□図書室で
どこからか演劇部の発声練習の声が微かに聞こえる。合間には野球部の長打音が響く。
音楽室では吹奏楽部が練習をしているはずだが稀にしか聞こえない。
「毛毛」
「943」
「アルジャーノンにアムニスの花を」
「933」
「北欧神話の神々」
「164」
この図書室には明治時代から建っている旧校舎と平成になってから建てられた新校舎に挟まれて直射日光はまず差し込まない。
司書カウンターの足元には不揃いなみかんのダンボール。
そこにはOBの遺族から寄贈されてきた数々の本が詰まっていて、それが2列3段に積み上げられている。
「こうすれば勝てた太平洋戦争」
「209。」
「四神天地乃書」
「222、ちょっとは自分で何とかしようとは思わないのかしらね」
タイトルを読み上げると番号が返ってくる。それを手元のシールに書いて本に張る。
数字は分類番号と呼ばれるものでその本をどこの本棚に収めるかを示す指針になる。番号自体は何年も前の担当教員がどこかの図書館の表を貰って来たものらしい。
「むしろなんで判るんすか? アル・アジフ」
「387。普通でしょ。結城君が知らなさすぎるのよ。」
男友達の間からすればわりと読んでる方に分類されるが、先輩からすれば全く読んでない者に分類されるようだ。
ただそれを世間一般から見て知ら無すぎるように言われるのには納得がいかない。
「はがないの錬金術師」
「913」
「BFT108の謎」
「778。入れ替えて。」
「はい」
先輩の側にある空箱を退けて、自分の作業中の箱をひとつ床に降ろし、手付かずのを先輩の側に乗せる。分類番号を書いて張る作業だけなら、先輩一人で誠一の二人分の効率はある。誠一は今でこそ図書委員などを大人しくやっているが、元々は脳筋系なのだ。
始めたきっかけは忘れしまったが、武統会という武術の道場に通っていた頃もある。
そこの師範が言った「何をされても最終的に勝てなきゃ意味がない」という言葉が妙にしっくり肌に合ったものだ。
中学の頃に飛蚊症が酷くなり、このままでは網膜剥離の恐れもあるとの診断が出てから通う事はなかった。それでも体力作りと型を続けるくらいはしている。
なのでこの先輩が深呼吸してから顔を真っ赤にしながらヨロヨロとする程の箱でも、誠一ならばなんの心構えも必要なく軽々と持ち運ぶ事が出来るのだった。
「自分でできる箒の手入れガイドブック」
「538」
「あれ? 53ですか? 59では?」
「その箒は538なの。」
微妙に釈然としないが先輩がそう言うならそうなんだろう。
「はげしない物語」
「918」
「ん? これってなんか聞いた事が」
「原書はNature Making Storyよ。昔、映画になったわね。」
「あぁ、何年か前にテレビでやってたアレか。最後はふさふさが人を襲うんでしたよね」
「原作はつるつるで人は襲わないんだけどね。」
「真逆じゃないですか」
「そうよ。その結末のせいで、自然であるがままがいいってテーマの作品が、自然に見えるよう造形するってテーマになっちゃって原作者は……って。コホン、作業を続けます」
はじめて先輩がこっちの目を見て話してきた気がする。
誠一は次の箱を開封し本を取り出すと、無言で後ろの廃棄箱に入れる。
次の本も同様に。
「勝手に捨てて偉くなった物ね。」
「いや、でもこれは廃棄でしょ。少なくとも学校の図書室にはちょっと」
「どれよ。ちょっと見せてごらんなさい。」
言われて取り出したのが「制服JK征服図鑑」と「団地妻ある日の憂鬱」である。
首から下しか映していない写真をいくつか並べたようなデザインの本で間にDVDが挟まっている物と、表紙には何も描かれていないが挿絵には昭和五十年代には主流だった画風の挿絵が入っている代物だ。
「廃棄。」
「でしょ」
改めて先輩が未検査の方を覗きこむと「これは、今回の寄贈本じゃないわね。」と断定する。
「これは全部『縦につめた後に平に』でしょ。今までの寄贈本は全て『平に詰めて隙間に縦』だったわ。」
「なるほど」
「別の人が準備室に隠していた。多分平野センセイ。」
平野先生とは図書委員会の副顧問。
海外留学の経験もあると自称する英語教師だが、スマホを見ながら「FAMって何なんだ? フルオートマチックならFOMだしなぁ」と等と呟いていたとの伝説が卒業生から伝わる疑わしい経歴の持ち主だ。
