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6話 目標

 ロナとロロと友達になってから早くも一月(ひとつき)が経とうとしていた。



 俺は暇な時間を見つけては2人に文字を教えたり、ロナから歌を教えて貰ったりしていた。

 2人は子供とは言え労働者ではあるし、俺も訓練に参加したり教会で勉強したりと時間があまり合わないのが難点ではある。


 だが、年相応に友人たちと過ごす俺は周囲の視線が柔らかくなっているのに気づいていた。


 そりゃそうだろう、ある日記憶を失ったと思ったら全くの別人格になっていたのだから不気味だったはずだ。

 悪魔付きとか判断される前に周囲と馴染めたのは運が良かった。


 ベッドは臭いし、飯もマズイ。

 だが、俺はここで生きていかねばならないのだ。




………………




 今朝も、いつものように井戸で顔を洗っていると、訓練に参加するために庭に出て来る家来たちの様子が何やらいつもと違う。


 数名の男衆が武装しているのだ。

 装備は剣や投げ槍、弓などを持ち、籠などを背負っている。

 兄のロベールも弓を抱え、足元に脛当(すねあて)を着けた勇ましげなスタイルである。


「兄上、今日はどうされたのですか?」


 俺は合戦かと思いやや不安になったが、努めて平静にロベールに尋ねた。


「ああ、もうすぐ寒くなるからな、薪拾いと狩りをな」

「薪拾いですか」


 俺は少し意外に思った。

 貴族家の息子と薪拾いなどはあまりイメージが結び付かない。


「ああ、半日歩いた辺りに良い森があるんだ。明日には帰るつもりだよ」


 ロベールはそう言うと爽やかに笑った。彼は美人の母親に良く似たイケメンである。


「支度は整っているか?」


 俺とロベールが話していると、父であるルドルフが近づいてきた……ルドルフも脛当を着け、弓と投げ槍を持っている。


「父上もお出掛けですか?」

「うむ、バリアンよ、私とロベールが留守の間はお前とリュシエンヌが皆を守るのだぞ」


 そう言うとルドルフはロベールと7人の家来を率いて出発した。


 ……正直、全く予定を聞いていなかったので状況に置いていかれてしまった……まあ、7才児に狩猟の予定など相談するはずも無いから仕方が無い。


 俺はすかさずジローの方を見ると、彼は「駄目ですよ」と答えた。


「まだ何も言ってないじゃないか」

「付いてくのは無理でさ、森には熊や狼が悪い子をガブリですぜ」


 ジローは「ガオー」と凄んでるが無視で良いだろう。

 あまり父親たちと引き離されたくない。


「違うよ、折角だから城門まで見送りに行きたくてさ」


 そう、俺は今まで自宅と教会の往復しか歩いた事がない。何か口実があればと思っていたが今まで機会が無かったのだ。

 この機会に少しでも見聞を広め、この世界の雰囲気を掴んでおきたい。


「ははあ、城門までなら構わんでしょう。ロナも誘いますか?」

「ありがとう、でもロナも仕事があるし誘うのは止めとこう」


 ジローが変な気を回しているが、何故か彼は俺がロナに惚れていると思い込んでおり、何度訂正しても聞く耳を持たない。


「行こう、父上たちが行ってしまう」


 俺はジローを急かし、小走りで父の後を追った。




………………




 ……酷いな、これは……スラムなのか?


 父の率いる小勢を城門で見送った後、俺は改めて町並みを見つめた。


 行きにも環境の悪さは感じていたが、父の後を追うのに必死だったこともあり、あまり余所見が出来なかったのだ。

 こうしてじっくりと町並みを観察すると、吐き気を催すほどに不潔である。


 掘っ立て小屋の様な粗末な木製の家屋が隙間の無いほどに密集しており、小便の様なゲロの様な形容しがたい悪臭を放っている。

 日本の公園の公衆便所のほうが余程に衛生的に感じる。


 道には一面に馬糞が散らばっており、気にしていたら歩くことも出来ないほどだ。


 そして、何故か野良犬や豚が生ゴミを漁っており、誰も気にする素振りもない。


「ジロー、豚がいるぞ」

「ええ、放し飼いにしてるんでさ。豚は何でも食いますからね、1年も放し飼いにしとけば冬越しの食い物になりますし」


 ジローは平然としているが、これが普通なのであろうか?


 城壁は7~8メートルほど高さがあり、城壁の下は全く日が当たらないが、問題無いのであろうか?


 井戸の側に糞が転がっているが衛生面は大丈夫なのであろうか?


