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METARU Sorcery-帝国の基礎魔術-  作者: 高見 敬
第0章-プロローグ-
6/25

◆優子さんの帰還

 LED街灯がぽつりぽつりと付いている住宅街を、1人のスーツ姿の女性が歩いていた。

 背は古い発想で中の様子が見えないよう高く積まれたブロック塀より高く、肩幅も平均よりは随分広い。

 歩く様はまさにモデル……とは正反対。むしろガサツとし言いようのない、パンプスよりかはバンカラ下駄の方が似合うであろう。

 逆らう者の返り血で染まっているのだと噂されるその髪は、生えるまま流されるままにして飾り気一つもない。

「まー、まさにグッドタイミンって奴か。ほんとあたいってタイミングだけは良い女だな~」

 鼻歌を歌いながら歩いていたが、やがて足を止め左右を見比べる。

 片方は完全によくある戸建売り住宅。

 暗くなると勝手に点灯するガーデンライトがいくつか輝いているが、家の中は真っ暗で誰かが居るような気配はない。

 もう片方は築60年は経っている、町工場と併設の粗末な家。

 玄関先には古い型の白熱電灯が灯り、中からテレビと小さな女の子の声がする。


「まっ、筋からしちゃ反対なんだろうけど、まだ帰ってないもんは仕方ないよね。先に済ませよう」

 インターホンも押さずに門を潜り、ガラガラと玄関を開ける。。

「こんばんわ、お久しぶりです」

「あら、あらあら、優子ちゃん、久しぶりね」

「え!? ホントだ! わーい! ゆーこ姉ぇ久しぶりい!!」

「おーー、みーこちゃんお久しぶり~。またおっきくなったねぇ」


 手にした受話器をその場に投げ出し飛び付いてきた少女を一度持ち上げるとすぐ下に降ろす。

 その母親は受話器を電話機に戻してから玄関口に歩み寄ってくる。


「結城のおば様、御無沙汰しております」

「あら、またご丁寧に。ささ、遠慮せずいつものように上がって上がって」

「あなた、桶場の優子ちゃんがいらしたわよ」

「お、おぉ、優子ちゃんか、しばらく見ないうちに勇ましさだけでなく女らしさも付いてきたなぁ」

 居間から服を正しながらこの家の主人が痩せこけて疲れ果てた顔を見せる。

「ごめんね優子ちゃん、誠一ったらまだ学校から戻ってないのよ」

「ん、あぁ、知ってますよ。えぇ」

「電話したらねー、9時までには帰ってくるってー。早く帰ってくればいいのにねー」

「9時? いくらなんでもそんなに……あぁ、送っていくつもりかな」

「あら? どこかで見かけたの?」

「駅前の公園で女の子と抱き合ってましたよ、私もよく知ってる娘です。真面目で誠実で頭もいい。イチオシです」

「カノジョ?! せーにーのカノジョ?!」

「そうだねー、今なったばかりじゃないかな?」

「そうなんだー、つれて来てくれるかなー。会えるかなー」

「あはは、今日は遅いから彼女のお家に送って行ったんじゃないかな?」

「そっかー、よみちはあぶないもんねー」

「そう、誠一に……彼女……誠一に……」


 優子は誠一の夫妻の様子に違和感を覚えながら、二人に向かい合うようにして正座に改める。


「結城のおじ様、おば様。今日はご報告に参りました」

「え? お、おう。なんだ一体。改まって」

「思えば私、桶場優子は結城のおじ様とおば様が居なければ、今こうして生きている事は無かったと伺っています。

 生まれてふた月目の頃、育児ノイローゼになり私を殺そうとしていた母を止めてくださったおじ様。母は毎日のようにここに預けては気晴らしに出歩いていたと反省いたしておりました。

