■下校-小田ちゃんの回想-
結城先輩と初めて会ったのは武統会の入口前。
薙刀を持ったまま外周を走るだけの基礎練習。
だが当時小学生だった私にとって、その走る時だけ持たされた大人用標準サイズの薙刀はあまりにも大きく走り辛かった。
転ぶ!そう思った瞬間手を伸ばして支えてくれたのが偶然通りかかった結城先輩だった。
カッコよかった。王子様だと思った。
それからは桶場優子班長と結城先輩とが並んで楽しそうに雑談している時、少し離れた所からずっと見つめていた。
時々話かけてくる何気ない言葉がとてつもなく嬉しかった。
桶場班長は自分にとって信頼のおける上官であり王女様。
王女様と王子様が並んでいる。その脇に仕える事が夢になっていた。
ずっとあんなカッコいい人たちの傍に居たい。
その夢が脆くも崩れ去ったのは中学に入った頃だ。
最近見ないなと寂しくなり、班長の桶場先輩に問いかけた。
「せーちゃん? あーごめん、辞めちゃったよ。体の問題でここのやり方は続けられないって」
その言葉は衝撃的だった。
一緒が良かったのだ。それが4人でも5人でも構わない。
大好きな桶場先輩と大好きな結城先輩と私とチームメイト。
その理想の形はもう叶わない。
私は泣いた。小さい子がするように、言葉として認識できるようなのは「だって」と「やだやだぁ」だけ。その時私ですら物事をどう考えれば良いのか、この気持の正体が何なのかはサッパリわからなくて、ただだ溢れる声を溢れるに任せた。
恥も外聞もなく、大声で言葉とならない形で色々感情そのままの形を吐き出すように。
道場脇の医務室で目が覚めた時、優子さんは手を握ってくれていた。
他の子の監督もしなければならなかったであろうに、ずっと握ってくれていた。
「大丈夫? ごめんね、辛かったわね」
嬉しかった。嬉しくてまた泣いた。
中学2年ももうじき終わりと言う頃、優子さんが大学進学で東京へ行く日が決まった。
それは少し前からこまめに話していたのでショックは受けなかった。
そして結城先輩の話になった。
「まだ好き?」
力強く頷いた。
「よし、なら応援するわ」
優子さんは結城先輩の通う事になった高校を教えてくれた。
私の認識からすればあまり程度はよくない。
名前を漢字で書ければ合格するような学校程ではないにしても、決して上等とは言えない学校だ。
きっと家族も学校の先生も物凄く反対するだろう。
私はその気になればAランク偏差値65以上を狙える、安全圏の滑り止めでもBランク偏差値60以上は手堅いと先生に言われていた。
だけど結城先輩と同じ学校に行くと言えば、きっと血の涙を流して引きとめようと、考えを改めさせようとするに違いない。
だけど覚悟は決まっていた。いざとなればどんな事をしてでもと。
高校に入って最初に結城先輩を見たのは全校集会での新入生代表挨拶の壇上からだった。
多くの生徒の中でもキラキラ輝いて見えた。
彼女の憧れる王子様だった。
最初の休み時間、憧れの先輩を探す為に教室を飛び出した。
学年ごとに階は違うがクラスはそう多くない。すぐに判るはずだった。
その男は女子と腕を組んで廊下を歩いていた。
「そうよね。彼女くらい居るよね。素敵だもん」
泣きたかった。でも我慢した。自分のクラスに戻ると休み時間は終わっていた。
その日はずっと机に顔を伏せて過ごした。
次の日は学校を休みたかった。
行く意味がない。そう考えざるを得なかった。教師は自分よりレベルが低く授業内容は中学時代のおさらいのような内容で稚拙としか言いようがなく、学べる事などまるでない。
けど無理を押して通う事になった学校を、いきなり二日目から不登校はさすがに家族に申し訳がなかった。
昼休み、武統会で顔だけ知っている女子が訪ねてきた。
中学時代にあの男と同じ学校に通っていた剣術部の女子だ。
寝たふりをして誤魔化したかった。
だが体が反応して飛び起きた。
振り下ろされたモップの柄が机を打ち跳ね上がった瞬間に腕で絡め、相手の得物から自分の得物へと主導権を奪い取る。
席から立つと同時に、まず目標を定めぬ二連続の突き。これは単に得物に残る相手の掌を剥がす作業。
くるりと返して肩を打ち、また返して膝を打つ。
「参った!」
その声で彼女の顔面を襲いかけていたモップを引き二歩分距離を取るが構えは崩さない。
「やっぱ強いね、私が勝てるのは身長だけだわ」
