69話 果たされた野望
北への交易路、通称「花嫁街道」の開通には時間がかかった。
当然、俺には街道の工事以外にも仕事はある。
俺が特に力を入れたのは開拓地で使用した農具の普及だ。
特に力を入れたのは回転式脱穀機の普及である。
元々は開拓地で使用するために作った試作機であったが、これがすこぶる具合が良い。
構造は至極簡単である。
スポークと連結した足踏み板を踏むことにより、ドラムを回転させる。
ドラムには針金で細かく多数の凸が付けられており、回転するドラムに麦の穂を押しつけると凄まじい勢いで脱穀がされるのだ。
脱穀した実はドラムの下に取り付けられた傾斜をつけた板によって集められ、1ヶ所に集まるようになっている。
……言葉で説明すると難しいが「凄く便利」と言うのが伝われば何よりである。
これまでの伝統的な脱穀は穀棹というヌンチャクのオバケみたいなので麦の穂をバシバシ叩いてムリヤリ脱穀する方法で、時間と労力が随分とかかる。
始めは千歯扱きを作ってみたが、脱穀機は各農家に必要な物ではない。
村で管理し、共用で十分である。
そう考えれば、少し製作に手間はかかるが効率の良い回転式脱穀機を幾つか作り、各村に配れば良い。
この回転式脱穀機を領内に普及させるために、俺は先ずリオンクール家の荘園に配付した。
使いなれない道具に農夫たちは戸惑ったようだが、簡単な構造であり、すぐに慣れたようだ。
重労働であった脱穀が、あっという間に終わる。
それこそ、穀棹では1日かけても出来なかった作業量が1時間足らずで済んでしまうのだ。
しかもメンテナンスも簡単で、村の鍛冶屋で十分に対応が可能なところも魅力である。
日本の江戸時代には脱穀は未亡人の仕事であり、千歯扱きは「後家殺し」と呼ばれたそうだが、リオンクールでは別に未亡人の仕事では無い。
単純に作業効率が上がり、農民の負担が軽減された。
空いた時間をどのように使うかは各人の勝手だ。
働き者は開墾や脇作に精を出し、怠け者は身体を休め、子作りに励む者もいる。
志の有るものは学問や武芸を身に付けるだろう。
回転式脱穀機は江州鋤やはねくり備中と共に荘園に根付き、農業の作業効率を高めていった。
他の農村では爆発的には普及しなかったが、それでも荘園外にも徐々に広まっているようだ。
次は三圃式農業の普及に努めたい。
………………
一方でプライベートでは順調とは言い難かった。
キアラが男の子を産んだ。
パーソロン風にノイシュと名付けられた赤髪の子だった。
しかし、出産時のキアラが15才と未成熟であったためか、ノイシュは早産の結果未熟児であり、残念な事に2ヶ月で死んでしまったのだ。
救いであったのはキアラがふさぎ込まなかった事だ。
リオンクールより遥かに厳しい環境で生きるパーソロン族では乳幼児の死亡率が高く、キアラに「こんなものだ」と言う認識があったためである。
キアラは飲む者がいなくなったのに張る乳に戸惑っていたが、それを満たしたのはベルの子であるレイモンであった。
既にレイモンは1才を越えていたが、キアラの乳を吸い、彼女の隙間を埋めたらしい。
まあ、俺も手伝ったが、それはどうでもいいことだ。
子供を亡くしたのは俺も同様である。
ある意味、キアラよりも俺の方が引き摺っており、そうやってキアラに慰められた面があるのは否定できない。
俺は自分の子を亡くすのは初めての経験だったのだ……その衝撃たるや言葉にはし難いものがある。
そして、子供と言えばシモンは6歳を迎え、リュシエンヌの教育が始まった。
とはいえ、リュシエンヌが直接指導をするわけではない。
学友と共に、師について学ぶのである。
その師と言うのが……
「お久しぶりです。バリアン様」
シモンの教育を任せる師が決まったと言うので、リュシエンヌに呼ばれ挨拶に来たのだが……いきなり声を掛けられて俺は暫し戸惑った。
茶色い髪をポニーテール風に束ねた30がらみの逞しい男。
やや童顔で髭があんまり似合っていない。
……はて、見たことある……かな?
