80話 恋は命がけ
少し長いです。
一行はドレーヌ子爵領から出発し、海岸線を眺めながら東に向かう。
こちらは街道と言うほど整備はされていないが、道はちゃんとある。
先触れを出しながらの移動になるので特に問題は起こらず、順調に旅は進んだ。
俺たちから少し離れたところではリュシエンヌがロランド・コーシーに抱かれるように馬に同乗しているが、あまりジロジロ見てはいけない。
「恥ずかしいわ……もうお婆さんですもの」
「貴女は美しいままです。まだ信じられない、あの日に戻ったかのようだ……」
うん、大丈夫だ。聞こえてない。
あの日に何があったのかは息子の知るべき事ではない。
変に藪をつついて「本当のお父さんだよ」とか言われては立ち直れないからな。
性におおらかなアモロスの人々は人前でイチャつくのは平気だ。
特に上級貴族になると「結婚は義務」であり「不倫が真実の愛」とか言う不届き者もいるらしい。
……アルボー男爵領では母上に個室を用意してもらおう……
うっかり母親のレスリング中に鉢合わせでもしたら、お互いの関係が気まずくなってしまう。
俺は「ふう」とため息をついた。
あまり母親の恋路の詳細まで知りたいものでもない。
……だが、釘は刺さねばなるまいな……
俺はイチャつく2人をぼんやりと眺め「はあ」と再度ため息をついた。
リュシエンヌが浮ついたままでは我が家の家政に与える影響は計り知れない。
俺たちは数日の旅の後、アルボー城に到着した。
アルボー城は海と山に囲まれた城郭都市であり、攻め口が限られた非常な堅城である。
規模は然程でもなく250~300戸ほどだろう。
海に面し、ささやかな船着き場は漁港として機能しているようだ。
「なかなかの要害です」
エンゾが話し掛けてきた。
俺は頷くが、少し心配もある。
「確かに堅城だが、これでは交易に向いているとは言い難いな」
「そうですね、ドレーヌ城のように都市と分離していれば話は別でしたが、人の往来には少々不便かと」
俺の言葉にエンゾが頷く。
そう、これは完全に「戦時の拠点」である。
住民ごと外敵から守れるように工夫が凝らしてあるのが見てとれる。
この工夫とは敵の足を鈍らすモノ……つまり人が歩き辛くする工夫なのだ。
軍事拠点と交易拠点は求められる機能が真逆なのである……こればかりは仕方がない。
俺たちはアルボー男爵からの迎えの兵に連れられて場内を進んだ。
城内は木造の家屋や土壁の家屋がひしめき合っており、腐臭と小便が入り交じったような臭いがする。
豚や犬が歩き回り、生ゴミを漁っているようだ。
すでに見慣れた光景ではあるが、どうしても好きにはなれない。
……1度、北東部諸侯にリオンクールの領都に来て貰うのも良いかもしれないな……
そう、俺たちが疫病対策をするのは大切だが、近隣で疫病が発生すると交易路に乗って拡大するかもしれない。
1度、何らかの口実を設けて視察して欲しいものだ。
いかにも中世的な市街地をすぐに抜け、広場に出るとアルボー男爵が出迎えてくれた。
男爵は焦げ茶色の髪に黒い瞳。
一見するとリオンクール人にも見えそうな容貌だ。
尖った顎につり上がった細い目が顔立ちに狷介なイメージを与えている。
年は若く、俺と同じくらいだろうか?
「お初、お目にかかりますリオンクール卿」
「大勢で押し掛けまして申し訳ありません。お世話になります」
俺が丁寧な挨拶をすると、男爵は意外そうな顔をした。
「どうされましたか?」
「いや、少し想像と違ったものですから……失礼しました」
男爵は謝らなくても良いことで頭を下げる。
素直な人なのかも知れない。
しかし、挨拶もできないイメージってどんな感じなのか聞いてみたくもある。
……たぶん「ふんがーふんがー」とかしか言えない肌が緑色のマッチョとか想像してたんだろうな……
「はは、お気になさらず。今回は各地を巡り、同盟者との親睦をはかると共に、各地の施政を学ばせていただいております」
「ほう、それは素晴らしい。また後ほどお話を聞かせてください」
アルボー男爵は会話を切り上げ、俺たちを宿舎まで案内してくれた。
俺に個室が用意されていたので「それは母に」と申し出ると、いたく感心されてしまった……親孝行だと思われたらしい。
うん、親孝行……かな?