 その間、ずっと面倒を見てくださっていたおば様。

 小学生の頃、学校から帰るとこの工場の皆様も含め実の家族のように可愛がって下さったこと。

 単に向かいの家に越してきただけの、全く縁も所縁も無かった我ら一家に与えてくださった恩。

 いかに言葉を尽くそうと全てを表せる事はありません」

 深々と頭を下げる。

「優子ちゃん、まさか……」

「この度、向こうで知り合った方からの求婚を受け入れさせていただくことになりました。

 両親への挨拶は父・母が戻ってから正式に行う予定となっておりますので、玄関先を少々お騒がせする事になります」

「そ、それで、結婚のお相手は?」

「スポーツ用品メーカーMizuya創業者の孫にあたる方で、現常務補佐の「すっごーーーーーーい!ゆーこねぇ結婚ー!」郎さんと言います」

「これ、ちょっとはしたないですよ」

「そっか、優子ちゃん結婚か。よかっ。よがっだ」


 優子は厳粛な面持から少し笑みをこぼすと、今度は殺気をも思わせる鋭い瞳に切り替える。 


「そして、あたいのタイミングの良さにはほとほと呆れかえります」

「ど、どしたい、優子ちゃん」

「あれは何ですか?」

 静かにドスの聞いた腹に響き渡る問いかけ。

「な、何って……晩飯だよ。な、なぁ」

「おすしー! けーきー! ぴざっ」

「そ、そうよ、今日はめでたい日だもの」

「そ、そうだ、優子ちゃん結婚決まってめでたいっ!」

「いえ、今知ったばかりですよね。私が、今、話すまで知りませんでしたよね!」

 少し声が荒ぶる。

「ゆーこねぇ、おこんないで……」

 恐る恐る抱きついてくる美代子の頭を優しくなでる。

 がばと立ち上がり、静止する暇も与えず廊下を抜け、工場へと続く扉を開ける。

「やっぱり!」


 もぬけの殻だった。


「ゆ、優子ちゃん、こ、これは……これはその……」

「静かすぎるとは思ったんです。

 一度火を落とすと再起動が面倒な炉。エアーコンプレッサーが圧力を溜め直す音。他にもさまざまな動力音。全然聞こえませんでした。

 以前ならこの位の時間はおじ様1人でも旋盤使ってましたよね。工場の若手の子達が、一緒にご飯してましたよね。なのに何ですか、この有様は……」

 振り返ってしっかりと肩を掴む。曖昧な逃げは許さない。

「先日、3度目の不渡り出してしまってな。機材は昼前にバッタ屋に引き取ってもらった。

 いいって言ったのに元社員の皆は機材の梱包と積み込み手伝ってくれた。

 迷惑かけた仕入れ先にも、バッタ屋から受け取った分で払えた。借金もすっきりできた。

 思い残すことはもうないかなと。おじさん、もう疲れたんだよ」

「せーちゃんには、誠一君にはまだ話してないんですよね」

「あの子はまだ子供だ……。最後まで何も知らずにそっと逝かせてやろうと」

「何が『まだ子供だ』ですか!! もう17でしょ!」

「じ……じゅうなな?」

「ええ。あなた。誠一はとっくに17ですよ」

「そんな事まで気付かない程に追い詰められていたんですね……。せーいち君は確かにおじ様おば様の子供です。でもいつまでも子供では居られないんです。大人になりつつある17歳なんです。きっと、ちゃんと話せば力になってもらえますよ?」

