18 二人の二世
冀州は連日、お祭り騒ぎだった。
冀州の脅威となっていた公孫瓚を袁紹軍はついに易京に滅ぼし、幽、并、青の三州も袁紹の支配下に入った。袁紹は名実共に河北の覇者であり、最も天下に近い人物と目されるまでになった。同じ頃、曹操が本拠地、許昌に天子を奉戴し、天下盗りレースに名乗りを上げている。が、国力、兵力共に袁紹に大きく後れを取っており、戦になれば袁紹有利というのが世間の評価だった。
その袁紹が勝利の軍と共に鄴に凱旋したのである。民衆は盛大にこれを出迎え、審判、粛ら留守居役の青年兵達は羨望の眼差しでその様子を見ていた。
鄴の大路を煌びやかな袁紹軍が練り歩く。その傍らには参謀として従軍していた審配と、それに付き従う雷天の姿もあった。本来なら自分もあの中の一員として皆の喝采を浴びていた筈だと思うと審判はとり残された気分になり、心から祝福できなかった。
易京の戦いで最も声望があったのは軍師の田豊であろう。幾重にも建てられた城壁に手を焼く袁紹に地突の計。つまり地下道を掘り、籠城する敵を攻略する策を進言し、これが的中した。その遠大な策戦を支えた参謀、沮授もまた、田豊に次いで評価が高かった。他方、審配の名はこの戦で殆ど聞くことはなかったが、雷天は軍馬尉という、地味ながらも役職に就いたと同期の間で話題になった。皆が冗談交じりに大きく差をつけられたなと言ったものだが、審判は笑ってはいられなかった。雷天が出世したからにはなんらかの武功があったのだろう。ならば、自分にも父が言った通り出陣の声が掛かる筈だと無理矢理納得した。
袁紹がこの勢いに乗って直ちに南進を開始すれば歴史はどうなったであろう。だが、同情的に見れば袁紹は河北を支配下においたばかりで日が浅く、そう簡単にはいかないという事情もあったのだろう。公孫瓚討伐から白馬津の戦いまで一年の時を要している。その白馬津の戦いに審判は念願叶って初陣を飾ることになるのだが、その間、審判は悶々としていた。袁尚が狩りを行うというので審判が所属する青年部隊に出動命令が出たのはそんなときだった。狩りとはいえ、軍旅を催すのは訓練の意味合いが強い。公孫瓚討伐でも功があったという袁尚の下で実力を見せる機会が与えられ、審判達は意気込んだ。
「袁本初が三男、袁尚顕甫である。俺が公孫瓚と戦っていた間、鄴で安寧を貪っていた貴様等の根性を叩き直すために今回の狩りを催した。我が栄えある袁家の兵士に無能者はいらぬ。皆、競って功を挙げよ」
兵士達は揃って落胆した。何も好きで安穏としていた訳ではない。本拠地の守備も重要な任務だ。この二世はそんなことも鑑みず、ただ、己の顕示欲を満足させたいだけなのは明らかだ。狩りでどう功を挙げろというのか。公孫瓚に勝利して、興奮冷めやらぬこの二世は戦争が楽しくて仕方ない様子がありありと出ていた。
かくして狩りは始まった。審判ら青年兵達は森林地帯から野原で待ち構える袁尚と、そのお付き達のところへ獲物を追い立てるだけである。勿論、馬などという上等なものは与えられない。武器も訓練用の木剣や棍くらいだ。
皆、一様にやる気など起きなかったが審判は必死だ。だが、追い立てた獲物がやっと袁尚の前に飛び出たところで、袁尚の放った矢はへろへろと飛んでかすりもしない。弓術は鍛錬も大事だがセンスによるところが大きい。審判はあれなら自分の方がまだマシ、と思う程度だった。
「獲物がつまらぬ。もっと大物をあぶりだせ」
小物も仕留められぬ者が大物をどうやって仕留めるのか審判は教えて貰いたかったが、その気持ちを抑え、再び森の中に駆け込んでは獲物を探した。
他の者は遠足気分でそんな審判を窘めた。
「もうよせ。袁尚様は俺達なんか見ちゃいない。真面目にやっても馬鹿を見るだけだぞ」
普段、審判という二世を目の当たりにしている彼らは手の抜き方も心得ている。だが審判自身、そんなことは不慣れだった。袁尚への心象を少しでも良くするため審判は励んだ。
もうどれだけ森の中を走り回っただろう。日も昇りきり、夕暮れにはまだ気の遠くなるほどの時間がある。さすがに審判も疲れ果て、森の涼しい所をがさがさと歩いていると袁尚達の姿が目に入った。
「お待ち下され。袁尚殿は草むらにて獲物を待っておられる手筈。何故、森の中へ」
審判が袁尚の前に出、跪いて問い質した。
「ん、ああ。ただ獲物を待つだけというのも面白味に欠けるのでな。俺自ら仕留めてやりに来たのだ。後は貴様等の監督といったところか」
「危険にございます。袁尚殿は何卒、森の外で御待機下され」
実は袁尚は日光に音を上げて森に入っただけなのだが、まさかそんなことは言えない。
「貴様、無礼であろう。狩りごときで御身を守れぬ袁尚殿だと吐かすか。言うに事欠いて指図までするとは何事だ」
袁尚の取り巻きが審判をなじった。尤も、危険と言ったのは仲間達が動物と間違えられるのを危惧してのことだったのだが、そこまで思い至るような連中ではなかった。
「いえ、決して袁尚殿を侮辱する訳ではありませぬ。ここは我々にお任せ下され。何卒、袁尚殿は森の外にて御待機を」
審判は毅然と言い放った。が、そこには袁尚に良く見られたいという下心も多分にあった。しかし哀しいかな、その態度がどんどん裏目に出ているのが審判には分からない。