104 遼東異聞
やがて甄梅と額彦命も合流し、一行は道から少し外れた岩場に陣取り、事情を聞くことにした。
「お前らは影武者を連れて逃げていたのか。では袁尚は何処にいる。言え」
審判の口調は、ほぼ恫喝だった。だが、皆、一様に疲れきっており、それもあまり効いてない。見かねた顔琉が口を挟む。
「しかしおかしいのお。袁尚と別行動をとるにしても、何故曹操軍に追い詰められるような行動を取る? お前さん達はただの囮で、袁尚は荊州にでも逃げたのか?」
それを受け、彼らはお互いに顔色を窺い、暫し逡巡してから、あのお付きが口を開いた。
「実は、袁尚様はもう、この世にいないんだ」
審判は俄かに信じることができず、絶句した。
袁尚は邯鄲で敗走した後、審判が推測したとおり高幹の元を目指した。その途上、義勇兵を募ったものの思うように集まらなかった。このまま并州に逃げ込んでもまた負けると思った袁尚は壺関で戦闘が始まったと知るや進路を北にとり、黒山を頼った。が、張飛燕はかねてから曹操に降らんとしていたため袁尚の首は格好の取引材料にされた。しかしこの行為が裏目に出る。曹操は袁尚を泳がせ、北伐の名分にする肚だったので予定が狂ってしまった。慌てた張飛燕は背格好の似た男を袁尚に仕立て、曹操が侵攻する地域をうろつかせ、噂を流すという苦肉の策を献じた。これには各地域の黒山の息のかかった賊や集落にも協力させた。意外にもこれが図に当たり、曹操は計画的に北伐を行うことが可能となり黒山は無事、曹操に帰順できたのである。
「それでは、儂らが張飛燕と会ったときにはもう袁尚は殺されており、儂らは偽の袁尚を追わされておったのか。張飛燕め。やってくれたのお」
すると審判がその事情を説明した。
「恐らく張飛燕は我々も利用したのでしょう。袁尚を追う者は金、仕官目当てが多い筈です。我々もその口だと思ったのでしょう。そういう輩が各地で活動してくれれば、曹操も軍を動かし易いという寸法です」
絡繰りが分かると、粛が彼らに同情した。
「それじゃ、お前らもここまで辿り着くのは大変だったろう。まあ、袁尚なんかと関わっちまったのが運の尽きだったな。俺達も人のこと言えないけど。で、これからお前ら、一体どうするんだ?」
彼らは答えるべきか迷ったようだが、余程疲れているのか、少し脅せばすぐに口を割った。曹操軍の指令でこの後彼らは公孫康の元へ向かい、公孫康の領地に曹操軍が攻め込む名分を作る。曹操軍は公孫康を討伐、もしくは降服させて北伐を終えるのだという。この任を終えれば、彼らも晴れて曹操軍への降服を認められるとも言った。
「他人事ながら、それを真に受けるのはどうかと思うぞ。お前さん達はいらぬことを知り過ぎておる。どのような末路を辿るか想像はつくが、まあ、儂らには関係ないことかのお」
顔琉が冷たく突き放すと、彼らは落胆を隠せなかった。心の奥底では同じことを考えていたものの、努めて考えまいとしていたのだろう。
「さて、どうする、豎子よ。袁尚が死んだというのは嘘ではなさそうだし、この影武者を代わりにぶん殴る訳にもいくまい」
「そうですね。考えてみれば袁尚も哀れな男だったのです。世間をよく知りもせず、教えてくれる者もいなかった。審配のような佞臣に利用され、人の道から外れ、転落の一途を辿ったのですから。とはいえ、それに河北の民を巻き込んだことについては酌量の余地はなさそうですから同情もしませんが。さあ、戻りましょう。私の胸のつかえも下りましたし、心おきなく喬に向かえます」
そう言って審判が腰を上げると、偽袁尚の一行の半数が連れて行ってくれと言い出した。顔琉に窘められ、このまま公孫康のところに行っても無残な末路しかないと悟ったようだ。残る半数も一応、引き留めはしたが無理強いもしなかった。食い扶持が減って助かるというのが本音のようだった。
「ついて来たければ勝手にしろ。ただし、我々も曹操に追われる身だ。それに、面倒もみてやれないぞ」
審判が突き放すも彼らは偽袁尚と袂を分かち、審判達の後をついてゆくことにした。
五人はたちまち五十人ほどの大所帯となり、もと来た道を引き返した。だが、この寄り道が曹操軍の接近を許してしまった。金の街に戻るとすでに曹操軍が駐留しており、とても街道を行ける状況ではなくなった。仕方なく一行は街を迂回し、山道を抜け、遼東半島を目指すこととなった。