「17……17か。俺が親父と喧嘩して家を飛び出したのが15だったなぁ。

 有名な歌の真似して悪さして、説教されたら『大人は判ってくれない』なんて言って」

「すいません、おじ様。せーちゃんはその段階、14歳の時に通り過ぎてます」

「うっ……」

「でも千葉の実家も山も畑も売ってしまわれて……」

「謝りに行った時は、俺が金を貸す位になっちまってたな」

「その方々は今は?」

「兄貴の所に居るよ。団地住まいのサラリーマンだ。

 兄貴もまだなんとか生活保護を申請せずにやってるってのを自慢するくらいだから頼れん。

 頼るわけにはいかん、親父の世話だけでも申し訳ないのに」


 何が起こってるか理解できない娘を抱きしめる母親をちらりとだけ見る。

 この状況を受け入れようとしていた母親の事だ。正常な判断ができる状態ではないはずだ。


「少し……。少しだけ恩返しをさせてください」

 混乱した瞳を向けてくる誠一の父に膝をついて視線を合わせる。

「結城のおじ様おば様の事は久太郎さんにも話してあります。実の父母と同様に大恩ある方達だと」

「いやそんな……」

 先に察したであろう奥方を制止し言葉を繋げる。

「みーこちゃん、美代子ちゃんが社会に出るまでの一切の学費、生活費は面倒見させて頂きます。

 せーちゃんも同様ですが、こちらはそう長い期間の話では無いでしょう。

 そしてこの家、久太郎さんにお願いして買い取らせます。このままここにお住み下さい」

「そんな、まだ籍も入れる前から……」

「久太郎さんはこの位気にしませんよ。この家の価格ならコンビニでおにぎりを買うくらいの感覚でしょう」

「ぇ……」

「但し、おじ様とおば様が何もせず悠々自適に暮らせるだけのお金を渡すつもりもございません」

「あ、ぁぁ」

 優子は安物の、コンビニやスーパーのポイントカードなどで膨らんだ財布からお札を全部取り出し奥方に手渡した。

「ここに……私がバイトで、自分で稼いだ10万円があります。

 これをおわた……お貸ししますので、暫く休憩なさったら必ず返しに来てください」

「いいのかい?」

「貸すだけですよ。利息も期日も借用書も取りません。おじ様達を信じてお貸しします。

 式の日取りが決まったらお知らせします、式までに全員の礼服を揃えていてください。

 相手方親族は忙しい方々なので、都合を合わせるためにおそらく半年以上先になる事だと思います。

 披露宴も楽しみにしていてくださいね、せーちゃんやみーこちゃんにも来てほしいから、気楽な感じのパーティーにしてもらいます。

 回らない御寿司の職人とか呼んじゃいますからね? 芸人さんやアイドルなんかも来ます。楽しそうでしょ?

 そうだ、専務さんの安来節また見たいです。呼んでもいいですよね。遠平さんの手品とか、経理の利理さんの三味線とかやってもらってもいいですか?

 慎平くんは早手さんとの漫才やらせますよ。超大御所の間に挟んで盛大に滑ってもらいます。グリシーヌさんはまだ日本に居ますでしょうかね。帰ってたら旅費送りつけてでも呼びますからね」

「あ、あぁ、たぶんまだ日本だ。先の4月に在留資格が5年になったと言ってたからな」

「ならよかったです。

 そうそう、せーちゃんの彼女は絶っ~~対に呼びますから慌てて確認する必要ないですよ。

 あとは……。

 総理とか大臣とか大統領とか、めんどくさそうなのは別の日にしてもらいます。私の友達って、公安の監視対象な人も多いからどうせ一緒にはできないんですよね。あはは」

「な、なんかとんでもない世界で怖いな。ははは」

「おじ様とかおば様を困らせる人が居たら、私が殴りに行きます。

 ね、楽しそうでしょ? 楽しいに決まってるんです。楽しくするんです。

 だから……。絶対に……。絶対に来てください。

 私の……。私の……。2人目のお父さんお母さんなんですから」

「すまない……本当にすまない。ありがとう優子ちゃん」


 どのくらいだろう? こんな時の時間の感覚は判らないが、煎れ直したお茶から湯気が見えなくなるくらいの時間が経ってから、外で車のエンジン音とガレージのシャッターが開く音がした。


「父と母が戻って来たみたい。おじ様、おば様、後で久太郎さんつれてまた来ますね。そこの晩御飯は済ませておいてね。お父さん達も用意してあるだろうからさすがに食べきれないし、ね?」

