109 怖れる狼
「最初に、豎子に看破されたとおりであった」
は? と、審判は間抜けな声を上げた。
「お前は忠義。儂は金に命を懸ける。最初に会うたとき、豎子に言われた言葉だ」
そういえば初対面で審判はそんな屁理屈を顔琉に言った。今思い出すと恥ずかしい。
「だが、ちいと違うの。儂は金よりも、もっと醜い下心で動いておった。豎子に金でと言われたときには心底ほっとした」
顔琉は独り言を呟くように、夜空を見上げたまま、昔語りをはじめた。
「儂は白狼山に近い、小さな村の、小さな農家の後継ぎであった。だが儂は野良仕事が嫌で嫌で、武芸や喧嘩に明け暮れておった。幼馴染の永を嫁にし、良い暮らしをさせてやるには武官になるのが手っ取り早い。そんな馬鹿げたことを本気で考える豎子であった」
審判は驚いた。母と顔琉が同郷なのは顔琉から、ちらと聞いたが、そんな仲だったとは、母から聞いたこともなかった。
「だが、酷い飢饉が起き、遼東、遼西郡で多くの者が死んだ。そんなとき、冀州から視察に派遣されて来たのが審配正南であった。齢は儂とさほど変らんのに、能吏然としたその佇まいは神々しく、あのときの儂らには雲上人のように見えたな。その雲上人は永を見初めた。永を妻として迎えたい。妻にしてくれるなら冀州に働きかけ、この村に優先的に食料を回すと言うてな。ふん。雲上人にしては俗な駆け引きをやるものよ。永がお前の元になど嫁ぐものかと思うたものだ。その日の晩、永は儂に相談しに来おった。どうしましょうと。儂は敢えて突き放してやった。いいんじゃないか。こんな辺境の村で、儂のような田舎者といるより、冀州に行って、高官の妻になった方がいいに決まってると言った。要は格好をつけたかったのだ。永や自分の気持ちより、永の幸せを願う方が男として格好良いからの。だが、その代償は高くついた。永は審配の妻になると決意し、村を上げてのお祭り騒ぎとなった。その後、永の姿は村から消え、定期的に食料が届くようになった。儂は益々武芸に打ち込み、永を吹っ切ろうとしたものだ。そんな儂を案じてか、親族が息子の一人を儂の養子にしおった。それが顔良だった。奴にしてみればえらい災難だったろうよ」
澄んだ夜空では、いくつもの星が青い光を放っていた。




