□下校
扉を潜るとそこは異世界だった。
なんてことは起きない。
正面に部室棟があり、部活を終わらせて戻ってくる運動部員でわりと人の気配の多い通りに出る。
丁度水泳部達が「お疲れ様でーす」と扉をぐぐる所だ。
「あ、結城君! いま終わり? もしかして待っててくれた?」
同じクラスの女子とその女友達だ。
「残念! まだ用事があるし、ちょっと時間かかりそう」
「手伝おうか?」
「エッチな本の廃棄処分だよ? 手伝えるの?」
「きゃーはずかしぃー」
「ドキドキしすぎて結城君に迫っちゃうかもしれないからやめとくねー♪」
恥ずかしいと言いながらもそんなに恥ずかしそうではない。
エッチな本の廃棄は本当なのだが、手伝う必要はないのを茶化しているように聞こえるように答えたので、そう受け取ってもらえたようだった。
手を大きく上げて振る女子と脇を閉めたまま小さく手を振る女子とバッグを抱きしめるようにして会釈だけする女子に見送られるように旧校舎側に回る。
焼却炉は旧校舎の脇にある。
今は条例で昔ほどは使用されていないが、それでも時々使用されている。
以前どこか別の学校で、シュレッダーにかけて産業ゴミに出した生徒の個人情報の用紙を盗んで復元した上にストーカー行為に及んだ、なんて事件があった。
それ以来廃棄する重要書類は専用スタンプで読めなくし、シュレッダーにかけてからこの焼却炉で燃やすようになった。そこまでしなくてもという気もするが、保護者達の不安と学校の事務との折り合いがここだったらしい。
焼却炉の手前でバイクを前にして地面に座り込んでいる金髪の男子生徒に目が止まる。
「あ゛? 何の用だてめぇ」
別に焼却炉に用があって視界に入っただけで別に用は無……あったな。
「わりぃ、火い貸してくれよ。ライター持ってるよな?」
「んだと? んでてめぇにんな事する義理がんだよ」
「エロ本」
「あぁ?」
「俺は図書委員の仕事で、今からこのダンボール一杯のエロ本を焼却処分しなきゃならない。
だがあいにくと火種の持ち合わせがないし、本ってのはそのままじゃ燃え残るからバラして広げるようにして焼却炉に入れなきゃならない面倒な仕事だよ。
けど、どうせ焼却処分するなら何冊かこっそり持ち去られても判らねぇよなぁ」
ちらりと目線を送ると男子生徒もにやりと笑う。
「そういう事なら早く言ってくれないと、社長もお人が悪い。そういう事ならお手伝いさせてもらいまっせ」
「助かるよ。さすがに全く燃えカスがないと不審に思われるから全部は渡せないぞ」
嘘である。
これが校内にあるのを知っているのは持ち込んだ真犯人と誠一と先輩だけなので、全部持って行ってくれてもどこからも問題にはされないだろう。
ただなんとなく、そのままコイツに渡すのは理由なく媚びているようで癪だったのだ。
「へっへっへっ、それではお宝拝見~♪」
焼却炉に到着すると、舌なめずりをしながら擦り合わせる男子生徒。
「これはと思うのがあればとっととカバンに入れてくれ。要らねぇと思ったらこっちに渡してくれ」
少し目の奥がちりちりする。
昔、理科の教科書に載っていた、微生物とかなんちゃらウイルスのような物が目の前を通り過ぎていくような、そんな光景。
「ん?どうかしたか?」
「悪い、ちょっと目薬」
眼科医から貰った目薬を注してから暫く目を閉じる。
飛蚊症と診断され目薬を注すようになってからは随分と軽減したが、今でも時々こういうことがある。
微生物っぽい物が見えただけなら放置すればいいのだが、目の奥がチリチリとしてから見えた時は、放置すると危険かもしれないと言われている「黒い点」が見え出す兆候だった。
目を開けるともういくつかの本が横に置かれている。
とりあえず最初の芸能人の恋愛問題なども扱っている月刊雑誌系をバラしてから一部をくしゃっと筒状に丸めて火をつけて炉に投げ込むが、中で下火になってすぐに消えてしまう。
誠一はむぅと唸る。あまりぐずくずせずにとっとと片付けてしまいたい。