………………
俺たちはアルボー男爵領で半月ほど滞在した。
アルボー男爵は真面目な男で、俺は何度も語り合った。
メインは軍事や民政についてだ。
時に互いの家来も交えて意見を交わし、学び会う。
アルボー男爵はかなりの学識があり、とても有意義な時間になった。
軍事の話では、男爵は特に同胞団の「伍」という軍制に興味を持ち、試験的に取り入れる事にしたらしい。
クロスボウ部隊の編成も視野に入れているようで、リオンクールからの買い付けも決まった。
若い男爵は「これは」と思えば取り入れる先進的な思考の持ち主のようだ……これはアモロスでは稀な気質である。
そして、俺と男爵は今も互いの家来も交えて勉強会の最中だ。
聞くところによるとアルボー男爵は食料生産こそが民政の柱と考え、食料の増産に力を入れているそうだ。
具体的には漁船や漁網への減税、そして開墾である。
特に水が少ない土地でも育ちやすいキャベツやカブの栽培を奨励しているそうだ。
俺はそれを受け、保存食としてザワークラウトのレシピを教えたら大いに感謝をされた。
ちなみにカブも塩だけで漬け物にすることは可能である。
アモロスでは塩は高く、わざわざ塩を使って加工食品を作ろうと言う発想にはあまりならないらしい。
「……では、リオンクール卿が考える民政に必要なモノとは?」
「簡単です。3つしかありません」
俺の答えにアルボー男爵と家来が食いつくように身を乗り出す。
少し離れたところでは聖職者が何やら忙しそうにメモを取っているが……これは議事録のようなモノをとっているらしい。
「すなわち、衣・食・住です。凍えぬ服、飢えぬ食事、清潔な住居です」
「服や食はわかりますが、清潔な住居とは?」
アルボー男爵が熱心に質問してくる。
彼は謙虚で真面目だ。
自領を良くしようと言う熱意を感じる。
今日はいつの間にか俺の講義みたいになってしまった。
「瘴気論という考え方があります。簡単に言うと汚い場所には病が生まれるという考え方ですが……」
俺は公衆衛生と石鹸の普及について語る。
豚を追放し、糞は片づけ、ゴミを纏める。
当たり前にも感じるが、顕微鏡の無い世界では衛生観念は説明し難く「おまじない」程度に思われても仕方がない事でもある。
「うーむ、信じられん」
「町を清潔に保つのは……」
「コストの問題も」
「これは難しい」
俺の意見を聞いてアルボー男爵主従が、熱心に語り合う。
いつの間にか日は暮れた。
このまま宴会に突入するかもしれない。
「そうだ、話は全然違いますが、これ食べて下さい。私が作りました」
俺はとある干物を「固いから気を付けて」とアルボー男爵主従と聖職者に渡す。
「ぐ、うん、なかなか固い」
「変わった味ですな」
「これは? 魚の皮でしょうか?」
「いや、干し肉だな」
皆が必死で噛むそれはタコだ。
アモロスではタコやイカを食べないと知った俺が、水揚げされたものを譲り受け、干物に加工したのだ。
タコの干物は日本のとある島の名産であり、俺も食べたことがある。
作り方は俺のオリジナルではあるが、内臓を取り出し、ヌメリが無くなるまで塩揉みし、海水で洗った後に広げて陰干ししただけだ。
わりと上手くできたと思う。
なにより小さく割いてしまえばタコだと分からぬのが良い。
「不思議な干し肉ですな……これは?」
男爵は一生懸命にムニムニと顎を動かしながら俺に尋ねてくる。
男爵領のお偉方が揃ってタコを噛む光景はちょっと貴重かも知れない。
「タコです」
俺が真実を告げると男爵は目を丸くし、聖職者は神に祈った。
家臣の中にはリアクション芸人みたいに椅子ごとひっくり返った者もいる。
中には「何てモノを食わせるのか」と怒り出す者もいる始末だ。
「分かりませんか? タコのような捨てるものでも、よそ者の私から見れば食べ物に見えるのです……皆さんも是非ともリオンクールにお招きしたい。新しい目で我が領を見て、新しい発見を伝えてほしい」
多少強引だが、俺は何となく纏めてその場はお開きとなった。
「素晴らしい見識でした。是非とも我らもリオンクールにお邪魔させてください」
男爵は大いに感じるところがあったようで、何度も頷いている。
