78話 幼馴染の成長
アンドレ夫妻に見送られ、俺たちはジャンの領地に向かう。
正式名称はバシュロ騎士領のままであるが、ややこしいので俺たちは「ジャンの領地」で呼び方を統一している。
俺の家族は再び馬車に乗り換え、北西へと向かう。
予定はジャンの領地から北上してドレーヌ子爵領に向かい、アルボー男爵領を経由してベニュロ男爵領に向かう……北東部をぐるりと一周するコースだ。
ここからは平地が続くためにシモンも騎乗し、馬の稽古をしている。
……懐かしいな、兄上は尻の皮が破れて可哀想なことになってたな……
俺は思い出に浸り、ぼんやりとシモンの稽古を見守ってた。
「バリアン様、そろそろコカース領外に出ます。お気をつけください」
スッと近づいたジョゼが俺に注意を促した。
ここから先は戦で獲得した地域……つまり旧敵地である。
家族連れの俺を狙う跳ねっ返りがいても不思議ではない。
「わかった。前に出るとするか……エンゾ! ここは任せたぞ」
俺は馬を走らせ、護衛の同胞団に混ざる。
家族といると戦陣の勘が鈍りそうな気がしたのだ。
俺が前に出ると、ロロが声を掛けてきた。
「バリアン様、どうしたんですか? お袋様から叱られて逃げ出したんですか?」
護衛の同胞団の采配をとるのはロロだ。
ロロが軽口を叩くと周囲の空気が緩んだ気がした。
彼はこの手の気の使い方が上手い。
俺が近づいたことで集団に緊張が生まれたが、ロロは言葉1つで兵をリラックスさせたのだ。
行軍中にまで気を張っていたら、いざと言うときに集中力が切れてしまう。
気を張るのは見張りの兵士だけで十分だ。
俺はロロの軍人としての実力はかなりのレベルだと思っている。
戦士としても、統率者としても優れており、知恵もある。
身分が自由民だと言うのがネックではあるが、ロロにその気があれば平民にすることなどは容易い。
俺はロロの身分を引き上げたいと常々考えていた。
だが、本人にその気がないのである。
何度も打診をしたことがあるが、その度に「出世よりもバリアン様の側で仕えたい」と言って笑いながら断られるのだ。
これはロロの妻ミレットが豪商の娘であり、生活に全く不自由していないことも関係しているだろう。
ロロは家庭人としても優秀であり、夫婦喧嘩などはしたことも無いと言う。
仲睦まじい2人は男女合わせて5人もの子に恵まれ、絵に描いたような幸せな家庭を築いている。
ミレットの祖父であるアルバンは既に他界し、商会はミレットの父であるバジルが継いでいるが、アルバンは亡くなる前にロロの手をとって感謝の涙を流したそうだ。
誠実なロロは、海千山千の老商人の心をも征服しつくしていたらしい。
『ミスターパーフェクト』俺は密かにロロをそう評している。
十分な財産を持ち、家庭に恵まれ、仕事も充実。
実に素晴らしい人生だが、ハングリー精神だけが無い。
……まあ、これだけ恵まれた現状にあればな……維持したいと思うのが人情だろう……
俺はつくづく惜しいと思う。
もしも、ロロが貴族に産まれていれば誰よりも優れた名君になったろう。
もしも、ロロが領地を望むなら、俺はコカース城もバシュロ騎士領も合わせてロロに任せていただろう。
俺は「もしも」と言う意味の無い思考を繰り返し「実に惜しい」と残念に思う。
「もしも」と言う思考に意味は無いが、そこには尽きぬロマンがある。
そうこうしているうちに旅程は進み、バシュロ城に到着した。
バシュロ城からは出迎えの兵が現れ、俺たちを城内へ迎え入れる。
ジャンの家臣団は実家のグロート家から分けてもらった家来と、俺の同胞団からの希望者、そして旧バシュロ家臣で構成されている。
もっとも、旧バシュロ家臣は大幅にリストラされており、数はそれほどでも無い。
