14 豎子と年寄り
「気が付いたか」
敵兵、そして寝返った護衛から助けてくれた年寄りが傍に座っていた。審判の体中の傷は浅かったが手当てされていた。辺りは夜の帳が降りはじめていた。
「まあ飲め」
差し出された竹筒に審判は飛びついたが、中は酒であった。当時の酒のアルコール度数は高くないが、渇いた喉を潤すにはやはり向かない。だが、審判はむせつつ流し込んだ。
「まあ食え」
年寄りは干し肉も差し出してくれた。何日ぶりの人間の食べ物だろうか。審判はこれも平らげ、年寄りに頭を下げ礼を述べた。だが年寄りはそっけない。
「礼などいらん。そういう契約だからな」
そう言われて審判はなんとなく分かった。父の審配が我が子の身を案じて雇った用心棒であろう。もしかすると食客だった男かもしれないと審判は推測した。
年寄りは名を顔琉と名乗った。どこかで聞いた名だなと思ったが深くは考えなかった。
「ところで、これから何処へ行くつもりかな? 豎子よ」
豎子とは未熟者、半端者といった意味である。審判は内心むっとしたが、命の恩人に口答えも憚られ、聞き流した。
「北にある丹という城を目指しております。父の遺言でもありますゆえ」
顔琉は首を振り嘆息した。
「嗚呼、豎子よ。戦の趨勢も見えず、未だ袁紹に付き従うことしか考えられんのか。今からでも遅くはない。逃げようとは思わんか」
「逃げてなんとします。戦に負けたからといって、忠義を捨てて主君を見限る者こそ豎子でしょう。確かに袁紹殿は病没されましたが、仕える家が絶えた訳ではありません。ならばみどもは主家に対し、忠節を尽くすのみです」
糞真面目に反論する審判を窘めるようにまたも顔琉は大袈裟に嘆息した。まるで馬鹿につける薬はないといわんばかりだ。
「儂はな、お前さんの親に大枚もろうて雇われたのじゃ。お前を守ってくれとな。悪いことは言わん。これ以上、袁家に関わってもろくな目に遭わんぞ。ここらが潮時じゃよ」
「ならば、もうお引取り下され。前金を受け取られたなら、もうその分の仕事は充分して頂きましたから」
審判がそう突き放すも顔琉は肩を竦め、
「そういう訳にもいかん。士は己を知る者のために命を賭す。老いたりとはいえ、侠客を気取る儂としては依頼主との約定を軽々に反古にはできぬのじゃよ」
侠とは法や倫理に反してでも義を重んじる思想である。審判はしてやったりと思った。
「ほら御覧なさい。貴方も自分の意に反して守らねばならない節がある。みどもも同じです。軽々に忠節をかなぐり捨てるなどできぬのです」
鬼の首を取ったような審判に顔琉は呆れたような風をした。
「はああ、やはり豎子よ。小手先の理屈をこねるは知っておるが、ことの本質、物の道理が見えておらん。お前さんと儂では、根本的に動機が異なるのじゃよ」
「何処が違うのです。貴方は金。私は忠。命を懸けて守るべきものが違うだけで、何も違いませぬ」
顔琉と言い争うかたわら、審判は父親に文句を言いたい気分だった。護衛を雇うにしても、なぜ、こんな気難しい老人なのかと。もっと従順で、若くて適当な者はいなかったのか。腕が立っても、こんな頑固親父では話にならない。
二人が暫く押し問答をしていると、何者かが近づく気配を顔琉が察した。
「まあ待て、連れが戻ったようだ。一時休戦じゃ」
あの異国の男であろう。審判にはそんな気配、微塵も感じられなかった。すると言うとおり、件の男が茂みの中から静かに現れた。