「もちろんですよ、我らは良き友になれそうです」
「ええ、本当に有意義な時間でした」
俺と男爵はガッチリと握手を交わした。
男爵は非常に先進的で聡明な人物であり、この後、大いに領内を改革していくことになる。
余談ではあるが、バリアンらが何度も交わした軍事や政治の話は、議事録を纏めた聖職者により『アルボー統治問答』として一冊の本となった。
この本は複写され、この時代から瘴気論や衛生観念が重視されていたとされる「歴史的証拠」として後世で喧伝されるのだが……同時代人にとっては「胡散臭い話」として受け取られたようだ。
このアルボー男爵領での滞在に俺は満足した。
結果はどうであれ、俺以外の統治者に衛生の大切さを伝えることが出来たのだ。
大きな前進と言えよう。
しかも、友達になってくれたのである。
実は俺を友達と言ってくれるのはロナ、ロロ、ジャン、そしてジローに引き続きアルボー男爵で5人目だ。
堂々の俺の友達トップ5ランクインである。
俺は一気にアルボー男爵贔屓になってしまったようだ。
次はベニュロ男爵領エーメ城に向かう。
………………
エーメ城に向かう途上、俺は機会を見つけてロランド・コーシーに声をかけた。
既にロロに頼んで周囲の人払いは済ませてある。
ここには俺とコーシーしかいない。
「何かありましたか、我が君」
コーシーは四角張って答えるが、俺は「柄じゃない。バリアンでいいさ」と笑った。
「あのな、コーシー……俺はあなたと母上の関係をとやかく言うつもりは無い。過去も、今も」
コーシーは「は」と短く答えて目を伏せた。
後ろめたさが有るのか、それとも俺に叱責されると思ったのか……それは分からない。
「いや、責めてるのではないんだ。父上と母上の関係は……とっくに破綻してしまっているし、母上にも新しい人生があっても良いとは思う」
コーシーは目を伏せたまま、静かに俺の言葉に耳を傾けていた。
「だがな、母を泣かす事は許さん……以前、俺を怒らせたベルジェ伯領では歩くものは牛馬に至るまで皆殺しにした」
これは流石に大袈裟だが、アピールには多少の誇張が有っても良い。
「……ベルジェの悲劇ですか」
「そうだ。あなたが俺を怒らすならば、同様の災いがドレーヌ子爵領に起こるだろう。今ならば許す、気の迷いや遊びであれば去れ」
俺は努めて穏やかに告げた。
だが、コーシーほどの武人ならば俺の殺意は伝わっているはずだ。
向かい合っての1対1、この状況ならば俺は誰にも負けない自信がある。
俺はコーシーの返答次第ではフォールチョンの切れ味を試す心積もりだ。
少し、間があった。
「……私は、あの方を……」
コーシーはそこでグッと言葉を飲み込んだ。
「……私の我儘で……」
また、言葉が止まる。
……母上は愛している、だが、旧主に迷惑はかけれない……と言ったところか……
俺にはコーシーの葛藤が手に取るように伝わってきた。
彼が母を愛しているのは間違いは無さそうだ。
だが、自らの返答次第で俺の機嫌を損ねれば本気でドレーヌ子爵領を皆殺しにすると思っているに違いない。
母の実家であるとか以前に『串刺しバリアンならやりかねない』というイメージがあるのだ。
実際、俺は害悪になりそうならば、ここでコーシーを殺す覚悟は十分にあった。
母に恨まれようともだ。
……少なくとも軽佻浮華の類いでは無いようだな……
何やら覚悟を決めたコーシーはグッと顔を上げて俺と視線を合わせた。
その顔にはびっしりと汗をかいている。
余程緊張しているらしい。
「まあ、いいさ。軽々しく『本気だ』とか言われたら殺していた所だ」
俺はニッと笑った。
「許す。母を頼むぞ」
俺は踵を返してロロの元に向かう。
「あ、ありがたき……」
コーシーはそれだけを告げ、がくりと膝をついた。
何年も前に現役を退いた身には少々刺激が強すぎたかも知れない。
これ以後、コーシーは我が家に仕える忠実な部下になった。
リュシエンヌ付きの従者であり、彼の主な仕事は母の護衛である。
後に彼は「どのような戦場でも、バリアン様ほど恐ろしい方を見たことがない」とリュシエンヌに語ったらしい。
少し薬が効きすぎたかな?
