72話 男なら賭けろ
春も終わりを告げ、緑の爽やかな風が吹く。
王国北東部は冬の寒さは厳しいが、平地が広がり農地は少なくない。
……うん、何とでもなる……俺がこの地を治めていたら……
俺はコカース城の見張り搭から周囲を眺め、あーでもない、こーでもないと妄想した。
そう、妄想である。
北東部を征服したとしても、リオンクールより離れたこの地を直接支配するのは現実的ではない。
精々が部下に任せた間接支配だろう。
通信が未熟なアモロス地方では色々と限界があるのだ。
俺は自らの妄想を苦笑し、我に帰った。
ふと、視界の端に騎馬の一団が見えた……恐らくは使者だ。
俺は梯子を使い、搭から下りる。
すると、ピエールくんが待ち構えていたかのように俺を出迎えた。
事実、ずっと待っていたのかも知れない。
それなら一緒に搭に上れば良いと思うのだが……ピエールくんとムーディーな雰囲気になるのは恐いので、これで良いのかもしれない。
「義兄上、丁度ベニュロ男爵から使者が到着しました」
ピエールくんの言葉に俺は首を捻る。
「ベニュロだけか? アルボーは?」
「すみません、使者からはベニュロ男爵とのみ伺っています」
俺は「ふうん」と曖昧に返事をして広間に向かった。
………………
広間にて、使者を迎えた俺は使者の名乗りに面食らうことになる。
「お初お目にかかる陛下。私はジョセフ・ド・ベニュロと申します」
……男爵本人!? まさか初回から責任者が来るのか!? しかも陛下ってなんだ?
俺は目の前に現れたベニュロ男爵をまじまじと見つめた……線の細い禿げた老人だ。
60才程だろうか……痩せた顔に大きな鷲鼻が印象的である。
「これは、男爵自らのお越しとは驚きました……しかし陛下とは?」
俺は舞台のように1段高くなっていた椅子から立ち上がり、男爵と同じ高さまで下りた。
これは爵位を持たぬ俺が男爵を見下ろすのを嫌ったためだ。
俺の言葉を受けてベニュロ男爵は「ふむ?」とわざとらしく首を傾げた。
「リオンクール卿は王を名乗られているとお聞きしたが、違いましたかな?」
「まさか、ご冗談を……例外的にエルワーニェたちは私を王と呼ぶこともありますが、これは彼らの言葉で族長くらいの意味ですよ」
俺は驚きで顔がひきつりそうになるのを必死で堪えた。
リオンクール領内では、一部の領民が俺のことを「アモロスからの解放者」とか「リオンクール王」とか言っているが……俺は自称したことは無い。
……さすがに今の状況で王を名乗るはずがない……袁術じゃあるまいし……
俺は三国志で実力も無いのに皇帝を名乗り、悲惨な末路を辿った男を思い出した。
ちなみに彼の遺言は「蜂蜜舐めたい」だ。
「そうですか、それは失礼を……リオンクール卿の武勲詩を小耳に挟みましてな」
「ははは、あれはリオンクールでは冗談の種ですよ」
油断の出来ない妖怪ジジイ……俺が抱いたベニュロ男爵の印象だ。
武張った印象は無く、常に愛想笑いを浮かべ、何を考えているのか分からない……そんな不気味さを称えている。
海千山千の老貴族だ。
俺と男爵は他愛もない世間話を10分ほど続け、俺は本題を切り出す。
「ベニュロ男爵とアルボー男爵と和平を結びたく思います」
俺の言葉に男爵は顔色1つ変えず「条件次第です」と穏やかに答えた。
「私と手を組み、エーメ子爵領を山分けしましょう。バシュロ騎士領の支城も領有も認めます。ただ、コカース城は認めて頂きたい」
俺は駆け引き無く、全部伝えた。
こんな老人との駆け引きに勝てるとは思わない。
ならば伝えるだけ伝えて判断は任せようと思う。
「ふむ、我らにバシュロの支城を奪わせたのも、この布石でしたかな? ……確かに我らとエーメ子爵は上手く行っていない。我らが奪った城を返せ返せと煩いのでな」
男爵はあっさりとすごい情報を口にする……しかし、鵜呑みには出来ない。
話半分だ。
「しかし、リオンクール卿よりもエーメ子爵の方が馴染みがあるのは事実」
わざとらしくため息をつき、男爵は首を振った。
いかにも「悩んでます」というジスチャーだ。
「リオンクール卿、分かるでしょう? 隣に住むにはリオンクール卿は強すぎる。隣人は弱い方が有り難い」
男爵は一呼吸置いて力を込めた。
「それに……エーメ子爵を滅ぼした後に、軍を返して私が滅ぼされぬと決めつける訳にはいきません」
なるほど、と俺は頷いた。良くわかる話だ。
隣に強力な勢力が生まれては存亡の危機になる。
ならばエーメ子爵のほうがまし、か……
俺は少し失望したが、相手が受け入れないのならば仕方がない。
交渉とはそう言うものだ。
「良くわかりました。わざわざお越しいただいて成果が無かったのは残念ですが」
男爵が意外そうに片眉を上げた。
普通ならここで条件の見直しや再交渉となるのだろうが、俺は初めから条件は出している。
だらだらする気はない。
……ここで殺すか?
