最終話 審判、はるかに
やがて日食も終わり、辺りは昼の明るさを取り戻しはじめ、船は無事、沖に出て、陸の戦闘も終息しつつあった。皆がこの奇跡と顔琉達の安否について騒いでいる中、審判は欄干にしがみつき、顔琉の名を呼び続けた。すると後ろから額彦命が声を掛けた。
「審判さん、私、謝らないといけない。私、今まで貴方達に嘘、ついてたね」
こんなときに何を、と、審判と甄梅は額彦命の方を向いた。
「私、ヌ国の奴隷と言ったけど違う。王族の一人。もっとも、王位継承権は十番目くらいだけど」
説明によると額彦命は王位継承の争いに巻き込まれ、海を渡って中国に来なければならなくなったのも、陰謀によるものらしかった。だが、この任務を遂げて帰国すれば額彦命は王室で存在感を増し、大きな発言力を持つようになる。袁紹のために同盟締結は果たせなかったが、この国の人間をこれだけ連れて帰ればそれ以上の成果になると額彦命は言った。奴隷の卑しさはなく、どこか雅なところが額彦命にはあると感じていた審判は少なからず納得した。
「では、貴方もまた権勢欲に囚われた人だったのですか。袁紹や、曹操や、審配のように」
「そうです。私は必ず祖国に帰り、私を陥れた者達に復讐する。そして王位に就いて、私の国を脅かすヤマイ国を攻め滅ぼす。それが私の目的。この国に来るまでは」
ひと呼吸おいて、額彦命は続けた。
「でも今はその目的、少し違う。この国来てよく分かった。戦だけはするの駄目ね。この国大きい。人、多い。文明も進んでる。でも、その分、戦の規模とても大きい。私の国、いや、倭国、戦してる場合違う。私、王になって戦やめさせる。ヤマイ国の奴隷になっても、降服して戦の愚かしさ伝える。これが今の私の目的。審判さんと甄梅さんにもそれ、手伝って欲しい」
「できるかな? 俺に」
「勿論。審判さんならすぐ、私の国の重臣なれる。甄梅さんは祭祀、司ることできる。この国のように、戦は戦、祭祀は祭祀、そして政。それらをきちんと区別しないといけないことも分かった。でも私の国、幼稚な呪術に国の行く末託してる。これでは駄目ね」
審判は暫し言葉を失った。今まで戦で負けに負け、ついには中華に居場所もなくし、故郷を捨てて逃げ出したと思った矢先、信じられない申し出だった。だが、額彦命の表情は真剣だった。
「分かった。何ができるか分からないけど、そういうことなら協力させて貰うよ、額彦命。いや、額彦命殿」
「良かった。私、国に帰ったら顔琉さんに教えられたこと、皆に聞かせたい。国に広めたい。戦のない国、倭国に打ち立てたい。審判さんと甄梅さんいれば、きっとそれ叶う」
額彦命が審判に謝意を示すと、甄梅が二人に声をかけた。
「ねえ、あれ見て。あの海岸沿いの崖の上。あそこに誰かいる」
二人は甄梅が指す方向に目を遣った。そこにいたのは紛れもない、粛と顔琉だった。二人とも戦いでボロボロになり、返り血と土埃で真っ黒になっていたが、間違いなく、粛と顔琉の二人だった。顔琉は流の背で鉄棍を掲げていた。その横で粛が大きく両手を振って、元気よく飛び跳ねていた。
審判は甄梅と共に大声を上げて手を振った。それに気付いた周りの皆も手を振った。額彦命も手を振っている。船は次第に海岸線から離れ、二人の姿は小さくなっていった。皆、いつまでも手を振っていた。
「ははは。見ろよ。向こうも俺達に気付いたみたいだぜ。それにしても凄え一騎打ちだったよなあ。一合打ち合って、あの張遼も落馬させちまうんだから。やっぱ爺さん強えよ。なあ、爺さん」
かくして建安十一年。歴史によるとこの年、曹操は袁尚の首を差し出した公孫康の降服をもって河北平定を完了させている。その途上に参謀、郭嘉は病没。曹操はその死を大いに嘆き、悲しんだという。また、この遠征で最も功のあった張遼は曹操軍の中核を担う将として重きを成すようになり、これ以降、伝説的な活躍を歴史に残すことになる。
曹操は河北を平定した後、中華をほぼ手中に収め、覇者として君臨するものの、赤壁に敗れ天下統一とはいかなかったが、中国史に留まらず、世界の歴史にも巨大な足跡と偉業を遺した。にもかかわらず、曹操は二千年もの長きに渡り極悪非道な暴君として不当に低い評価をされている。確かに曹操は後世の常人には理解し難い悪事も行ってはいる。だが、それは乱世に頭角を顕した英雄には避けては通れぬ道である。曹操が悪人だから評価に値しないという理屈は成り立たない。歴史の勝者であった筈の曹操が何故、敗者以上に貶められなければならなかったのか、謎と言わざるを得ない。
余談だが、審判達が旅立ってから約三十年の後、邪馬台国の女王、卑弥呼が難升米を朝貢として魏国に遣わし、親魏倭王に封じられている。だが、その頃には曹操はすでにこの世におらず、跡を継いだ息子の曹丕も若くしてこの世を去っている。
朝貢と接見したのは曹丕と甄氏の間に生まれた曹叡である。
名君とも伝わる曹叡だったが、皮肉にもその生い立ちは薄幸である。父、曹丕が若くして死んだのは妻の甄氏に巫蟲の呪いをかけられたからだという噂があった。その甄氏もまた、巫蟲事件の発覚により処刑されている。曹丕が病没したのがその数年後だっただけに、人々はこのスキャンダラスな事件を面白おかしく脚色し、現代まで伝わったのだろう。だが、その真相は全て歴史の彼方である。更に、この事件の真相を裏付けるかのように曹叡はついに一人も子をもうけぬままこの世を去った。
そして、中華の覇者として栄華を極めた曹操の一族は僅か数代で司馬氏に取って代わられる。各地に散った曹操の血族はその出自を隠し、人知れずその命脈を繋いだという。
~了〜




