7話 春を待て
父のルドルフたちが狩猟に出掛けて2日たった。
兄のロベールが「明日には帰るよ」と言っていたので何かトラブルかと思ったが、母のリュシエンヌ曰く「良くあること」らしい。
まあ、自然が相手だし、スケジュールなど有って無いようなモノなのだろう。
その間の朝の訓練は休みとなっていたが、俺はロロと共にジローに剣と盾の稽古をつけて貰っていた。
ジローは始め渋っていたが、最終的にはお願いを聞いてくれる辺り、彼は面倒見の良い性格をしている。
「そらそら、そんなんじゃ……よっと!」
ドンッと盾の上から強い衝撃を受けて俺は吹き飛んだ。
ジローに木剣で突かれたのだが、凄まじい威力だ。
「ぐくっ、痛たた……ぐえっ」
転んだ俺が痛みで喘ぐと、上からジローに踏んづけられた。
「戦で寝てたら死にますぜ」
「……参った」
俺が降参するとロロの番だ。
ロロもすぐに転がされて降参した。
「ロロ、立ち上がって盾を構えろ……そうだ。盾で防ぎ……剣で突く、盾で防ぎ、剣で突く、盾! 剣! 盾! 剣!」
ジローはロロに熱心に指導している。
実はジローは従士と呼ばれる戦士階級だ。
彼はボンヤリしているが戦場往来の強者なのである。
7才児がどうこうできる相手では無い。
アモロス王国の身分制度は大きく分けて4つ。
先ずは貴族や騎士などの領主階級、支配者層だ。
爵位は公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士となっている。
準男爵とか勲爵士などの特例で一代限りに授与される名誉爵もある。
次は平民や市民と言われる階級だ。
土地や市民権を持つ郷士である。
そして従士とは自由意思で領主に仕える平民のことを言う。従士は領主の私兵集団であり、小勢ではあるが常備軍だ。
ちなみに姓があるのは平民からである。
そして自由民、土地を持たない階級だ。
商人や小作農民が多い。
土地や市民権を持てば平民となり、逆に税が払えず奴隷になる者もいる。
流動的な身分とも言える。
基本的には外国人も自由民である。
最後は奴隷だ。
彼らに人権はなく、その扱いは持ち主である主人次第である。
しかし、アモロス地方では人口が少なく、滅茶苦茶な扱いはあまり無い。人はそれだけで貴重な資源なのだ。
奴隷には納税も軍役も無いので、気楽だと言う者もいる。
解放奴隷は自由民扱いだが、実際には自由民より低く見られがちなのだとか。
ちなみに結婚が許されるのは慣習で身分差が1つまでとされているようだ。
つまり領主がお気に入りの従士に娘を嫁がせる事はあるが、領主一族と自由民が結婚することは無い。
ジロー始め、ルドルフの屋敷に住む家来は奴隷を除けば皆が従士である。
僅かに14人だが、領地のリオンクールにも有事に備えて従士を残しているらしい。
「ありがとうございました!」
ロロの声が聞こえた。
ぼんやりしていたら、ロロの稽古が終ったらしい。
次は俺だ。
俺はジローに「お願いします」と声をかけ、剣と盾を構えた。
「若様は剣を振り回す癖がありますぜ、剣は突かないと駄目だ」
ジローは何度か突きを繰り出し手本を見せ、俺も真似をした。
俺はどうやら日本刀のイメージが強すぎて、剣で斬る動きをしてしまうようだ。
アモロス地方の剣は直剣だ、振り回してはすぐに折れてしまうだろう。
「さあ、来い」
「応!」
俺はジローに挑みかかった。
………………
しばらく稽古に励んでいると、狩に出ていたルドルフたちが戻ってきた。
遠目でも2人がかりで鹿をぶら下げてるのがわかる。
「凄いな、ジロー」
「大猟だったみたいですな、忙しくなりますぜ」
ジローの言葉通り、ルドルフたちが到着するや屋敷は大騒ぎになった。
女や奴隷も総出となり、獲物を解体し、加工しなければならないのだ。