「ちょいと退きな」
場所を譲るとカバンから取り出した缶の先を伸ばして中の液を炉の中に振り撒き、手元の紙に少しだけ垂らす。
手元のそれに火をつけると勢いよく燃え上がり、投入口の正面を避ける位置に移動してから投げ込むと『ボッ!』という音と共に炉に炎が回る。
おぉと感心するも束の間、昭和風の小説などを数ページ単位にバラして投げ込み続ける。
男子生徒も写真系の何冊かを鞄にしまい込んだ後は一緒になってページを破り炉に投げ込むのを手伝ってくれる。
「なんか意外とワクワクして楽しいな」とは彼の弁だ。
火を見ると嬉しくなるタイプの人間はどこにでも居るし、彼もそのタイプのようだ。
「助かったよ、予想より随分早く終わった」
「いやいや、面白かったし何より……な」
焚書を免れた財宝の事だろう。
「今じゃ墨塗り入ってそうなのがそのままモロなのまであったし」
規制前の代物か。それとも当時から非合法な裏物があったか。
「でも大丈夫か? バイクの調子悪かったんだろ?」
「ダチん所まで押して行くべさ」
クラシック音楽が止まりチャイムが鳴る。
「あ、やべっ」
「大丈夫、大丈夫」
バイクを押しつつ正門前に到着する。
「遅いぞお前らぁ」
「図書委員です。彼は臨時に手伝ってもらっていました」
「お、そうか。ご苦労さんだったな」
知らない人が見れば893の構成員にも思える風体の教諭が微笑む。
「良いのか?」
「どこかに嘘があったか?」
「そういやぁそうか」
教諭が噛みあいが悪くなりつつある蝶番を軋ませながら通用門を解放する。
「じゃ、先生さようなら」
「おう、気を付けてな」
鉄格子のような門ではなく門柱を挟んだ横手、人1人分の小さな通用口しか開かないので先に潜ってバイクが抜けるのを手伝う。
「わりぃな。もうええぞ」
「駅までで同じ方向の間は手伝うさ」
「いやでもな……」
男子生徒が後ろを見ろと言わんばかりに顎をしゃくる。
振り返ると一年生、まだ新しい印象のある皮の学生鞄を両手で持った女の子が街灯に隠れようとするかのようにこちらを伺っていた。
「あー、一緒に帰る?」
「は、は、は、はひ!」
金髪の男子生徒が気まずそうに鼻をかきながらハンドルを持ち、後部の荷台を誠一が押す。
そしてその斜め後ろを女の子が歩く。
誠一の肩より少し上にくるおかっぱ頭は車が通るたびに色が変わるほど艶やかで真っ直ぐ癖がない。
濃紺に近い瞳は真っ直ぐに誠一を見つめ、それに気付いた誠一が笑むと一瞬だけ逸らしてまた見つめ直す。
「あ、あの、そちらの方は結城先輩のお友達……なのでしょうか?」
「あ、こいつ結城っていうん? まあ今さっき知り合ったばかりのマブダチやな」
女の子に自己紹介する形で男子生徒も自分の名を二人に告げた。
「マブはいらねぇだろ。さっき行きがかりで委員の仕事を手伝ってもらったんだよ」
「そう……なんですか。私はその……」
「小田ちゃんだよね。武統会の薙刀の部に居た」
「は、はい!!」
「二人とも武術とか格闘技やってんの? みえねぇ」
小田ちゃんは「はわわ」と誠一の影に隠れる。
「小柄で非力だから実戦では伸び悩んでるけど、真面目な姿勢と丁寧な型は試合では生きるって評判だったよ」
「お、覚えて……いて下さって……」
「俺が居た間の優子さんチームならバッチリ」
バイクを押しながら男子生徒が何気なく問いかける。
「実戦と試合って何が違うんや? 普通実戦つぅたら大会とかの試合の事やろ?」
「創始者が『闘いは最後に立てた者が勝者。立てなければ敗者』って奴でな。例えばさ、剣道で一本ってあるだろ? 」
「おう、メーン1本!とかやってるやつな」
「あれって要するに審判から見て『真剣なら今ので死んでる』と思ったら一本な訳」
「竹刀で触ったら一本じゃねぇの?」
「真剣なら刃のある位置を、刃筋を合わせ……真剣なら『斬れる』向きで、真剣なら斬れている力で打って、尚且つ油断してない。