 優子は誠一の父と母に少し余裕ができてきたのを感じ取ると実家の方に帰っていった。

「あの優子ちゃんが……。ねぇ」

「でも、もうそんなになるんですね」

「なぁ、お前……」

「どうしました?」

「これ、9万5000円だ」


 それから3時間が過ぎた。

 時刻は10時半を回っていた。


 優子の両親と挨拶を無事済ませた優子は再び結城家を訪れ、久太郎も加えてこたつに入っていた。

 優子と久太郎の間に座っていた誠一の妹、美代子はうつらうつらとし始めている。

 優子と誠一の父は久太郎が持ち込んだ日本酒に舌鼓を打ちご機嫌である。

 久太郎と誠一の母は心持ち頬に赤みが増す程度に控えている。

 誠一はまだ戻っていなかった。


「誠一君、遅いですね」

 久太郎は誠一の父が美代子に作ったビー玉を興味深げにいつまでも眺めながらそうつぶやいた。

「電源が入ってないか電波の届かない所にと言ってるわねぇ。あの子ったら何してるのかしら」

「ナニしてんじゃない?」

「優子……酔ってるのかい?」

「そりゃ酔いもするっしょー。良い酒と気の置けない家族と、こんないい場で酔えないのは損だ!」

「おう、損だぞ」

「そんだぞー」

「しょうがないなぁ。まあ今夜はいいか」

「美代子、もう布団に入りなさい」

「やーだー、せーにー待ってるー」

「もうっ、この子ったら」

 ハハハと笑いながらも久太郎はハンドスピナーを手の中で転がし、それを真剣に見つめている。

「ときにお義父さん」

「おとうさんってのもなんか妙だが、どしたい」

「このスピナー、お義父さんが作られたそうですが……」

「おうよ。暇な時に美代子の玩具にと手慰みにな。それがどしたい」 

「使用されているベアリングもですか?」

「そこを作らんでどうするよ」

「そうですか、使用されているベアリング球、大きさはどの位の物が作れますか?」

「あ? そうだなー。元の道具があればって前提だが、大きい方だとピンポン玉くらいまでだな。小さい方だと2μmまでなら感覚だけでできるぞ。それ以下だと顕微鏡が無きゃ無理だ。ぶっちゃけ大きい方が難しいな、すぐにたわんじまう」

「精度も維持できますか?」

「アホか。精度維持できねぇのはできるとは言わねぇだろ」

「職人なのですね」

「俺なんざまだまだよ。職人って奴ぁ『完璧な仕事』ができてそう呼ばれる価値がある。こだわり過ぎて納期が守れねぇんじゃ半人前もいい所だ」

「確かに。納期も仕事の一部、それが守れないなら仕事としては不十分です」

「だろ? 間抜けな話さ。こんな半端者にはパチ屋の下請け仕事しか回ってこねぇのも仕方ねえさ」

「パチ屋の下請けという事は、パチンコの玉を?」

「おう。規格品よりも見た目じゃ判らんくらいの小さ目とか大き目のとか、ちょっと軽いのとかちょっと重いのとかを作るんだ。それを別の所で作った検品済みのと混ぜる。すると台を弄らなくても出やすい日、出にくい日が作れるって寸法だ。ホントはベアリングだけで食っていきたかったが、そっちは他に持ってかれちまってな。まあ裏課業って奴だ」

「なるほど、少し失礼します」


 久太郎は席を立つと元工場内に停めてある車で待つ、若い運転手に声をかけた。

「島津、この作業場を時間の許す限り掃除してくれ」

「掃除……ですか?」

「柱の陰、壁際、モルタルの罅、徹底的に掃除しここで制作されていた物のサンプルを発見するんだ」

「大丈夫ですか? その、勝手に持ち出して」

「問題が起きそうならばその時に示談する。あの社長、いやここのスタッフは掘り出し物かもしれん。場合によっては世界記録が0.8秒は縮まる」

「それほどですか?」

「手慰みで作ったというハンドスピナー、俺の手の中で10分間回り続けていた」

「まさか、ありえませんよ」

「だが事実だ。手慰みでそれなら、本気の仕事ならどこまでやれるか興味がわいた。そしてぜひ研究室に回して検査にかけてみたい」

「そういうことでしたら」

「場合によっては機材も買い戻す必要があるかもしれないと橘君にも連絡を入れておいてくれ」

「承知しました」

 仕える者が立ち去ると運転手はスマホを取り出すと一瞬迷った後にしまい込むと、別の携帯電話を取出しパカと開いた。

「……橘様、度々失礼します。先ほどの件で追加の指示がありました。……ええそうです。その不動産の続きです。……はい。展開次第では社内秘になる可能性を考慮しこちらから。……こちらならバックドアが仕組まれていないのは確認済みですので。……それで、本題ですが結城の工房から流出した工作機械・工具・潤滑油等の材料一切の追跡回収を行う可能性があると。……あ、いえ、まだ実行するかは別かと。今はまだ流れを追って回収不能になる前には押さえる程度で。……それは私には判断致しかねます。サンプルを探すように指示されましたので、発見できましたら後ほど研究室の方に。……はい。ではそのように。失礼します」

