101 変節漢
「そんな。それではやはり、蹋頓単于は袁尚を匿っていたのですか。では何故、蹋頓単于は降服の段になって袁尚を逃がしたのです。蹋頓単于にそこまでする義理はないでしょう」
驚く審判に烏丸も困惑する。彼らの方こそ聞きたいといった風だ。すると粛が、
「俺も俄かには信じられないんだけどよ、曹操が遼東に向けて軍を発したのは事実なんだ。つい、昨日のことだよ。柳城に駐留する張遼も後詰めの軍が到着次第、遼東に向かうって、専らの噂だ。袁尚が遼東に逃げたとしか考えようがない」
烏丸の密偵からの情報なだけに一笑に付すことはできない。顔琉が審判に判断を仰ぐ。
「ここに来て急展開じゃのお。どうする? 今すぐ袁尚を追うか? 途中で曹操軍と鉢合わせする可能性は高いぞ」
審判は甄梅を見た。やはりと言おうか、その表情は明るいとは言い難い。
「いえ、昨日の今日ですし、今しばらく、この砦で休ませて頂ければと思っています。勿論、烏丸の方達のお許しがあればですが」
烏丸にゴネる理由はない。心ゆくまで休んでくれと言われ、審判達はその好意に甘えることとした。
翌日、烏丸にも曹操軍にも目立った動きはなかった。柳城を落として軍の再編と城下の制圧に手を取られる一方、烏丸の別働隊が降るのは時間の問題である。彼らは放置されていたのだ。審判が顔琉を呼び出したのは、砦に戻ってから三日も経った後だった。
「随分のんびりしたものじゃのお。いつもの豎子なら、今すぐ袁尚を追いましょうとか言いそうなものだが、どういう風の吹き回しだ」
訝る顔琉に審判は伏し目がちに答えた。
「ここまで来て情けない話ですが、もう、袁尚を追うのは諦めようと思うのです。一度捨てたつもりのこの命、拾ってみると大事にしたくなったのです」
顔琉は何も言わない。
「私は、かつて友に男ならとことんまでやるものだと言われたことがあります。しかし私はいつも途中で投げ出し、何かを最後までやりきったということがありません。鄴の兵士として、青年部隊の隊長として、鄴の守備も、審配の跡継ぎとしても、曹操の暗殺も、全て途中でやめてしまいました。この袁尚を追う役目だけは、最後まで果たそうと思いここまで来ましたが、もう、嫌になったのです。何もかも中途半端な男なのですよ。私は。こんなことなら、早々に貴方の言うとおりにしておけばよかった。私を笑いますか?」
だが、顔琉は言った。
「笑うものか。確かに、何事も打ち込むのは大事だが、それが間違ったことならやりきる必要はない。そういうのを猪突というのだ。途中で誤りに気付き、改めるのも同じくらい、いや、もっと難かしく、勇気のいることだ。少し見直したぞ。豎子よ」
「本当に豎子ですね。決断が遅過ぎる上に、結局何も成し遂げられないのですから。これからもきっと、何度も途中で、何かを投げ出すのでしょうね」
顔琉は首を振り、しかし優しい笑みを浮かべて言った。
「のう、豎子よ。最後までやりきるとは言うが、何処まで行けばやりきったと言えるのだ。命果つるまでか。体を壊すまでか。天下を取るまでか。否。最後までやり切れたというものには、実は大したことなどないのではないのか? かくいう儂も武芸を嗜んでおるが、この齢で未だ道半ばじゃよ。戦わずして勝てたためしがない」
顔琉が哄笑すると、審判も苦笑した。
「して、袁尚を追うのを諦め、これからどうするつもりだ。まさか旅を続ける訳にもいくまい」
「実はこの数日それを考えておりましたが、何も浮かびません。粛は鄴に帰るとして、私は曹操軍に追われる身の上でしょうから、甄梅はやはりどこかの村にでも落ち着く場所を探した上で、私は荊州か益州にでも身を潜めようかと考えております。甚だ無責任な話ではありますが」
顔琉は首を振った。
「いやいや、それには及ばん。どうせ儂と額彦命もお尋ね者になっておろうし。そこでどうであろう。いましばらく遼東半島へ旅を続けぬか? 豎子にその気さえあれば八方丸く収まる方法があるのだ。詳しいことは皆と話そう。これで儂も、お前さんの母者のもう一つの頼みを果たせそうじゃ」
審判は首を傾げた。