 俺はショックと悪臭で気分が悪くなってきた。


 目の前の馬糞には(うじ)が湧いており、(はえ)(うるさ)く飛び回っている。


「ジロー、すまん……気分が悪くなってきた」

「そりゃいけねえ、おぶっていきますよ」


 俺はジローの背中にしがみつき、目を閉じた。

 気持ち悪くて目の前の光景を見ていられない。


「ジロー、ここはスラムなのか?」

「いえ、貧民地区ですがスラムって訳でもありませんよ、若様は記憶が無くなってから貴族街を出たのは初めてでしたから」


 ジローは「刺激が強すぎましたかね」と笑った。

 事実なだけに反論できない。


 今まで俺が不衛生で治安が悪いと感じていたのは貴族街という最高の環境だったらしい。


 ……とんでもない所に来ちまった……


 俺は臭いを少しでも嗅がぬように、口で息をしていた。



 屋敷に戻ると、ロロが数名の奴隷に混じってベッドの藁を交換していた。


 藁のベッドというと、日本にはアルプスの少女がふかふかの藁のベッドで寝るアニメがあるが、実際はそんなに良いものではない。

 藁は硬いし、独特の臭いがある。

 それに定期的に干したり入れ換えたりせねば、あっという間に南京虫が湧く。


 ……考えてみたら、(バリアン)の生活を支えるためにどれだけの奴隷が必要なのだろうか……俺が不満ばかり言っていた生活は、この世界では最高水準の暮らしだったのだ……


 俺は恥じ、感謝をした。


 そして決意をした。


 俺が持っている知識、これらを使って人々の生活水準を向上させるのだと。

 これが進んだ知識を持つ俺の成すべき目標なのだと。


 だが、焦っては駄目だ。

 (バリアン)はまだ何者でもない、ただの7才のガキだ。

 この壮大な「目標」は、人生を賭けるような大事であり、急いでどうにかなる話では無い。


「ジロー、大分(だいぶ)良くなった……ありがとう」


 俺はジローの汗臭いが(たくま)しい背中を滑り降りた。


「大丈夫ですかい? 顔が青いですぜ」


 ジローは心配気だが、俺は力瘤(ちからこぶ)を作るふりをして元気をアピールした……ちょっと恥ずかしいが、こちらの人々は身振りが大袈裟なのだ。


 井戸で顔を洗い、気分をスッキリとさせる。


「朝食後に教会に行くよ」


 俺はジローにそう伝え、食堂に向かった。


 食欲は無いが、食わねばならない……あの環境では体力が無くてはあっという間に病に感染してしまう。

 強い体を作るのだ。


 俺は固いパンをスープに浸し、癖の強いチーズを頬張った。




………………




 数時間後、俺は教会の書庫にいた。


 リンネル師は教会の偉いさんであり、俺にばかり構ってもいられない。

 そこで文字が読めるようになった俺は、リンネル師が忙しい時は書庫で自習をすることが多くなった。


 書物は巻物もあるが、大抵は冊子である。

 高価な羊皮紙が用いられており、全て手書きなので流通量自体が少なく、書物は非常に高価らしい。


 その高価な書物を盗難から守る工夫とは何か……それは「鎖で繋ぐ」ことだ。

 本棚の前には書見台が置いてあり、持ち出すことはできず、その場で読むのだ。


 教会の書物はやはりと言うか、宗教関係の物が多いが、中には医学書や軍学書、その他の専門書や料理本もある。


 俺は医学書を開いてみることにしたが、思った通りに(ろく)な内容では無い。


 薬草を使った内科はまあ、良くわからないので置いておくとして、瀉血(しゃけつ)や浣腸、白内障の治療などはゾッとするような内容だ。


 瀉血とは病気の治療のために血を抜くことだ。実際に出血させたり、ヒルに血を吸わせたりするらしい……悪い血を排出するのが目的らしいが、オカルトじみていて気味が悪い。


 浣腸は内容が凄い。豚や猪の体液を酢で薄めてケツから入れる……少なくとも俺は嫌だ。


 極めつけは白内障の手術だ。ぶっとい針を眼球にぶっ刺すらしい……失明のリスクの方が大きい気がしてならない。


 一事が万事、この調子である……他にもナントカ聖人の護符を焼いた灰を酢で溶かして飲むとか、プラシーボ効果以外は無さそうなモノもあった。


 俺は始め、医学書を写本して医者を増やせば衛生的な生活に近づくかと思ったが……肝心の医学のレベルがこれでは、上手くいかないだろう。


 どこかの漫画みたいに、青カビからペニシリンが作れれば色々と解決するのだろうが……残念ながら俺にはその手の知識は無い。



 俺がため息をつき、本を閉じるともう日暮れであった。


「バリアン様、何を熱心に読まれていたのですか?」


 若い痩せた坊さんが話し掛けてきた。恐らくは戸締まりをしに来たのだ。


 この教会にはリンネル師以外にも数名の坊さんがいる。

 聖天教会では服で身分を示しているらしく、リンネル師だけが丈の長い上着を着ており、その他の坊さんは黒染めの質素な服装だ。


「医学書を少し、でも難しいですね」


 俺が答えると若い坊さんは感心したように何度も頷いた。


「7才で医学を学ばれているのですか……私が7才の時は何をしていたかな、はは、お恥ずかしい」


 若い坊さんはにこやかに会話をしながら窓を閉めた。

 途端に部屋は真っ暗になる。


「すいません、バリアン様、戸締まりは時間が決まっておりまして」


 俺は若い坊さんの邪魔にならぬように軽く挨拶をして書庫を退出した。


 教会の外では退屈したジローがベンチで転がっていた……どうやら抜いた鼻毛を数えているようだ。


「すまんな、待たせたな」


 俺が小走りで駆け寄ると、ジローは身を起こしつつ「バリアン様は学問がお好きですねえ」とボヤいた。


「ジローも字を覚えろよ、ロナもロロも勉強中なんだぜ」

「いやあ、そればかりはご容赦を」


 俺とジローは他愛もない話をしながら家路に向かう。



 バリアンとなって数ヶ月。

 何となく生きてきた俺に目標ができた……だが道は果てしなく長い。

 焦ることはない、今は力を蓄える時だ。


 なんとなく空を見上げると早くも月が昇っていた。


 ……そう言えば、星の配置が同じならタイムスリップ、全く違うなら異世界とか分かるのかもな……


 しばらく夕暮れの星を見つめていたが、そもそも俺は天体の事はサッパリわからなかった……まあ、いい。


 目標は決まったのだ、タイムスリップだろうが他の惑星だろうが、異世界だろうが……俺のやることには変わりがない。


 今は出来ることを精一杯努めるだけだ。

 大きな目標に向かって、ゆっくりと、だが確実につき進むのだ。

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