ルドルフたちが持ち帰った獲物は牝鹿に狼、何羽かウサギと山鳥もいる。
薪なども大量に持ち帰って来ていた。
ロロもジローも忙しく働き始めたが、俺は何をして良いか分からず、どこか気まずい。
父も母も家人たちを指揮して忙しそうにしている。
俺は兄のロベールを捕まえて話を聞くことにした。
彼はウサギを解体している。
「兄上、何か手伝う事はありませんか? 」
「うーん、薪は……奴隷が運んでるな……じゃあ、ちょっとコッチを引っ張ってくれ」
俺はロベールに言われるままにウサギの皮の端を引っ張ると、ロベールがガリガリとナイフで皮を剥いでいく。
「凄いですね、大猟だ」
「まあな、血の臭いに誘われた狼をデコスが仕留めたのは凄かったぞ。投げ槍でな、ブスリだ」
俺はふんふんと頷きながらロベールの話を聞いていた。
デコスとは家来の一人で、30才ほどの逞しい従士だ。
「良し、できた。俺は皮を鞣すから肉を女衆のとこに持って行ってくれ」
ロベールはそう言うと生皮を持って立ち上がる。
どうやら作業スペースを変えるようだ。
………………
余談だが、ここで毛皮の鞣し方を紹介しよう。
興味の無い方は読み飛ばして欲しい。
剥ぎ取った状態の皮は「生皮」という。
このままでは付着した肉や脂が腐敗してしまい、毛皮にはならない。
まずは「裏すき」だ。
これは皮の裏側に付着した肉や脂をヘラやナイフで削ぎとる作業だ。
肉や脂は丁寧に取らねばならないが、やり過ぎると毛皮に穴が開くので難しい。
「裏すき」が終わればしっかりと水洗いをする。
次は「脂ぬき」だ。
毛皮を煮込み、付着した脂を取り除く作業である。
煮込んだ後はお湯でゴシゴシと脂っぽさが無くなるまで洗う……現代ならば洗剤を使えば早かろうが、中世レベルの技術力では丁寧にもみ洗いする他は無い。
「脂ぬき」は毛皮の品質を左右する大事な工程である。
そして「鞣し液に浸す」のだが、鞣し液は明礬が一般的であろう。
アモロス地方では鞣し液に植物性のタンニンを用いるようだ。
鞣し液が無いならば「ひたすら噛む」ことで代用できるが、それでは大量に毛皮を生産することは難しいだろう。
鞣し液には数日ほど重石をのせて漬け込む(作者の手元の資料では三日三晩とある)が、漬けっぱなしではなく、たまにかき混ぜてやるのがコツだ。上下を入れ換えたりすればムラが減るだろう。
その後は鞣し液を水洗いをし、皮を棒で擦ったり踏んだりしながら柔らかくしていく。
十分に柔らかくなったら「乾燥」だ。
乾燥して手触りに納得いかなければ再度水で濡らし、踏んだり揉んだりすれば良い。
要は柔らかくなるまで繊維を破壊し、良く乾燥させるのが大事なのだ。
乾燥は板などに打ち付け、ピンと張らして行えば見映えも宜しく、高額で取引されるだろう。
最後は「仕上げ」だ。
ブラシや棒で内側を擦り、削りかすを綺麗に取り除き、均一な厚みにする。
最後にペッタンコになっている毛を立たせれば完成だ。
数枚も鞣せば自分なりのコツや勘所、便利な道具なども分かると思う。
読者諸兄も是非挑戦して欲しい。
ちなみに漢字では、鞣す前を皮、鞣した後は革と表記することが一般的だ。
それでは話を田中に戻そう。
………………
その後も解体作業は続き、一段落がついた頃には宴会へと雪崩れ込んだ。
アモロス地方ではワインはそれなりに貴重品の様だが、水が良くないらしく、水代わりにビールは結構な量を飲む。
今日は豊猟の祝いのため皆に振る舞われ、楽しく騒いでいる。
振る舞われる酒は泡の無いビールとワインの様だ。
俺はロロとロナと一緒に隅っこの方で肉を噛じっていた。
さすがに子供には酒は回ってこない。
「へえ、狼も食べるのか!」
「はい、あまり美味しくないので奴隷で分けます」
ロナが教えてくれたが、手掴みで肉に噛ぶりつくので手や口が脂でギトギトだ。
