57話 殺人豚
爽やかな風が吹く。
季節は初夏だ。
俺は城塞都市ポルトゥの空堀を深く、広くする拡張工事の真っ最中だ。
ポルトゥの城壁は場所によっても差はあるが4メートル半~5メートルくらいだ。
深く掘りさげた堀から見上げると、かなりの高さを感じる。
俺は兵士に混ざり汗をかいて作業していた。
穴を堀り、土を運ぶ。
すると兵士たちもヤル気を出して作業が進む。
責任者がいると現場は引き締まるし、俺がバリバリと穴を掘るのにサボるワケにもいかないのだ。
「若様、ロドリグ様から伝令が来ましたぜ。何か相談したい事があるそうでさ」
ジローが声を掛けてきた。
彼は要塞都市ポルトゥの城代、責任者だ。
「良し、分かった! すぐ行くよ」
俺が堀をよじ登ると、ジローが「ずいぶん掘りましたねえ」と感心した。
「まだまだ深くしたいな。跳ね橋はどうだ?」
「巻き上げ器を据えましたよ」
俺とジローは防衛のための工事の進捗具合を確認する。
先ずは空堀を深くするところからだ。
それと同時に、俺はこれを機にポルトゥの城門を跳ね橋に改装することにした。
跳ね橋はアモロスでは見かけないが、巻き上げ器を使った簡単な構造なので設置は簡単だ。
「それじゃ、後は任せた。領都に向かうよ」
俺は馬に跨がり、領都に向かう。
この馬の名は茶。
茶色いからだ。
このネーミングは不評だが、分かりやすくて良い。
………………
飛び回っている俺とは違い、叔父のロドリグは領都で政務を見ることが多い。
この叔父にはかなりの部分を任せており、俺が呼ばれるなど殆ど無い。
それだけ難しい案件なのだろう。
「バリアン、よく来てくれたな」
「叔父上、何かありましたか」
叔父は「まあ読め」と羊皮紙を俺に差し出した。
リオンクール領都でとある裁判があり、市長や市議会では決着が着かずに叔父の元に上がって来たようだ。
ここまでは良い。
滅多に有ることでは無いが、稀にある話だ。
しかし、この事件が珍しい。
殺人事件だ。
容疑者は豚。
都市の中に放し飼いにされていた豚が家屋に侵入し、寝かしつけられていた赤子を食べてしまったのだ。
悪食な豚は何でも食らう。
目撃者はいなかったが、豚の侵入と犯行の痕跡は明らかだった。
当然、赤子の両親は怒り狂って犯豚を探すも分からず、都市にいる豚全体を相手どって訴訟に及んだ。
町の運営は市長と議員が取り仕切っており、訴訟関係もそちらで処理されるのだが……この事件、被告が豚でありバカバカしいと言えばバカバカしいが、殺人という重罪でもあり無視はしづらい。
対応に困った市議会は領主代理である俺たちに案件を持ち込んだのだ。
「で、どう思う?」
「飼い主に罪を問えば良いのでは?」
俺は叔父の問いに答えるが、叔父は「ふう」とため息をついて首を振った。
「飼い主なんて申し出るわけ無かろう……」
俺は「それもそうか」と納得した。
豚に名札は無い。
「なら豚に罪を問いましょう。管理のできていない豚……飼い主がいない豚は都市から追放」
「しかし、豚がいなくなると糞や生ゴミの処理ができなくなるぞ? 豚は冬越えの食料でもあるし……」
……そうなんだよなあ。豚がいるのにはいるなりの理由が有るわけで、豚を取り除いてもなあ……糞か……
俺は「うーん」と首を傾げる。
実は豚が都市に散らばる糞や生ゴミを食べて処理してくれているのだ。
いなくなったらなったで問題が起きるだろう。
「深い穴掘って糞を埋めましょうか? 豚は豚舎を作るなりして……」
「予算は? 人手は? タダでは無いぞ」
結局は金だ。
豚と糞を片付けられれば衛生面は一気に解決するのだが……今は無理だな。
俺は日本の衛生環境は凄まじい予算と労力が使われているのだと今更ながら思い知った。
