113 狼の牙
閉ざされた城門の前に集結した顔琉愚連隊は出撃のときを今か今かと待ち構えていた。顔琉が流の背に乗り皆を鼓舞して鬨の声をあげると、城門を開いて眼前に展開する張遼軍目掛けて突撃を開始。その気配は船内にいる審判達にも伝わった。
「始まったね」
「粛と顔琉さん達、大丈夫かしら」
心配する甄梅の肩に審判は手を置いた。
「大丈夫。粛は鄴に帰る。あいつの帰りを信じて待っているお袋さんがいるんだ。顔琉殿にも、鄴に戻って会わなければならない人がいる」
「誰?」
「死んだ俺の母だ。顔琉殿は母の墓前に、俺を守り抜いたことを報告するだろう。そして、こう言うんだ。お前の息子は、紛れもなくお前の息子だったぞ、って」
甄梅は首を傾げるだけだった。
「我こそは黒山四霊獣が一人、顔狼牙。命惜しくない者は、かかってくるが良い」
顔琉が大声で名乗りを上げると、その迫力に敵は浮き足立った。そこへ顔琉率いる愚連隊が突入し、敵を次々と蹴散らす。緒戦は顔琉側が有利となった。
「よおし、今だ。縄を解け。出航だ」
石徳の指示が飛ぶと船を固定していた縄が順次解かれ、船が静かに動き始めた。
審判、甄梅、額彦命は甲板に出た。港を出れば戦闘の様子が見える筈だ。そこにはすでに殆どの乗組員が出ていた。
流に乗った顔琉は獅子奮迅の働きで敵を討ち取っていた。粛もよく戦った。その勢いに乗り、愚連隊も暴れまくった。だが、すばらしく統制のとれた部隊が彼らの前に立ち塞がった。
「来たぜえ。上官越と任来だ。爺さん、今度は敵が退いたからって、深追いはなしだぜ」
「分かっておるわ。柳城では手玉に取られたが、今度はこっちが手玉に取ってやるわい」
とは言ったものの、押さば退き、退かば押す、二騎の見事な用兵に顔琉個人の武力ではどうにもならず、次第に旗色が悪くなってきた。その様子は船上の三人にも見えた。
最初こそ顔琉を中心に敵を圧したが多勢に無勢、愚連隊はたちまち呑み込まれ、目に見えてその数を減らしていった。だが、船の上の審判達にはどうにもできない。すると額彦命があることに気付いた。
「張遼、この船を攻撃してこないね。最初から攻撃する気なかったか、攻撃する余裕がなかったか、これなら私達の方は心配なさそうね」
裏を返せばそれだけ張遼は顔琉に拘っているとも取れる。審判は顔琉が生き延びてくれることを願う他なかった。だが、陸の上では圧倒的不利な状況に立たされている顔琉達の姿があった。
「爺さん、四方八方から敵が湧いてくる。倒しても倒してもキリがねえ」
「ううむ。あの二将を倒せれば良いのじゃが、少し打ち合うとすぐに離れおる。やりにくい相手じゃのお」
甲板の上では乗組員達が戦いの行方を見守っていた。
「随分数が減ってきたぞ。もうまずいんじゃないのか。ああっ、またやられた」
その脇で審判達も戦いを見守る。船が陸地から離れてゆくに従い、その光景は小さくなっていったが、顔琉が苦戦しているのははっきりと分かった。審判は後悔せずにいられなかった。なぜ、こんな船に乗ってしまったのか。目の前で顔琉と粛が苦戦しているのに、自分は傍観するしかできない。助けることも、声をかけることもできない。
「甄梅ッ」
審判は突如振り向き、甄梅の両肩を掴んだ。
「頼む。祈ってくれ。あのときのような奇跡を、もう一度起こしてくれ」
傍にいた額彦命が疑問を呈した。
「奇跡? 一体何のことか?」
「信じられないかもしれないが、甄梅が祈ると星が降ったんだ。俺は確かに見た。そうだろ? 甄梅。あの力で、顔琉殿を助けてくれ。虫のいいことを言っているのは分かってる。でも、俺のせいで、顔琉殿をこんなところで死なせないでくれ。お願いだ。俺のために、顔琉殿に命を懸けさせないでくれ。後生だ。甄梅」
審判はそのまま甲板に膝をついた。甄梅は暫し困惑していたが、あのときのように目を閉じ、両手を広げ、祈り始めた。
周囲は相変わらず顔琉の劣勢を伝えていたが、その騒ぎの様子に変化が起こった。明らかに戦の状況を見ていたときとは違う。審判は思わず顔を上げた。同時に額彦命が叫んだ。
「審判さん。上、上を見る。奇跡よ。本当に奇跡が起こったよ」
その場の皆が一様に天を仰いでいる。審判も天に目を遣った。するとそこには、薄い雲の向こうに見える太陽が次第に欠けてゆくのが見えた。