 通話を終了すると、座席の下から懐中電灯とちょっとした工具の入ったケースを取り出し床を這いだしたのだった。


 少し時間を置いてから久太郎はハンカチで手を拭きながら席に戻る。

「お義父さん、もしかしたら……」

「そうだ! 小田ちゃんの方に電話しちゃろー♪」

「え? ちょっと優子、よしなさい!」

「んふふふふ、やっぱ久太郎も最中だと思ってんじゃん」

「えっ、あっ……やられた」



 更に1時間が経過した。

「あ、小田ちゃんからメールだ……」

「若いなぁ」

「いや、今、塾の授業が終わったって。進学塾」

「……誠一君と一緒じゃなかったのかい?」

「なんかそういう感じじゃないみたい……はぁ?」

「どうかしたか?」

「んーなんかねぇ。とりあえず『返事は保留ってどういう事よ。告白成功して付き合うことになって抱き合ってたんでしょ?』っと」

数秒もしないうちに電話が鳴る。

「あ、もs『いったいどういう事ですかぁ!?!』うぉっと」

「すっごい声……」

 受話ボタンを押すと同時に放たれる大声に耳を押さえながら電話を遠ざける。

『み、み、み、み』

「通りすがりに見かけただけよ。駅前の公園でがっつりしてる所をさ」

『ど、ど、ど、ど、ど』

「いや、ほんのちょっとだけよ、がばっと行ってぶちゅーって所だけ」

『ぶちゅーっとなんてしてません!!』

「これ、ハンズフリー要らないね」

「そっか、ハンズフリーにしよう」

『え?』

 モードを切り替えると酒が入っていた桐の箱に立てかけた。

「どうも、初めまして」

『あれ?もしかして優子さんの彼氏さん?の(ちょっとー、なに今の大声ー)久太郎さんですか。ごめんなさーい今電話中。(ほどほどにしておきなさいよ)』

「あはは、あるあるですね。私がその優子の婚約者の久太郎です」

『こんやく……あ、おめでとうございます。お噂はかねがね……』

「その件で挨拶に帰って来てたんだけどね。せーちゃんそっち居ないの?」

『居ませんよ。こんな時間に居る訳ないじゃないですか。どうしてうちに居ると思ったんですか』

「え?いや、ほら、えっと、告白して恋人同士になったのなら、ちょっとでも長く一緒に居たいんじゃないかなーって」

『さっきメールにも書きましたけど保留ですよ。結城先輩は……言っていいのかな』

「いいよいいよ。久太郎にやきもち焼く権利なんてないし」

「あるよ!やきもち焼く権利はあるよ! 婚約者だよ!? 無いのは度胸だよ!」

「それ、言ってて虚しくならない?」

『じ、じゃ、その、結城先輩はやっぱり優子さんの事が好きで、一番特別で諦められないって。

 優子さんが結城先輩の事を男として見てない事はなんとなく判ってるって。

 でも、だからと言って、妥協で私を選ぶなんてそんな事はしたくないって』

「おー、前よりちったぁマシになってんじゃん」

「『え?』」

 小田ちゃんと久太郎、2人の疑問の声が重なった。

「いや、こっちの話こっちの話、で?」

『でも、私が結城先輩の事好きだって聞いて、好きな人が自分の方向いていない気持ちは判るって。だから、好きでいいって。結城先輩が、自分をちゃんと一人前の男として自信を持てるようになって、優子さんに気持ちをぶつけて

 ……あ、これ言っちゃまずかったですか?』

「だいじょび、だいじょび。私が知ってる事と、せーちゃんの覚悟の事とは別問題だから」

「そういう話なの?!」

『はい。ぶつけて、気持ちの決着をつけてから考えたいって。他の、結城先輩に告白した子達と違って、好きでいてもいいよって。それで、他の子と、大勢の女の子達とは違うんだ、一緒じゃないんだって、嬉しくなって。その……抱きついちゃいました』