「取り合えず、飼い主が分からない豚を城壁の外に集めて隔離……農村に預けてもいい。ウチの奴隷に糞や生ゴミを集めさせて餌にしましょうか?」
「そうだな……取り合えず何かしたってポーズも必要か……」
まあ、急ぐことは無い。
俺はまだ18才だ。
ベストを狙わなくても良い。『今よりはマシ』を繰り返し、少しでも暮らしやすい国になれば良い。
今はこの立場に立てたことを喜ぶべきだ。
「市議会にも豚舎を造る金と人手を出させましょう。貧民の雇用対策にしてもいい」
「出すかね?」
叔父の疑問を口にする。
俺は笑ってメイスを腰から外すと叔父に見せた。
「そりゃ出すね。間違いない」
叔父は顔を引きつらせながら納得したようだ。
その後、俺と市議会との交渉の結果、リオンクール家と都市が半分づつ金を出して豚舎を造ることになった。
貧民の雇用対策として、糞と生ゴミを集めて豚舎に運ぶ下級役人の募集も平行して始まる。
しばらく後に豚舎の管理がスタートし、利益は市のモノとなることになった。
リオンクール家には税金として間接的に儲けが懐に入る仕組みだ。
市議会議員は大変物分かりが良く、武装した同胞団を率いた俺が恨めしげに「カチ割りてえ~カチ割りてえ~」とメイスを2~3度素振りしただけで交渉は終了した。
都市の利益や衛生を考えた内容だったのだからツベコベ言う方が悪い。
同時に豚の飼い主は登録制になり、無許可で豚を飼うと厳罰に処される法律も施行された。
これにより、豚舎が完成した後に半数近い豚が都市から追放されたのだ。
豚肉の値段は上がることになったが、そこまでは面倒見きれん。
これらの対応で、豚に赤子を食われた被害者の夫婦は納得してくれたようだ。
俺からも僅かながら見舞金を出して赤子の墓に手を合わせた。
俺も一児の父として、このような不幸な事故の再発は防ぎたいものだ。
チョッピリ、領都が綺麗になった。
次はゴミ捨て場を周知徹底させたい。
………………
殺人豚事件を解決し自宅に帰ると、スミナとカティアが縫い物をしていた。
「何を作ってるんだ?」
俺が尋ねると、スミナは気まずそうに手元を隠した。
……おや、どうしたんだ?
俺は少し不審に思う。
縫い物を隠す意味は全く分からない。
「邪魔したか?」
「ううん、その……」
スミナはもじもじと何かを言いたげにする。
「兄さん、義姉さんはね、赤ちゃんが出来たのよ」
「そうか! それは良かった!」
俺はスミナの手元を覗き込む……恐らく赤子の産着だ。
「その、多分なんだけど……まだハッキリしなくて」
スミナは伏し目がちだ。
ここ最近、彼女の立場は良いものとは言い難かった。
スミナより身分のあるベルが男子を出産し「ベルの方が正室に相応しい」と言う声もチラホラ聞こえてきていた。
ただでさえリオンクール伯爵代理として働く俺の正室が『平民』であることは話題に上る……もちろんネガティブな意味で。
母であるリュシエンヌからは「子供はまだか早く産め」とせっつかれ、俺は浮気を繰り返す(今はしてないぞ。3か月はスミナだけだ)……彼女は追い詰められていた。
今思えば俺を監視したり、浮気に過敏になっていたのも多分プレッシャーからだろう。
スミナは俺と知り合う前は普通の村娘だったのだ。
「スミナ、嬉しいよ。ありがとう」
「喜んでくれる?」
スミナはおずおずと尋ねてきた。
「もちろんだ! 子供の名前を決めよう! 未来のリオンクール伯爵に相応しい名前を!」
俺は出来るだけ明るい声で笑う。
スミナも「まだどっちか分からないよ」とベソをかきながら笑った。
よくキャラが立ってないとか言われる彼女だが、俺は彼女の普通の所が好きだ。
共に生活するパートナーだぞ?