俺が少し考え込むと、男は苦笑いし「ロベール様の従士、エンゾですよ」と名乗った。
「エンゾ、ああっ! エンゾか! 久しぶりだな、見違えたぞ髭なんて生やして」
俺は驚きで声を上げた。
エンゾ・ぺサール、俺の兄であるロベールの学友であり従士。
レスリングの名手でもあり、俺とも好試合を重ねたものだ。
彼はロベールへの忠誠が篤く、兄の死後もトリスタン派に最後まで属していたために主流派から離れており、日陰の身となっていた。
俺とも接点がなく、存在を忘れていたのは申し訳なく思う。
……彼が、シモンの師なのか?
俺は少し疑問に感じた。
「はは、無理もありません。私はバリアン様の周囲には近づかないようにしていましたし、しばらくはトリスタン様に付いてドレルム騎士領まで行きましたから」
エンゾはこだわりなく話すが「俺に近づかないようにしていた」とは、粛清を恐れていたのだろうし……なぜ今になって現れたのかが分からない。
「なぜ、今になって私に声が掛かったのかは分かりませんが……」
「分かりませんか?」
エンゾの疑問に応える形で、いきなり横から声が掛かった。
リュシエンヌだ。
「これはシモンと、貴方たち2人にとっても益があると思い、私が決めました」
リュシエンヌはにこやかに語る。
だが、そこには『異論は許さないぞ』という強固な意思を感じる。
「バリアン、あなたは今まで自らの子飼いの家来のみ優遇していますが、それではいけません」
リュシエンヌはいきなり耳に痛いことを言う。
「部下を愛するのは、あなたの美点であり欠点よ。大きな事を為すには従うものばかりではなく、自らに親しもうとしない者たちも用いる度量が必要なのです」
リュシエンヌの言葉はもっともだ。
俺は自らの親派と子飼いの家来のみで政権を運営している。
実際に人手不足だ。
護衛であったロロが兵站を担当しており、アンドレも雑務であちこちを飛び回っている。
タンカレーはリオンクール家の全ての荘園を見て回り、尚且つ開拓地で鍬を振る。
ポンセロとて領都と開拓地での同胞団の取りまとめだけでなく、治安維持も担当だ。
明らかに皆がオーバーワークだ。
「リオンクールには貴方の兄や父を支持したものが大勢います。今の待遇に不満も有るでしょう。それらを用いてやりなさい」
「……確かに、母上の仰る意味はわかります。ですが……私には他の派閥の者らに伝が無く、呼び寄せることは叶いません」
そう、俺は指揮官や行政官たる騎士階級の支持が低い。
リオンクール領内では騎士階級にアモロス人が多く、平民以下にはリオンクール人が多い。
俺と対立していたロベールはアモロス人の騎士階級からの支持が篤く、俺は逆に平民以下のリオンクール人からの支持が多かった。
ロベール派、ついでトリスタン派と対立した俺は騎士階級に警戒されているのだ。
リュシエンヌの言葉は分かるが、迂闊に俺が声を掛ければ「すわ、粛清か」と身構えてしまうだろう。
「……ふぅ、分かりませんか?」
リュシエンヌは軽くため息をつき、エンゾと俺を交互に見つめ、口を開いた。
「エンゾ・ペサールはロベール・トリスタン派に最後まで従った忠臣でした。そのエンゾ・ペサールでさえ許され、重く用いられる……」
俺は「あっ」と小さく叫んだ。
リュシエンヌはニコリと笑い、エンゾは苦笑いした。
「子供の傳役(教育係)は大任です。それを反バリアンを貫いたエンゾ・ペサールが任せられたならば、自らも許されたと多くの者が思うでしょう。もちろん、エンゾほどシモンの師に相応しい者はおりません」
