112 審判の死
翌日、審判が目を覚ますと城内は騒然としており、出航計画は既に動き出していた。倭国行きの船など滅多に出るものではない。城内の民が総出でその準備を手伝い、見物し、中には露天商や大道芸人までいた。顔琉の愚連隊もまるで祭りを始めるような勢いである。その彼らを鼓舞する顔琉の様子はいつもと変わりなく、昨夜のことは夢だったのではないかとさえ思えた。石徳も出航に向けて水夫達の陣頭指揮を執っていた。審判と甄梅の姿を見つけた額彦命が手を振って二人を呼んだ。
「審判さん、早く早く。もう準備、殆ど終わってるよ。後は顔琉さんが張遼引き付けてくれてる隙に出航するだけね。今日は天気も風も、潮もいいし、きっと上手くいくよ」
「おう、お前ら。お客人を無事、倭国に送り届けるのが俺達の仕事だあ。出航だけじゃねえぞ。倭国に着くまでが勝負なんだ。出航で躓く訳にゃあいかねえ。気合を入れろ」
額彦命が話している最中にも、石徳の威勢のいい声が聞こえる。それに応じて海の男達が声を上げる。すると粛の声がした。振り向くとそこには顔琉もいた。
「いよいよ出発だな。お前とは長いようで、短い付き合いだったなあ。倭国に行っても、元気でな。それと甄梅、審判のこと、頼むぜ。こいつ、こう見えて結構物臭だから」
「うん、知ってる。任せといて。色々有難うね、粛。楽しかったよ」
「それと額彦命、アンタと初めて会ったときは大変な目に合わされたけど、今はいい思い出だよ。二人のこと、よろしく頼む」
「はい。二人は私の大事な友達。決して倭国で危ない思い、させない」
「粛、お前の方こそ、達者でな。張遼は恐ろしい相手だ。命を落とすんじゃないぞ」
「心配すんなって。張遼なんか目じゃねえよ。こっちにゃ黒山四霊獣の顔狼牙がいるんだぜ。なっ、爺さん」
「ん? ああ、うん、まあ、そうだな」
珍しく顔琉は言葉少なだった。審判は、何故か顔琉に話しかけることができなかった。
「それとな、粛。無事、鄴に戻ったら皆にこう伝えて欲しいんだ。審正南の息子、審判は一人、鄴を見捨てて逃げたがすぐ曹操軍に捕まって、失意の中で殺されたと。これで鄴の人達の溜飲も、少しは下がるだろう」
「お前がそれでいいなら、そうするよ。でも、俺はお前のダチだからな。お前が何処に行っても、何者になっても、よ」
「知ってるよ。当たり前だろ」
甄梅、額彦命、顔琉もそれぞれに別れの言葉を交わした。審判も顔琉に何か伝えたかったが、何を言えばいいのかわからない。そうこうする内に石徳が現れ五人を急かした。
「さあさあ、お客人。早く乗った、乗った。かなり危険な船出なんですぜ。それじゃ顔琉さん、手筈通り、曹操軍を引き付けてくれ」
「なんだよ、石徳のオッサン。まだ審判と爺いさんの別れがまだなんだぜ。野暮を言うなよ」
だが、審判は粛を制した。
「いや、もう、いいんだ。顔琉殿、お元気で」
審判が拱手すると顔琉も、
「うむ。豎子よ、お前もな」
「なんだよなんだよ。お前ら、それでいいのかよ。もう、後悔したって知らねえからな」
何故かやきもきする粛を顔琉は引っ張り、人ごみの中に消えていった。審判達も石徳に促され、桟橋を渡ろうとしたとき、審判は、はたと思い出し、振り向いて大声で叫んだ。
「粛ーッ。お前こそ俺の張子房であり、鮑叔牙だったぞー」
周囲の喧騒にその叫びは埋もれ、果たして粛に届いたのか、二人の姿はもう見えなくなっていた。