ちゃんとやってる剣術家達はそれをしてやっと『一本』が貰えるんだ。だから一本を取られたって事は、一回死んだってのと同義」
「なんか、部活でやってる奴等バカにしてた自分が恥ずかしなってきたわ。チャンバラごっことは違うんやな」
「部活でやっている人は竹刀の裏と表すらも教えてもらっていない人も多いのですよ」
「柔道の一本でも空手道の一本でも大抵そう。硬い地面で本気の一本背負いされたらまず戦闘不能になるし、空手家の本気の拳を一本とれるような場所で、本当に受けたらまず戦闘不能になるから寸止めとか手加減すんだけど……」
「けど?」
「その一本を取るのに卑怯な行いしちゃダメとか失礼な行動しちゃ反則とか、場外に出たら負けとかあってね」
「ぶ、武道は道を、心身鍛錬の方に重きを置いているのだから、それはそれで正しいのですよ?」
「創始者にしてみれば『それ、サバンナでライオン前にしても同じ事言えんの?』って気持ちだったらしい」
「ライオンは極端ですけど、強盗とか悪い不良とかが鉄砲持ってやってきて、金出せーってきた時に『鉄砲は違反だから駄目です』とか『場外、待て』は通じないのですよ」
「ま、まぁそうやな」
「だから、実戦では鉄砲を向けられる前に急所に有効打を与え、両腕と膝の骨を折って、両手の小指と人差し指を砕くまで止まっちゃ駄目で、ちゃんと息の根が止まるまでは油断しちゃだめなんです」
「うわぁ、おまわりさんこいつらです!!」
男子生徒は自分が「悪い不良」に見えて釘を刺されているのか、「不良」でも「悪い」が付かなきゃセーフと思われているのかわからず非常に居心地が悪い。
「日本じゃ全部実践したら大抵は過剰防衛になるだろな」
「小田ちゃんみたいなちっこい子やと許されそうで怖いわ」
「ご、ご、ごめんなさいです!」
確かに小田ちゃんみたいに小柄な子なら「怖くて怖くて必死になって棒を振ってたら相手が死んでました」とでも言えば、武統会を知らない裁判員や検事なら正当防衛を認めざるを得まい。
「俺は無手二段でやめたんだけどね。小田ちゃんは?」
「薙刀四段で伸び悩んでますが、まだ続けてます。はい」
「無手とか薙刀とかなんやそれ?」
「無手ってのは素手。刀とか槍とか銃とか道具を使わないやり方。うちでは空手とか柔術とかレスリングとかの美味しいとこ取りしたみたいな奴だね。うちのと他の空手と同じ段位で試合したらまず勝てないけど。
薙刀つったら、槍の先が反り返った刃になってる武器で、そうだな棒の先に日本刀付けたみたいな武器と言えば判るかな? うちでは元々は練習相手用の科目だったんだけどね」
「つ、つっこまへんで・・・」
「でもうちは型とか腕前は本人たちが判ってるって事で、段位はよりどこまでやれるかの覚悟……みたいなの方が大事でして」
「対戦相手に手加減無しで一撃を加える気概があれば初段。四段は……気を失わせるだっけ?」
「そ、それは三段ですよぉ。必要とあらば躊躇わずいずれか四肢の骨を折る。です。勢い余って折れたじゃダメです」
ちなみに門下の間では、十段は肉親か恋人の心臓を笑顔で抜き取るなんて噂が流れているが、さすがにそれは無いだろう。
「……四段って言ってたよな。……折ったんだ? 一緒に練習してる仲間の腕か足」
「ち、違います! 私、折れなかったんですけど、何故か合格しちゃっただけなんです!」
「んなもん、折る気でかかったけど物理的には折れなかったってオチやろぉ!」
「み、見てたんですか!」
「ここまで聞いたら見んでも判るわ!!」
「ふぇぇぇ……」
と、そこに後方から近寄ってきた奇怪なデコレーション満載の軽トラックがクラクションを鳴らしてから止まり、先ほどの生活指導の教諭が顔を出した。
「おう、やっぱり単車の調子悪かったんだな」
「そうだよ、わりぃかよ」
「だと思って平野先生からこの車借りてきたんだよ。ほら載せろ、行きつけの単車屋まで送ってやる」
「載せろって、バイクは何キロあると思って……ぅぉっ」
軽トラックの荷台三面が自動的に開き降下し地面とフラットになる!