「よう、早かったな」
城に入ると以前と変わらぬ様子でジャンは気安く話しかけてきた。
俺にはそれが堪らなく嬉しい。
「一晩世話になるよ、ドレーヌ子爵領に向かっていてな」
俺とジャンは幼馴染みかつ親戚でもあり、遠慮は余り無い。
ここでも宴会になったが 、ホストであるジャンの性格もあって形式張らず、ざっくばらんな雰囲気だ。
「どうだ? 上手くやってるのか?」
俺は少し心配してジャンに尋ねた。
ジャンの奥さんは出迎えの時に顔を腫らしていたし、宴席には顔も見せていない。
「ああん? なんでだよ?」
「……いや、奥さんと上手くやってるのかなって」
何故か俺が遠慮して小声になっている。
「ケッ! たまには抱いてやってるぜ。メソメソしやがって気に入らねえがな」
ふん、と鼻を鳴らしてジャンは詰まらなそうな顔をする。
ジャンはある意味で戦乱の申し子のような気質だ。
もともと家庭を顧みるようなタイプでは無いが……さすがに少し不味いと思う。
「あのな、一応俺の肝煎で結婚したんだからさ……気を使ってくれよ」
「はっ、まあ考えとくよ」
ジャンは生意気な口を利いてそっぽを向く。
コイツは俺よりも余程「悍馬」だと思う。
性格も才能も尖っているのがジャンだ。
これが魅力ではあるのだが、周囲としては堪らない部分も多いだろう。
「ジャンよ、家族や家来は大切にしろよ。いくらお前でも、後ろからのナイフは防ぎようが無いぞ……愛せとは言わん、ただ妻を粗末にするな」
俺が真剣に諭すと、ジャンは「まあな」と不満気に唇を突き出した。
ジャンは馬鹿ではない。
耳に痛くとも、俺の言葉はちゃんと届いたはずだ。
俺は小言はそれぐらいに留め、領地のことについて聞いていく。
もちろん、交易の話がメインだ。
「交易ってもよ……本当に大したもんは無いぜ。ニンジンやらカブはやたらと育ててるけどな」
「ニンジン? ……うーん、ニンジンにカブね」
ジャンの領地はニンジンの育つ条件に適していたのか、やたらとニンジンばかりが栽培されているらしい。
もともとバシュロ騎士領は北東部の後発地域であり、麦などの穀物を育てるにはあまり向いていない土地柄のようだ。
日持ちのするニンジンは便利なものではあるが、交易の目玉となるかと言われれば難しいだろう。
「まあ、交易で儲けがでなくても仕方ねえよ。そんなもんだ」
ジャンはあっけらかんと話し、あまり気にした様子もない。
確かにジャンの言うように、特産品などが無い土地だっていくらでもある。
「そうだな……なら、宿場にしろよ。宿屋や木賃宿を作るのさ。食堂や酒場を用意すれば噂も集まるぞ。コカース城とドレーヌ子爵領に向かって道を整備すれば尚良い」
ちなみに木賃宿とは、宿泊客が薪代を支払って自炊するランクの低い安宿のことだ。
この薪代を木賃と呼ぶのでこの名がついた。
「へえ、そりゃいいかもな」
「だろ? すでにエーメ子爵領方面には立派な道があるし、上手くやれば交易の中継点にできるさ。関税を低めに設定して定期的に市を開くんだ。遍歴商人を集めろよ」
ジャンは手を打って俺のアイデアを喜ぶ。
定着までは時間がかかるだろうが、人が集まれば金が回り、ジャンの懐に入る税も増える。
後のことにはなるが、ジャンは森を増やすために植樹を奨励し、数を増やした果樹から果実酒という新しい名物も産み出した。
ジャンは決して内政下手では無かったのである。
それもこれもジャンが「兵隊」を維持するためであり、領民への税率などは高めに設定されたようだが、彼が集めた財産を惜しみ無く注ぎ込んだバシュロ騎士領の軍は、リオンクール軍の最精鋭部隊の1つと言われるようになるのだ。
俺は久しぶりにジャンと語らい夜を徹して痛飲した。