ざわめきながら距離を置くクラスメイトをよそに、ニッカリと笑ってサムズアップしてくるその子は、今できたばかりの、そしてこれからの親友だった。
場所を校舎間の庭に移してお弁当を一緒に食べる。
「やっぱりね。でもきっとその人は彼女じゃないよ」
ケラケラと笑いながら答える彼女は裏表のない明るい子で、考える前に手や口・体が動くタイプだ。
「けど昨日……」
「中学の時からそうなんだよ。友達は多いんだ。男女分け隔てなく接して『キラーン!』って感じ?」
「キラーン……うん。キラーン。いいですね!」
「困ってたらシュッ、危なかったらサッ! そしてキラーン。そんな感じ」
「ふへへへ……キラーン……」
「おーい、ファンが減るぞー」
いけない、よだれが出てた。
「告白した子も1人や2人じゃないと思うよ。たぶん2ケタは行ってる」
「そうですよね。カッコいいもん……」
「けど特定の誰かと彼氏彼女ってんじゃない。誰か一人を選んだりはしてないともーよ」
「どうして?」
「誰かを選んでたら絶対モメてるし。自信満々に『私は特別だ』ってツラぁする奴でて来て仲良しグループはやってられないってさ。だから結城っちは平等に友達やってるみたいって」
「どうして?」
「しらなーい。うちはその仲間じゃなかったもん。うちの好みはもっとムキムキマッチョで光線でも出そうなほどピカピカスキンヘッドな人が良いし。けどね」
「けど?」
「女と見るとちち尻ふとももーって男どもよりかは気楽だからじゃね?」
「ちち尻……」
「あるじゃん話してたらジーっと胸みてる男とかさー」
「うん」
「そんないやらしさがない。だから『女ー!彼女ー!』って、キモい野郎どもを遠ざけるに丁度いいってカンジ?」
「そう、なんだ」
「だから、そういう取り巻きの『結城君を男避けのダシ』にしているだけの子とか普通に腕とか組んで貰えるんだってさ。
んで、人気のある男子と一緒に居たいー的なとか? ファッション感覚で来るような子とか来るようになって。そんな子達もオッケーなんだと」
「じ、じゃぁホントに好きになった人……だったら?」
「いやぁ、どなんだろうねぇ? 泣いてる子の話も聞かなかったよー?」
「でも、告白した子居るって」
「うん、でもフラれてるけど泣いてる子はいなかったよ。むしろなんか元気になってたって」
よく判らなかった。
自分なら、私なら結城先輩に断られたら泣いてしまう。
苦しくて苦しくて我慢できないと思う。
でも結城先輩に彼女はいない。
曇ってた空が晴れた。そんな気がする。
「頑張んなよ~。うちら門下生みんな応援してんだぜ~?」
「門下生みんな?」
「薙刀の小妖精、伝説のぎゃん泣き。知らない奴はいねぇよ?」
顔から火が出た。
次の日から話しかけるタイミングを探して追いかけた。
結城先輩の周りにはいつも誰かが居た。
ずっと見ていると結城先輩と女の子たちとの距離感が見えてきた。
確かに特定の誰かって感じはしない。
笑っていても男友達と話している時の方が楽しそうだ。
女の子たちが腕を組みに行く時。大抵はその女子の後ろで恨めしそうに見ている男子が居る。
その男子が諦めると、女子は手を振ってどこかに行く。
肩を抱く時もある。その女子に好意を寄せている男子が正面から声をかけてきた時だ。
大抵は気勢をそがれて立ち去って行く。
ゆっくり怯えるように手を伸ばしてくる女子の手からは自然な感じを装って避ける事がある。
たぶんアレがフェイクじゃない女子なんだと。
きっと自分も避けられる。
避けられないように掴む『技』は知っているが、そうするときっと怒る。
自分もフェイクのフリして近寄ろうかと考えたかけた時、ぞっとした。
嫌だ。腕を組むことを許されてしまったら嫌だ。
あの有象無象の中には入りたくない。いつ輪に加わってもいつ輪から抜けても気にしないし気にされない関係にはなりたくない。
私は私の王子様の特別になりたいのだ。
それからはずっと期会を伺った。。
朝は早く出て駅で結城先輩が来るのを待つ。別の高校の女の子と一緒だ。
同じ車両の遠い所に乗り合わせる。時にはどうしようもなく同じ扉から乗り込む事もある。
声をかけようかかけまいか悩むうちに目的の駅に着く。
駅に着くと大抵いつもの女の子の誰かが横に駆け寄っていく。
私もあんな風にしたい。でもあんな風にはなりたくない。
授業には出ていたが退屈だった。
先生の話を聞かずに進学塾の参考書を読み解いていた。
母との約束がある。