「あれ? 全部開いたか、間違えたかな」
「え? 何これ! リフト?! リフトで上がんの?!」
「慣れてないと危ないからリフトを使わず、歩み板を出してウインチで上げろと言ってたぞ」
「歩み板?」
「これ、外せませんよ?」
荷台を3等分するかのように二枚のアルミの足場板があるのだが、どうやら固定されているらしく少しがたつく程度にしか動かないのだ。
「んー? じゃあこれもまた電動か? でもどのボタンだ?」
「どの? ちょっと見せてください」
誠一が助手席側から中に乗り込むと「うわあ」とドン引きする。
意味不明なほどいくつもの液晶ディスプレイがそこかしこに据え付けられ、それに負けじと電飾が施されたプッシュスイッチやスイッチガードが施されたタンブラスイッチ、トグルスイッチもある。
誠一には深夜に再放送枠で流れていたロボットアニメの操縦席みたいだと思えた。
「順番に色々押してみましょう。さすがに爆発はしないでしょうし。 外の二人、ちょっと離れて反応教えてくれ」
片っ端から試してみると、タイヤのホイールが光ったり、車の角から緑色のレーザーが出たり、いきなり女の人の声で『敵の侵入ルートを捕捉』と喋ったり、屋根に黄色の回転灯が現れたりと色々あったが何とか目的のスイッチを見つけだすことに成功した。
「な、なんだかその……ちょっと「言うな、小田」……はい」
小田ちゃんは言おうとした言葉は先生に止められる。
「なぁなぁ結城、この板さ……」
「お、おう……」
「ぜってー走行中にバイクで降りる為に作ってるよな」
「俺は自分の正気を疑っていたところなんだが、やはりお前もそう思うのか……」
「よし、お前ら。足場も出た。男は3人も居る。もうそのまま載せちまうぞ」
「ウインチは?」
「先生はな、先生は……もうこれ以上、面白機能で注目を浴びたくないんだ」
スイッチが判らないらしい。
この調子だとオイルを地面に撒いたり、どこかから花火を撃ち始めたとしても仕方ないだろう。きっと空は飛ばない。たぶん。
中型のバイクではあるが、さすがに3人で協力すると割と他愛なく荷台に乗せる事ができ、固定もあっさりと片が付く。
男子生徒は助手席に乗り込むと明るく「またなお二人さん」と声を上げた。
車は制限速度丁度といった速さで信号を曲がって行く。
「なんか賑やかで面白かったね」
「はい……」
先生たちが運転していた車が左折して行った信号を右に曲がる。
共通する人の話。対外試合での話。学校の話。
他愛もない話を続けるうちに足が止まる。
「あのさぁ……」
「……。は、はい……」
「小田ちゃんの位置はこ~こ」
タイミングを測って捕まえると、背を押して横に並ばせる。
「む、む、む、む、むりでふ、そっ、そこはっ」
「俺はさっ、話している相手が視界の外に居るってなんか苦手なのよ。だからこの位置に来て。ね?」
「は、は、は、はひ……」
誠一にしてみれば、実はちょっと困っていたのだ。
誠一は人と歩く時、常に最後尾グループに居る事を心がけていた。
人の自然に歩くスピードというのは結構それぞれである。
何も考えずに歩けば結構速足の部類に入るだろう。
それでも最後尾を意図して歩く。
集団で話をしながら歩いていると、必ずちょっと無理して急ぎ足になっている人がいる。そのうち集団から距離が開いて駆け足のように追いついてくる人がいる。時にはそのままはぐれて合流できない人もいる。歩く速度を上げる事に必死になって、会話に参加できなくなっている人も多い。だから一番遅い人に合わせるように心がけている。
しかし、だからこそ困ったのだ。
小田ちゃんは必ず『誠一の右斜め後ろ』を歩こうとする。
誠一が速度を落して横に誘導する。
小田ちゃんが速度を落として後ろに下がる。
誠一が速度を落してを繰り返すうちに立ち止まってしまったのだった。