「……なるほど、そこを俺がこだわりなく登用すれば……?」
リュシエンヌは「よくできました」と笑った。
まるで幼児扱いだが、リュシエンヌからすれば俺は大きくなっても手のかかる子供なのだろう。
「エンゾ、あなたもそろそろ働きなさい。ロベールもそれを望んでいるはず」
「は……」
リュシエンヌはエンゾにも親しげな視線を向けた。
彼女からすればエンゾは息子の友達だ。
当然、何らかの面識は有っただろうし、心配していたのだろう。
エンゾもリュシエンヌの招きだから応じたのだ。
「エンゾ、俺からも頼むよ。人材とか別にして、エンゾに任せたいんだ。兄上と学んだことを息子たちにも伝えて欲しい」
「はい、バリアン様……お受けいたします」
エンゾは複雑な顔をしていた。
その感情を読み取るのは難しい。
だが、これ以後エンゾ・ペサールは俺の息子たちの教師となった。
これ以後、俺の元には旧ロベール派の人材もポツリポツリと集まり、徐々にではあるが人手不足は解消された。
リュシエンヌの目論見は当たったのである。
………………
ある日、俺は機会を見つけて、リュシエンヌを抱き締めた。
「なあに、バリアン」
「たまには母上に甘えたくなるのです」
リュシエンヌは「まあ、あきれたこと」と言いながらも満更でも無さそうに喜んでいた。
これは俺からのお礼でもある。
リュシエンヌは俺の妻たちの面倒をよく見ており、家庭内のどのような火種も見逃さない。
子供たちが喧嘩をすれば公正に叱り、女たちの不平や嫉妬を諌め、使用人を指揮して家を切り盛りする。
正に我が家の守護聖人とでも言うべき存在だ。
ちなみに我が家では嫁姑問題は無い。
リュシエンヌの独裁体制なのだ……俺を含めて口答えをする者はいない。
そもそもライオンとウサギは喧嘩をしない。
リュシエンヌとスミナたちでは貫禄が違いすぎるのだ。
もし、リュシエンヌが男であったならば子爵家の当主として大活躍したのだろう。
大器は晩成するという。
明らかにリュシエンヌの才能は50才を間近にして広がりを見せつつある。
これは元々の資質かも知れないし、伯爵家の奥向きを取り仕切って開花させたのかも知れない。
「バリアン、貴方は優しい子……愛しい我が子」
逞しき我が子の腕の中で、うっとりとした声でリュシエンヌは呟いた。
………………
街道の開通には3年の時が必要であった。
すでに街道を北へ抜けた先には城塞の建築が始まっている。
この城は『コカース城』と仮称されている。
この城塞は新たな街道の守りの要であり、関所になる重要施設だ。
この建設には砂糖で大儲けしているアンドレの実家からかなりの資金援助があり、完成した暁にはアンドレに与えられ『コカース騎士家』が成立することが内定している。
この周囲の開発はアンドレに一任され、コカース騎士領となるのだ。
資金源は関税と実家からの援助となるだろう。
あまり周囲には水源が無く、農耕に適しているとは言い難いが、コカース家の悲願であった騎士家に返り咲いたのだ。
俺の正妻であるスミナは「平民の娘」から「騎士の妹」となり、ベルとの身分差も無くなった。
これ以後、コカース家は兄が継いだ実家が富豪となり、弟が騎士に、妹が領主の妻となったリオンクール屈指の名家となる。
アンドレやスミナの父、ヨルゴ・コカースの野望はこれ以上ない形で達成され、満足した彼は翌年に亡くなった。
それは幸せな晩年だったと伝えられている。
今回の母上は「隗より始めよ」の故事をモデルにしました。