………………
そうこうしている内に、一行はベニュロ男爵領に近づいた。
行く手はエーメ城、そこでベニュロ男爵とエマの婚約者が待っているはずだ。
「なあ父上、エマの婚約者って、どんなやつなんだ?」
シモンが馬を寄せて話し掛けてきた。
随分と馬の扱いにも慣れたようだ。
生意気で物怖じしないシモンはこの旅で同胞団にも慣れ、度々と馬を走らせては隊列に交ざったりして遊んでいる。
兵に愛されるというのは指揮官には大切なことでもあるが、シモンは生来の気質でそれを為しているらしい。
「知らん。アルベールって名前らしい。ジョゼの甥で、爺さんはズルい感じだな」
俺の言葉にシモンは「うーん」と口をへの字に曲げた。
「それって、良いヤツなのか?」
「さあ? さっきも言ったが知らん」
シモンは露骨に「ムッ」とした。
娘の婿を知らんで済ますのかと不満が顔に張り付いている。
「シモン、良いヤツか、悪いヤツか ……そんなのは分からないよ。人はな『自分に都合が良いヤツか悪いヤツか』としか見れないんだ」
俺は言葉を続ける。
シモンは黙ったままだ。
「この婚約はリオンクールにとって都合がいい。だから俺は決めた……幸せになるかどうかは本人次第さ」
そう、自分が受け取ったものに満足し「幸せだった」と喜ぶのも「こんな筈ではなかった」と苦しむのもエマ次第だ。
恋愛結婚でも不幸になるヤツはいくらでもいるし、政略結婚で幸せになる夫婦もいくらでもいる。
「出来れば、喜んでやれ。兄貴だろ?」
シモンは「何か気に入らねえ」と呟いた。
彼にして見れば仲の良かった妹が遠くに嫁ぐというだけで不満があるだろう。
俺は話題を変えることにした。
「なあ……ちょっと話がある。着いてこい」
俺はわざと雑にシモンに話しかけ、馬を走らせては隊列を離れた。
シモンも遅れずに着いてくる。彼の馬術はなかなか悪くない。
「ここで良し、ここなら誰も聞いていない」
俺は馬を「どうどう」と宥めながらシモンと向き合い、話しかけた。
男同士の内緒話だ。
「シモンよ、お前も数年内には女の『手解き』を受けるわけだが……」
俺の言葉にシモンは『手解き』と聞いて身を固くした。
明らかに緊張している。
彼も男女の「行い」はすでに知っているようだ。
「お前がキアラが好きなのは知っている……でもキアラは駄目だぞ、万が一子供ができたらややこしいだろ?」
シモンは黙って聞いている。
彼もキアラと結ばれるとは思っていなかったらしく、そこに落胆はない。
「でも、希望は聞いてやれる。正直に言えよ。ここなら誰も聞いていない、どんなのが好きなんだ? なるべく若いのがいいとか、オッパイが大きいとかでも良いぞ」
「……う、うん……楽しく優しい感じの……」
俺は「ふむふむ」とシモンの好みを聞いていく。
……明るく、楽しく、優しくて、オッパイは大きくなくても良い……ちょっと年上くらいで髪は赤色、目は緑……って妙に具体的な……ん? あれ?
「キアラじゃねーか」
「ち、違うわっ!!」
俺とシモンはギャアギャアと騒ぎながら並んで馬を歩かせる。
男は何才でも女の話で盛り上がれるのだ。
「そんなに好きなら……パーソロン族に頼んでみるか。キアラの従姉妹も中々可愛くてな。実は俺も狙ってる娘が2人いるんだ」
「だから! 違げーよ!」
シモンは唇を尖らせ、俺は大いに笑った。
男同士、たまにはこう言う時間が有っても良い。