もし結城先輩が大学進学を目指さず就職するなら、母が認めるような大学に一発合格なさいと。もし結城先輩が大学進学を目指すのなら、同じ大学は認めないがそこから遠くない認める大学に行きなさいと。そして、結婚する事になっても、一度社会には出なさいと。社会を見ず母親になる事だけは許しませんと。
父は誰か偉人の言葉を言っていたけど聞いていなかったので覚えてない。
彼女が居ると誤解して凹んでいる時に気付いたが『結城先輩と上手くいかなかった場合』の約束がない。片思いだという事は知っている、私が自分で母に言ったはずだ。結城先輩に個人として認識されている事すら怪しい事も伝わっているはずだ。
理由は判らないが、何か考えがあるに違いない。
休み時間はクラスメイトや友達と雑談したり普通に過ごした。タレントがどうの、ネットの動画がどうのといった他愛のない話。大抵は興味がないから曖昧な相槌で切り抜けた。
放課後になると学校からの駅までを、離れた所から結城先輩と女の子たちを眺めていた。
あの輪には入れない。
入りたいけど入りたくない。
列車が来るとそれはその日最後の共に過ごせる時間。
混雑している時だと『きっと居る』と想う事だけにすがる。
空きがある時だと向かいのロングシート、対角線の位置に座る。
何日かすると時々結城先輩とおしゃべりしている女子と目が合う事がある。
声に出さず口パクと手招きで「こっちにおいで」と呼びかけてくれる人がいる。
切なそうな眼をした後、結城先輩に見えないように小さく拳に力を込める人がいる。頑張ってのジェスチャーだ。
みんな良い人みたいで、物凄く悪い事をしている気持ちになる。
でもごめんなさい。一緒じゃ嫌なんです。
結城先輩がいつもの駅で降りる時、他の女子は大抵先に居なくなっている。
私は次の駅前にある進学塾に向かう。
進学塾がない日は武統会に向かう為に先輩と同じ駅で降りる。
降りた所で反対方向になるので心の中だけで「また明日」と呟く。
そんな日々。
あ……、これストーカーだ私。
そして今日。
結城先輩は図書委員の当番の日。
週に一度、同じ部屋に居る事の出来る数少ない時間。
先輩の話相手は3年の図書委員の人だけど、先輩の声が聞こえてくる。すごく嬉しい。
下校時刻を告げるメロディが流れ始める。
私は真っ先に図書室を出ようとすると、3年の委員の人に呼び止められる。
「今日はほとんど読めてないでしょ。借りていきなさいよ。」
元の場所に戻していた「マクロ経済学Ⅲ」を取りに行くと巡回にきた結城先輩と鉢合わせしそうになる。
3年の人の意地悪!
慌てて隠れやり過ごし、本をカウンターに持って行く。
意地悪だなんて思っちゃってごめんなさいと心の中で謝りながら。
校門を出ると駅とは反対側の物陰に隠れるようにもたれかかる。
ごめんなさい。ちょっと嘘つきました。隠れてます。
近くにできたという住宅展示場、木の枠に布を張っただけの看板が丁度良すぎるのです。
ずいぶん経った頃、あの3年の人が一人で門をくぐるのが見えた。
駅から帰るのではないのだろうか? どんどん近づいてきて親指の爪を噛みながら通り過ぎて行った。
何か考え事をしていたのだろう。
少ししてから「ガン!」という金属音がして振り返ると、その3年の人が自分の足を押さえていた。
ガードレールに脚をぶつけたみたい。
更に少ししてメロディが止まる。
もし結城先輩1人だったらどうしよう。
今日こそ声をかけて見ようか?
無理無理無理無理無理。
なんて声をかけて良いのか判らない。
きっと私の事なんて忘れてる。
神様お願い、誰かと一緒に来させて。
でも他の女の子と一緒は嫌っ。
ようやくにして結城先輩が校門に姿を表した。
神様は私の願いを聞き入れてくれた。
見た事のない男の人だ。
オートバイを二人で押して現れ、協力して門をくぐっていた。
でもどうしよう、いくらなんでもオートバイに乗って帰られたら一瞬で見失ってしまう。
不安に駆られて門の近くの街灯まで駆け寄る。
ハンドルが揺れて一瞬ミラーが反射した光が目に入る。
どうしよう、どうしようどうしよう……
男に促されて結城先輩がこちらを振り向いた。
女の人達は気を利かせてこっそり誘う仕草をしてくるだけだったのに、この社会のゴミときたらよりによって……。
「一緒に帰る?」
私の王子様が手を差し伸べてくれた。キラーンという効果音が聞こえた。
もちろん一緒に帰ります!