途中でロロも交じり、大いに語らい、楽しい時間を過ごす事ができた。
やはり友達ってのは良いものだ。
ちなみに俺たち3人は揃って大酒飲みである。
酒は高いので普段はあまり飲まないが、飲めば底無しなのだ。
………………
翌日
「おいおい、大丈夫かよ」
ジャンが気遣わし気に声を掛けてきた。
それを受けて俺は「……うん、まあ」と辛うじて答え、二日酔いで青い顔をしながら馬に跨がる。
「大丈夫ですか?」
「うん……お、お前らは元気、だな」
俺は胃から何かがせり上がるのを堪えつつ2人を交互に眺めた。
「私は平気ですね」
ロロはケロッとしてやがる。
さすがはロロ……肝機能までパーフェクトか……
「あーあ、バカだな。俺はあれからも飲んでたから平気だぜ? 二日酔いってのは飲むのを急にやめるからなるんだよ」
ジャンの謎理論を聞きながら俺は「そうね」と弱々しく呟いた。
……まさか、あのまま飲み続けたというのか……こっちはこっちでバケモノみたいな肝臓だな……ウコンドリンクが欲しいぜ……
俺は弱々しく「出発」と号令した。
この先からは旧エーメ子爵だ。
行き場を失った兵士が野盗化している可能性も高い。
野盗と聞くと大したこと無さそうにも感じるが、そこは実戦を重ねた元兵士である。
数の揃った野盗は軍隊に近い危険度がある。
俺は吐き気を堪えながら、必死で鞍にかじりついていた。
ジャンの領地からドレーヌ子爵領へは整備された街道は無いが、軍を率いて往復した俺は何となく覚えがある。
ドレーヌ子爵領の拠点を幾つも経由し、以前リオンクール軍とドレーヌ子爵軍が合流した城まで到達した。
以前、頑強な抵抗と上手い降参で落城の危機を免れた城だ。
先触れを出しながら移動しているために大きな混乱などが起こることもなく、俺たちは城兵に誘われるままに入城を果たすことができた。
旧敵城に入城となると野心を抱いた城主の策略に巻き込まれたり、暗殺されかかるパターンを想像してしまうが……幸いなことに何事も起こらず、俺たちはこの城で数日間も滞在した。
ここの城主は本当に「デキる男」であり、俺たちの先触れを受けたと同時にドレーヌ子爵へ急使を派遣し、この城で子爵領からの出迎えを待つことになったのだ。
滞在中の俺たちは下にも置かれぬ待遇を受け、連日に渡り大変な大宴会である。却って恐縮してしまうほどだ。
そして、子爵からの使者が到着した。
「すっかりお世話になりました」
「何を仰いますか、不自由をお掛けし、申し訳もございません 」
俺は出発前に城主と別れの挨拶を交わした。
城主は30代後半ほどの男盛りだが腰も低く、偉ぶったところも無い。
この数日間で俺は城主にすっかりと気を許していた。
「ところで、リオンクール卿は新たな交易路を拓かれる予定だとお聞きしましたが」
「ええ、その通りです」
城主は深く頷き、地図を広げた。
「ならば是非とも当地を経由して下さい。ご覧の通り、当地は交通の要衝にあり……」
城主はどうやら想像以上にデキる男だったらしい。
俺に対してこのタイミングで街道の誘致を始めたのだ。
……そうか、してやられたな……
俺は苦笑いし「出来るだけご希望に沿うようにします」と答えた。
俺たちはすでに何日も大変な接待を受けてしまったのだ。
部下たちは酒を飲み、女も抱いた。
これで知らん顔をすれば不誠実だと噂されかねない。
「やられました」
俺が笑うと、城主は楽しげにウインクをした。
地方で強かに生きる小貴族の知恵と言うものだろう。
俺はまた1つ、学ぶことができた……これも旅の楽しみだ。
……授業料は後で支払うとしよう。
俺たちはドレーヌ子爵からの出迎えと共に出発した。
行く手には海と、母の故郷が待っている。





