の糸が切れ、内紛が起きたのは想像に難くない。

「こうしちゃいられない」

 審判は剣を引っ掴み、山を下り始めた。

「ま、待てよ。一体どうする気だ。俺達、もうヘトヘトなんだぞ」

 粛が言いながらもついてくる。いつもなら今から寝る時間だ。

「仕方ない。儂らも行くか。乗りかかった船だ。ここで奴らに死なれては適わん」

 顔琉が腰を上げる前に額彦命も駆け出していた。

 山を駆け下り、田園地帯に踏み込んだ頃には城内から逃げ出した住民の群れとぶつかった。審判はまだ落ち着きのある老人を捕まえ問い質した。

「おい、一体何があったんだ」

「へえ、城主の羊耳様が曹操への降服を決断しなさったとかで、徹底抗戦を主張する青年仕官を捕縛しようとしたところ、これに反発して武装蜂起しなすったのじゃ。そこに貧民窟のならず者共も加わって、内乱に発展したんですじゃ」

「なんて事だ」

 審判は直ぐ様、城門へ向かった。遅れて粛、額彦命が続いたが、城内から逃げ出した民の群れに呑み込まれ、瞬く間にはぐれてしまった。

 人の群れを掻き分けて審判は大路を急いだ。この騒ぎで目指す人物も遁走したのではないか、と、不安に駆られつつ。住居の大まかな場所は分かっている。城郭の隅にある貧民窟のどこかだ。詳しいことはそこで聞けばいい。

 あちこちで火の手が上がり始め、穀物倉を打ち壊す一団も見える。それを尻目に審判が駆けていると武装した一団と遭遇した。

「おい、そこの見慣れぬ奴。貴様、どこの所属だ。羊耳の配下か」

 今しがた聞いた城主を名指ししている所を見ると武装蜂起した連中だろう。当たりをつけた審判はやり過ごすことにした。

「違う。俺は反羊耳派だ。先刻、斥候の任から戻ったばかりで事態はよく呑みこめんが、兎に角、曹操に降るのは反対だ」

 上手く嵌ってくれよと審判が祈っている間、彼らは何か囁き合っている。

「そうか。ならば共にこい。同志よ。今から羊耳の官府に踏み込み、奴を血祭りに上げ、この城の執政権を奪い取るんだ」

 嵌り過ぎだと審判は心の中で毒づいたが、こんな連中に関わっている場合ではない。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。実は今、貧民窟の仲間と渡りをつけに行くところだったんだ。仲間は一人でも多いほうがいいだろう。徒長酒家ってとこで落ち合う手筈なんだが、場所がよく分からない。誰か知らないか?」

「あの呪い師集団の所か? 胡散臭いな」

 呪い師集団の巣窟とは、さすがに審判も知らなかったが話を合わせる他ない。

「当たり前だ。仲間には悪少年や遊侠の徒もいるんだぜ。日の当たるところで集会なんかできるもんか」

 この辻褄合わせが功を奏したか、彼らの一人が件の場所を教えてくれた。審判が礼を言い、その場を後にしようとすると突然大声が響き、審判はどきりとした。が、それはまた別の事態を告げるものだった。

「大変だ。羊耳が手勢を率いて討って出て来たぞ」

 その声に反応して辺りを見回すと、あちこちの大路から武装した軍隊が殺到してきた。

「糞。先手を取られたか。ここは合力して凌ぐぞ」

 訳の分からぬままに審判は戦闘に巻き込まれてしまったが、ここを切り抜けなければ目指す人物には会えない。仕方なく敵と斬り結ぶこととなった。

 しかし、不思議な感覚があった。敵は多数だが難なく討ち斃せる。周囲の連中は苦戦していたが審判はまるで負ける気がしない。田舎軍隊とはこんなものかと思ったが、実はそうではない。ここ、ひと月余りの逃亡生活で審判の心身は研ぎ澄まされ、加えていきなりの戦闘で慌てていた兵など相手にならなかったのだ。

 周囲の者達も意外な強者の参戦に舌を巻いた。するとそこに粛と額彦命が到着。戦局は一気に反羊耳派有利となった。これを見た審判はその場から離脱した。


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