「塩漬けや干し肉にするんだよね」
ロロが必死に肉を噛みながら「美味しくないけどね」と笑った。
「美味しくないのか?」
「はい、冬の間は食べ物が無いので仕方ないのですが……塩漬けは腐ってしまいますし、お腹が痛くなります」
食べたら腹痛がするとは、一体どのような状態なのか想像するのも恐ろしい。
「お屋敷の外では冬の病気や寒さで死んじゃう人もいるし、お腹が痛くなっても平気さ」
ロロがあっけらかんと話すが、2人の子供が語る内容は中々にショッキングである。
……腐った肉を食うのか……
冬の間はさらに食料事情が悪くなるらしいが、それにしても腐肉を食うとは凄まじい。
「冬の野菜は食べるのか?」
俺は折角なので、積極的にリサーチをすることにした。
貴族である俺の生活では、庶民の生活の参考にならないだろう……彼らの話は貴重だ。
「ええ、カブやキャベツとかネギかな……冬の野菜は貴重です。雪が降れば野菜は作れませんから。私たちはあまり食べれませんけど、バリアン様は食べてると思いますよ」
「僕らは吊るしてシワシワになったタマネギとか、白ビーツの根っ子とか!」
2人は楽しげに話すが、あまり内容は喜ばしくない。
ロロが言っていた「冬の病気」とは野菜を採らないことによるビタミン不足かもしれないと俺は考えた。
人は極端なビタミン不足になると病気になる……脚気、壊血病、ペラグラ、くる病……現代人ならば誰でもビタミン不足と知っている症状も、ビタミンを知らない人から見れば原因不明の恐ろしい病だろう。
……機会があれば試しにザワークラウトでも作ってみても良いかもしれないな……確か塩とキャベツで作れるはずだ。
ザワークラウトとは千切りキャベツの塩漬けで、数ヶ月は保存可能だ。
ライムジュースと並んで、大航海時代の航海士のビタミン不足解消に大いに役立った実績がある。
「白ビーツって何だ?」
「白ビーツは葉っぱが美味しいんですが、私たち奴隷は根っ子をいただくことが多いです。食べれますけど、美味しくは無いですよ」
ロナが白ビーツを教えてくれるが実物を知らないためにイメージが出来ない。
どうやら冬の野菜は貴重らしいし、白ビーツも可食部が多いなら知っておきたい食べ物だ。
「白ビーツか……興味があるな。見せてくれよ」
「はいっ、またお知らせしますね」
ロナが嬉しそうに笑う。
周りを見れば、酔いつぶれて地面に寝そべっている者もいる。
大人たちの宴も終わりが近いようだ。
………………
「バリアン、こちらに来なさい」
宴の片付けも終わり、俺が家に帰るとルドルフに呼び止められた。
リュシエンヌも一緒だ。
この雰囲気は覚えがある。
両親にお小言を言われるアレだ。
俺は素直に「はい」と応えて近づいた。
「バリアン、最近奴隷の子に文字や剣を教えているそうだな」
俺はルドルフの言葉に内心で「そら来たぞ」と反応した。
奴隷であるロナやロロに教育を施せばいつかは注意されると思っていた。
使用人はバカで従順なほうが扱いやすいのは、どこの世界でも一緒だ。
俺が田中正だった頃も、労働者の権利とか言い出す派遣社員やバイトは敬遠されていたものだ。
ルドルフは「奴隷に知恵や力をつけるな」と言いたいのだろう。
「はい、ロナやロロは私の過去の過ちを許す『寛容』があり、『勤勉』で『謙虚』です。私は彼らから聖天の教えを学び、彼らは私から文字を学びました。互いに学び合う得難き友です」
これは前もって用意していた答えだ。
両親も「神」を持ち出されては反論し難いだろうと考えたのだ。
「む、聖天の教えか……教会で学んだのか」
「はい、リンネル師は教義は学ぶだけでなく、日常で活かせなければ意味がないと申されました」
リュシエンヌは「まあまあ」と喜んでいる。
彼女の方がルドルフよりも信心深いのだろう。