俺は殺気の籠った目で男爵を睨み付ける。
護衛との距離はあり、確実に殺せるだろう。
わざわざ敵の大将格が来たのだ……逃がす手はない。
飛び掛かって殴り付ける。
それでお仕舞いだ。
……良し、殺るか。
「お待ちくだされ、結論を急ぐのは若者の悪い癖です……お受けしますとも」
「……む、よろしいので?」
男爵が少し慌てた風情で俺を止めた。
機先を制された形となり、俺は少し気勢が削がれてしまった。
必殺の間合いを外されたのだ。
「ええ、リオンクール卿には6才になるご長女がおられると聞きました。我が嫡孫アルベールと婚約を……」
要は男爵は裏切られないように人質が欲しいと言っているのだ。
さすがに6才で嫁入りするわけでは無いが、婚約してしまえば攻めづらくなる。
いくら俺でも「娘の嫁入り先を攻撃した」などの不名誉は御免だ。
……しかし、アルベール、か……
俺は「アルベール」と言う名前に反応してしまった。
これが俺を止めるための嘘ならば大したモノだ。
「アルベール殿の年齢は?」
「はい、もうすぐ10才になります」
……悪くない、か……
俺の評判は悪く、エマに相応しい嫁ぎ先が決まらずカティアのように配下に嫁ぐことになる可能性は十分ある。
非嫡出のカティアならまだしも、正室の子を降嫁は好ましくない。
……しかし、エマを嫁がせるのか……?
俺は可愛い盛りのエマを思い出して返事が出来ない。
……可愛いエマは父上と結婚するって言ってるのに……ぐぐ
俺は必死で表情を消した。成功したかは分からない。
「……分かりました。しかし、奥向きのことは母に相談することになっております」
「はい、すぐには返事は難しいでしょう」
男爵は「ジョゼ、こちらに」と護衛の一人を招き寄せた。
30才くらいだろうか……刺客にしては頼りない体つきだ。
俺への暗殺では無いだろう。
「これは我が息子ジョゼです。婚約の話がまとまるまで人質としてお預けします」
「なるほど、良くわかりました」
俺は「ロジェを呼んでこい」と命じ、しばし待つ。
余程急いだらしく、ロジェは息を弾ませて現れた。
「彼は我が従兄弟です。今回の話がどうなるかはわかりませんが、ある程度進展するまでお預けします」
この急展開にロジェは戸惑っていたが、俺が「人質としてベニュロ男爵領へ向かえ」と伝えると顔を引き締めた。
人質と言えば聞こえは悪いが、リオンクールとベニュロを繋げる交渉の窓口でもある。大任だ。
「アルボー男爵も異論は無いはずです。彼もリオンクール卿の手並みには恐れを抱いていましたからな……そちらとも何か縁談はあるかも知れません」
ベニュロ男爵はそう告げると護衛とロジェを引き連れて自領へ戻った。
残されたのはジョゼと数人の護衛のみだ。
「なかなか、手強い老人ですね」
俺がジョゼに告げると「はは」と彼は曖昧に笑った。
数日後、この婚約はリュシエンヌからGOサインが出たために成立した。
残念ながらアルボー男爵には我が家の子弟と年の合う子弟がおらず、こちらは保留となったが、これは仕方がない。
婚姻同盟とは実に中世貴族的だと思う。
しかし、これの成立により北東部の勢力図は一変し、エーメ・バシュロ組は一気に劣勢に立たされる事となる。
ドレーヌ子爵とも連絡をつけ、エーメ子爵領はドレーヌ、アルボー、ベニュロ3家で切り取り放題。
バシュロ騎士領はリオンクール家と分配も決まる。
個々の戦術では無く、外交の場で戦争の流れが変わったのだ……これは俺には衝撃だった。
何せリオンクール家は外交的に孤立していたのだ。
俺は連合軍に攻められたり、外交では録な成果を出したことが無かったのである。
……外交、か。