「あー、そこを見たのか。その流れじゃホt……」

『ほ?』

「ホントウニすぐ別行動になったっぽいね」

『はい、私は進学塾の方がありましたから。ちょっとして握手してまた明日って』

「しかしアレだ。君はそれで良いのかい?」

『それでって、何がですか?』

「誠一君の返答だよ。要するに優子が諦められないから回答保留。そんな都合のいい女で君は満足なのかい」

『質問の意味がよく判りませんが?』

「あー小田ちゃん、久太郎の質問はだね、その私の登場部分を他の女に置き換えたら『殺しますよ?』と。。。即答ね」

『私は結城先輩が好きです。

 優子さんが好きです。

 優子さんの好きなせーちゃんが好きです。

 優子さんを好きな結城先輩が好きです。

 結城先輩の事は1人の男性として好きです。

 大好きです。

 好きな人と同じ事が好き。

 好きな人と同じモノが好き。

 すごく素敵な事じゃないですかっ!』

 優子は自慢げに「どうよ」と小さくつぶやくと久太郎は「そのドヤ顔うぜぇ……」と呟き返す。

『優子さんだからです。優子さん以外の女に気持ちがあるのに、失敗した時の保険になれ。そんな事言う男は嫌いです。その場で殺します。殺してそれまでそんな男を好きだった自分を恥じて死にます』

「それは私が悲しいから死なないで」

『では死にませんが1カ月くらいはクヨクヨさせてくださいね』

「あ゛っ」

「ん?」

「つーことはさ、せーちゃんって久太郎の事……」

『何も話してませんよ? こういうのって、優子さんの口から言わないとダメかなって』

「うん、そだね。久太郎ごめん。死んだら膝枕で見送ってあげる」

「ちょ、死んだらってどゅことぉ!?」

『あー、そうなるでしょうね』

「いやいや、女性陣だけで判らないで!」

「ほら、せーちゃんは『私への想いを万全の全力全開でぶち当たって決着付けたい』って話だよねぇ? 彼氏の段階で聞いてたら、とりあえず現状の全力でってぶち当たってみよう、って感じで動いて完全燃焼したろうけどさ。

 けど、私はもう久太郎のモノって決まった訳じゃん? 当たって砕けろの精神じゃなくて、砕けるために当たるというか砕けてから当たるというか?」

『当たって砕けるからって言ってました。きっと気が済むまで殴らせろってなりますよねぇ』

「誠一君って優子みたいなのの同門でしょ!? うわぁ……逃げたい。ほんっと逃げたい」

『逃げたら優子さんに殺されますよ?』

「大丈夫大丈夫。逃げたいって事は逃げるという選択肢がないって判ってるって事だから。

 久太郎に逃げる選択肢が入ってる時は逃げていい?って言うから」

「参ったな」

『ごちそうさまです。じゃ、さっきからお母さんが見てるしもう遅いので切りますね。また……』

「うん、またー」

「またーじゃないよ、ちょっと待って!」

「ん? 何かあったっけ?」

「何かあったっけ? じゃないよ! 誠一君だよ!」

『はい、いきなり急所狙ってくるかもしれませんから注意してくださいね』

「君も! そうじゃなくて、まだ戻ってないんだよ! 遅すぎるし電話も通じないんだよ」

『あ、そういえばそういう話でしたね』

「久太郎……その話はもう終わったんだよ」

「『終わってませんて』」

「いや、だって7時ちょっと過ぎにわか……別行動して、その後は知らないんだろ?」

『はい、10分の電車に乗りましたから』

「あたいが2分着の列車から降りたんだし結構しっかりと……いやいやそうじゃなくて19時以降の消息不明。これ以上の事をここで小田ちゃんと話してても情報増えんと思うが?」

「いや、誠一君はその後どこかに行くとか言ってなかったかい?」

「い、いえ……特には思い出せないです。すみません」

「そうか、引きとめて悪かったね。あとはこちらで何とかするよ」

「じゃあね、おやすみ。モヤモヤしても片付けて洗ってから寝るんだよ」

『は……い? じゃあおやすみなさい』

 電話を切ってから優子の脳天に久太郎の拳が落下した。

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