「そういえば中国人の女子と同棲を始めたみたいな噂がありましたから部屋に隠しておけなくなったって所かな。でも平野先生の私物なら廃棄はマズイんじゃないですかね?」
「学校への猥褻図画持ち込み発覚のが社会的に終わるわよ。」
「そういう意味なら、むしろ女子が先輩だけの時で良かったですね」
「――あー、図書委員長とか居たら大騒ぎになってたわね。となると、廃棄の箱に入れっぱなしも問題あるわね。」
委員長含め図書委員の女性陣は無駄に真面目で潔癖であるアピールをする傾向がある。
そして次の当番は自分達ではない。廃棄の箱にいれっぱなしだと何かの拍子に見つかる恐れもある。かといって準備室の奥に戻してもまた見つかる可能性もある。
明らかに今日中には終わらない量の本が寄贈されているので、明日の当番も同じ作業を行う事になるだろう。となれば無駄に大騒ぎは必至だ。
「どうします?」
「今日、帰る時に焼却炉で燃やしておくわ。」
「じゃ、それは俺がやっておきますよ。先輩だと台車使わなきゃだし二度手間ですよ」
「欲しいなら素直に言えば良いのよ? 私なら黙認するし。」
「俺と秘密を共有する特別な仲になりたいんです?」
「虫唾が走るわ」
一瞬、背筋に冷たいものが走るような感覚。
どこが違うのかは説明できないが踏み込んじゃいけないラインを踏んだと察する。
「とりあえず続けましょう。」
そして即座にいつもの先輩に戻った。根拠はないがそう思う。
最初の淡々とした流れに戻ろうとしたその時、校内にクラシックのメロディが放送されはじめる。約四五分間流れ続けるその曲は「用のない奴はとっとと帰れ」の合図である。
自主的な居残りや別途の許可を得ていない部活動の生徒はこの曲の間に校門を潜らなければならない。曲が終わると各門は施錠されて正門のみが通用可能となる。正門も施錠はされるが、生活指導の教諭に挨拶すれば一人一人鍵を開けてもらえるという段取りだ。
誠一は図書委員会の徽章を付けているのでその時間になっても労いの言葉まで貰い退出できるが、一般生徒だと生活指導の小言や愚痴が付いてくるらしい。
昔はそんな時間でも他の門を登り越えて下校する生徒も居たそうだが、今ではそんな生徒は皆無になってしまっている。有刺鉄線や鳥避けの針を攻略する方が面倒だからだ。
誠一が書架の影に生徒が残っていないかの確認の為に巡回し、同時に窓が開錠されていないかも確認しながら空調のスイッチを切っていく。
先輩が最後の数人に貸し出し手続きを手際よく行い委員だけになると、室内がひんやりした空気と静けさに満たされていく。
「じゃあ、それお願いするわね。」
「はい。力仕事はお任せをば」
新撰組をイメージした浅葱のだんだら模様のコートに袖を通し、バッグを肩に下げてから箱を手に取る。例の廃棄本だ。
扉を抜けてから先に廊下に出ていた先輩を振り返ると、フライトジャケットの襟から髪を出す所で、左の二の腕の位置に縫い付けられたワッペンに目が留まる。
「あれ? イスラエル軍ですか?」
「ん? あー、これは……ソイレント・メデュースの特殊部隊トランス。」
どちらかというとパサパサとかギスギスという擬音が似合う黒髪がその背に流れる。
「すいません、知らないです」
「でしょうね、古い作品だし。」
カチリと扉が施錠される。
「じゃあ、職員室に鍵を返してそのまま帰るから。」
「お疲れさまです。あっ、先輩。髪は束ねてないとお局様が煩いですよ」
「ありがとう。結城君、紙は束ねたままじゃ燃え残るわよ。」
先輩はあちこちのポケットをゴソゴソ探りながら歩き出す。廊下の角を曲がる直前に目的の物を見つけたよう。腰まで届く髪を雑にゴムで束ねながら見えなくなる先輩を見届けてから、誠一は非常口の扉を潜るのだった。
先輩の語尾にある「。」はキャラ付けではありません。
「発言しようとした言葉を飲み込んだ」記号です。
例えば「209。」の場合、次の「ちょっとは自分で何とかしようとは思わないのかしらね」を言おうとしたが一度我慢したが、次には我慢できず言ってしまったという事です。
今話では「特に意味のない罵倒や暴言を我慢している」だけなので深い詮索はしない方が吉です。