この時代のアモロスには、常駐外交官がいない……というより、貴族の個人的な資質や付き合いが外交に直結している気がする。
今回は上手く行ったが、毎回がこうだとは限らない。
……専任の外交官がいてくれたらなあ……
俺は宿題が増えた気分になり、ため息をついた。
………………
男爵コンビとの協定が結ばれれば遠慮は要らない。
俺は1500人の軍を率いてバシュロ騎士領を攻め立てた。
先鋒は復讐戦に燃えるジャン。
守る守備側は騎士バシュロを主将にした300人だ。
こちらも大した城では無い。
土を盛った城壁に見張り塔……オーソドックスと言えば聞こえは良いが、工夫が感じられない。
逆茂木が申し訳程度に設置されているのが工夫と言えば工夫か。
そして、騎士バシュロがいくら粘っても、他勢力から袋叩きに遇っているエーメ子爵からの援軍は見込めないだろう。
ハッキリ言って弱いもの苛めだが、強い者がより肥えるのが世の理である。
完全に包囲をした後に俺はマテュー・ド・バシュロを呼び出した。
彼はおずおずと引き立てられて本陣に姿を現した。
居並ぶ騎士たちに少々気後れした様子でキョロキョロと辺りを見渡す。
折れた足は少し引き摺るようにしているが大分と良くなった様だ。
「良く来たな、マテュー殿、今日は良い話がある……緊張しないで欲しい」
俺は椅子がわりにした木箱に腰掛けながら鷹揚に声を掛けた。
「今からバシュロ城は総攻撃を受けるが、止める手段がある。君が軍使となり開城させるのだ」
マテューは驚きのあまり目を見開いた。
「……私を解放するのですか? しかし……」
「そう、君が守備に加わっても構わんよ。今さら怪我人が1人増えても変わらんさ」
俺は溜めを作り「ただ」と勿体付ける
「君が開城に成功したら領主にしてやろう……まあ、俺に仕えるのが条件だが」
マテューは「ゴクリ」と唾を飲み込んだ。
「しかし、兄は剛毅な男で……」
「その時は色々やれば良い。門を開けるなり、騒ぎを起こすなりな。俺は働き者を評価するぞ」
躊躇うマテューを俺は唆す。
「やれよ。男だろう? 栄光を掴みとれ」
「もし……もし、私が失敗したら……」
俺はため息をつき「その時は死ね」と言い放つ。
こいつは馬鹿だ。
兄への反乱に何の保証があると言うのか。
俺は戦場で俺に立ち向かってきたマテューを評価していたが、どうやら見込み違いだったらしい。
このような優柔不断なヤツは使う価値も無いと俺は再評価をした。
戦とは拙速が大事なのだ。
うだうだと議論を始めても良いことなど何も無い。
やる時は全てを賭けて突っ込むのが男ってもんだ。
「もういい、下がれ」
「いえ! やります! やらせて下さい!!」
今さらになってマテューが騒ぎ出す。
これも俺を苛立たせた。
「バリアン様、後は私が引き継ぎましょう」
ポンセロが気を効かせてマテューを連れ出した。
マテューは愚かにもポンセロが庇ってくれたと感じて礼を述べている。
……やれやれ、あんな身内がいたら勝てる戦も勝てんぜ……
俺は顔も知らぬ騎士バシュロに同情した。
周囲からも失笑が漏れる。
「駄目ですね」
ロロが首を振りながら呟いた。
「ああ、もっと度胸のあるヤツだと思っていたが見込み違いさ……やるかやらないか、それだけの事をグズグズと……」
俺が吐き捨てると、ロロは苦笑した。
「やるかやらないか、それを決めれない者もいるのですよ」
「分かるけどな、戦場でそれは駄目さ」
見れば陣中にいたピエールくんと人質として同行しているジョゼ・ド・ベニュロが神妙な顔をしていた。
「さあ、もうすぐ始まるぞ。パーティーに備えろよ」
俺が明るく言い放つと、陣中の騎士たちはザッと身を正した。