「あなたが教会で学んでくれて嬉しいわ、バリアン。でもね……ロナとあまり仲良くすると辛くなるわ」
リュシエンヌは俺とロナが男女の関係になるのを心配しているようだ。
ルドルフには妾に産ませた子がおり、彼女が心配するのも無理もない。
「はい、私は彼女を娶れるとは考えてはおりません……確かに仲は良いですが、私は貴族、彼女は奴隷です」
俺がハッキリと口にするとリュシエンヌは「ほっ」と息を吐いた。
「私は、教会で学ぶうちに1つの大きな夢を持ちました、その実現のためには100人の……いや、1万人のロナやロロが必要なのです」
俺はルドルフの方を力強く見つめた。
この社会で「教会」は便利ワードである、使わない手は無い。
「その夢とは?」
ルドルフが重々しく口を開いた。先程まで酒を飲んでいたとは思えぬ迫力だ。
気圧されるなと俺は自らを叱咤した。
ここは踏ん張りどころだ。
両親に認められれば今後の活動の場も広がるはずだ。
俺は腹に力を込めた。
「はい、私は誰もが今よりも飢えず、凍えず、清潔な生活ができる地を作りたいのです。その為には1人では無理です、仲間が必要なのです」
ルドルフは少し驚いた表情を見せたが、すぐに真顔となった。
「伯爵位が欲しいのか?」
「いえ、私は場所は選びません。王都でも外国でもどこでも良いのです、この夢を実現できるならば」
俺はルドルフの懸念をすぐに否定した。
ルドルフは「ふーっ」と息を吐いた。
「だがな、奴隷に力をつけると逃げられ、知恵をつけると叛かれるぞ」
ルドルフが質問を重ねるが、もはやこちらを子供扱いをしていないのが分かる。
「それ以上に利を与えます」
「そうか、ならば良い。情では人を縛れぬからな」
ルドルフは重々しく頷いた。
「リュシエンヌ、春が来ればバリアンをリオンクールに戻す。バリアンには戦士として教育を受けさせるのだ」
「そんな、1人で行かせるのですか?」
ルドルフとリュシエンヌが何やら相談を始めた。
……おや、思わぬ風向きになったぞ?
俺は内心で首を捻る。
「バリアン、お前の目標には力がいる。弱き男には誰も従わぬ。リオンクールの地で鍛えよ、誰よりも強く戦士としてな」
俺は驚きで返事を忘れた。
まさか、王都を離れることになるとは思ってもみなかった。
「ふふ、驚いたか」
「はい、驚きました」
ルドルフは愉快げに呟き、俺は素直に頭を下げた。
ルドルフは早くも俺を認め、子離れしたのだ……中々できることではない。
「兄を助けてやってくれよ」
「はい、兄弟で争わぬことを誓います」
俺はルドルフに誓った。
同じ父親として、彼の懸念は良く分かるのだ。
リュシエンヌはおろおろと動揺している。
「リュシエンヌ、我らもリオンクールに戻ろう、春になれば王都の暮らしも2年となる。頃合いだ」
「ああ……驚かせないで下さいな、息が止まるかと思いました」
ルドルフとリュシエンヌは親しげな雰囲気を醸し出し始めたが彼らは32才、まだまだ若いのだ。
2人の戸惑いは良く分かる……何せこの7才の中身は41才なのだ。俺だってこんな子供がいたら嫌だ。
しかし、2人は懸命に俺の親であろうとしてくれている……俺は頭を下げて感謝をした。
「春だ、春を待て」
ルドルフはリュシエンヌの肩を抱き、部屋に向かったようだ。
……ひょっとしたら弟や妹ができるかもな……
俺は下世話な想像をしながら、ぼんやりと両親を見送った。
急展開を迎えたが、他人の持ち物である王都より、リオンクールの地の方が俺の目標に向いているかもしれない。
俺は小さくガッツポーズをした。静かなガッツポーズだ。
パイオニアとよばれた日本人メジャーリーガーがノーヒットノーランを達成した時に見せたアレだが、この世界では俺しか知るものはいない。
毛皮の作り方に需要があるのかどうか?
この手のネタに関しての感想お待ちしています。