すぐ近くで見る結城先輩は、とてもカッコよくて目が離せなかった。
私は以前の位置、優子さんと結城先輩が話をする時の両方が見える位置につく。
10時の方向に結城先輩を確認……距離45cううん、勇気を出して43cmに。
ダメっ、ドキドキする。カッコいい。近すぎるっ、やっぱ欲張り過ぎたかな44cmに……
見つめていると笑顔で見つめ返されてしまった。
何か意識を逸らさないと心臓が過労死しちゃう。
そうだ、あの金髪の好青年の話でもっ!
「あ、あの、そちらの方は結城先輩のお友達……なのでしょうか?」
「あ、こいつ結城っていうん? まあ今さっき知り合ったばかりのマブダチやな」
好青年が自己紹介してくる。
この流れで私も名乗って思い出して貰えれば……
「小田ちゃんだよね。武統会の薙刀の部に居た」
「は、はい!!」
覚えててくれた~~!!!!
嬉しくて泣きそうでどうしようもなく涙腺が緩んでしまったので結城先輩の背中に隠れてこっそり目を拭う。
話の流れからして優子さんがさり気なくアピールしてくれていたんだと察する。
金髪の好青年のおかげで緊張しない、気楽な方へと話題が流れていく。
楽しい。物凄く楽しい。楽しい!
結城先輩が道場では銃も使ってるような冗談をさらっと混ぜるけど、冗談と察したみたいで芸人さんのネタみたいに答えている。
武統会は世間一般様から見るとちょっぴり過激な方だから、些細なエピソードも金髪の笑いの神が混ざると面白話になっちゃう。
そんな話をしていると、学校の先生が変な車で笑いの神を迎えに来た。
本当は子供好きで甘々な優しい先生だけど、粋がって強がってる可愛らしい先生だ。
娘を保育園に迎えに行くと、娘の友達が泣き出すのが最近の悩みらしい。
ホントはそんなに怖くないのにね。
色々苦労して笑いの神様のオートバイが先生の乗ってきた車に積み込むと2人は去っていった。
去り際の「またなお二人さん」がリフレインする。
もうっ神様ったら「お二人さん」だなんてまだ早いぃ~♪
………………え?
ふ、2人っきりデスかー!!!
ちょ、神様待ってぇぇぇ!! ホント『まだ早い』デスって!
残酷にも神様たちを乗せた車は信号を左折してすぐに見えなくなった。
もう下がれない。
いまさら朝みたいなストーカー状態には戻れない。
言うしかない。気持ちを伝えるしかない。
気持ちを落ち着かせるためにも慣れ親しんだ位置で普通の会話を続ける。
優子さんの話、大学に通いながら身辺警護のバイトも始めたとかまでなら話しても良いよね。
結城先輩からは、意外にも優子さんはゲームが好きで、エンジェリーガーIVの水のリヒトフルス様とやらのグッズを集めているとか聞かされて驚く。
対外試合で、ある高校の薙刀部の人達が想像してたより遥かに強かったこととか話した。
結城先輩は最後に参加した大会の記念ストラップを、今でも大事にしてカバンに付けていると見せてくれた。
学校に他にも武統会の子が居て親友になった事とか話した。
武統会の男子はこの学校にはいないらしい。
駅までもう少しって所で結城先輩が立ち止った。
「あのさぁ……」
どうしよう、何か失礼な事でも言ってしまっただろうか。
「小田ちゃんの位置はこ~こ」
背中を押されて横に並ぶことになった。
「む、む、む、む、むりでふ、そっ、そこはっ」
舌が回らない。
「俺はさっ、話している相手が視界の外に居るってなんか苦手なのよ。だからこの位置に来て。ね?」
「は、は、は、はひ……」
私にとって、結城先輩の隣は優子さんの場所だ。
優子さんは結城先輩の全てを知っていた。結城先輩が生まれた時から優子さんは隣にいた。
結城先輩のお母様が陣痛で苦しみはじめた時、工場の人に救急車を呼ぶよう叫んで回った話も聞いた。結城先輩がミルクを飲んでいる時、「いいこ、いいこ」と撫でていた話も聞いた。
小学校の時、結城先輩を虐めていた悪がき共を全員コテンパンに……し過ぎて少年院に行かされる寸前だった話も聞いた。
結城先輩にとって優子さんは特別なのは当然。
結城先輩のお母上と同じくらいに、居るのが優子さんで当たり前なのだから。
例え結城先輩が私を選んでくれて、お嫁さんにしてもらったとしても、私は一歩下がって優子さんを結城先輩の隣に置きたい。
それくらい特別な人の場所。
結城先輩には何気ない位置かもしれないけれど。
私には私にとっては……