普通の人がいいに決まってる。
女騎士やヤンデレが家にいて欲しいはずがないだろ?
現実を見ろ。
彼女は白ご飯なのだ。
ベルは……うーん……なんだろ? カレー?
まあ、別に無理に食べ物に例える必要は無い。
「それにしても母上の体位は凄いな……あれで1発だった。またやろうな」
俺が嫌らしく笑うとスミナは真っ赤になった。
ちなみにリュシエンヌ直伝の「妊娠しやすい体位」とは変則的な後背位だ。
女が頭を出来るだけ下げ、尻をグッと突き上げる感じと言えば分かるだろうか?
これが妊娠しやすいのかは分からないが、俺は実際に着弾したのだから読者諸兄も試してみるといい。
俺の視界の端で、気を使ったカティアが席を外すのが見えた……ちょうど良い、ついでにカティアにも伝えたいことがあったのを思い出した。
「そう言えばさ、カティアは年下の男の子は好きか?」
「ふぁ!?」
いきなり話題を振ったのでカティアが変な声を出した。
「アンドレが結婚したヴェラさんの弟のピエールくん、会ってみないか?」
「え、その……私も、まだ」
カティアも17才だ。
結婚適齢期である。
ピエールくんは可愛いし、美人のカティアとお似合いだろう。
今のリオンクールは外交上で孤立しておりドレーヌ子爵家以外は付き合いがない。
他家に嫁がせるのは難しい。
そうなると身内になるが、プニエ騎士家ならば不足は無い。
それに俺はスミナの身分を引き上げたいと思っていた。
いずれはスミナの兄のアンドレに領地を与えてコカースを騎士家にする。
俺の寵臣だから、妻の兄だからとアンドレに領地をやっては反感もあるだろうが、リオンクール・プニエ・コカースとガッチリ組み、アンドレのコカース騎士家を守ってやりたい。
ここまでやればコカースとプニエは準一門だ。
騎士階級からの支持が弱い俺を支えてほしいという下心もある。
「ピエールくんは14才。会ったことあるだろ? お尻もキュっと引き締まった可愛い男の子だ」
スミナが「なんか……嫌らしい言い方ね」と呟いたが気にしては駄目だ。
「嫌か?」
「ううん、兄さんが選んだ相手なら良いよ。ユーグ兄さんにも手紙を書くわ」
カティアはニコリと笑った。
俺の異母兄のユーグはフーリエ侯爵家で出世し、侯爵の小姓を勤めているらしい。
ユーグはリオンクールに帰る意思は無いようだ。
俺はいずれ、彼を介してリオンクールとフーリエ、王国の東と西で同盟を結びたいと考えている。
遠交近攻ってやつだ。
「スミナに子供ができてカティアの縁談も近い。今日は素晴らしい日だ」
俺が声を上げると、2人とも恥ずかしそうに笑った。
……スミナ、良かったな。
俺はスミナをぐっと抱き寄せた。
この日から、スミナの監視は緩んだ。
………………
その後
「バリアン様、メンゲ男爵の連合軍ですが……少々厄介かもしれません」
デコスが俺に声をかけてきた。
その表情は暗い。
「多いのか?」
「はい、現状で4000人に迫るかと……ヴァーブル侯爵が兵を貸したようです。バシュラール子爵が合流すれば5000人にも達するかも知れません」
俺は「ふむ」と考えた。
ヴァーブル侯爵家とは王国南部にある有力諸侯で王弟派の中核だ。
南の方は比較的温かく、人口も多いらしい。
「兵を貸したとは、侯爵からは兵だけか?」
「そのようです。連合軍の指揮はメンゲ卿とドレルム卿、それにヴァーブルから何名か指揮官は出るようです。」
ドレルムか……敵になれば手強い相手だ。
「メンゲの息子の評判はどうだ?」
「なかなか勇ましいそうです。悪い噂も聞きませんね」
……なんか微妙だな。騎士なら勇ましいのは当たり前だ。悪い噂を聞かないってのも褒め言葉じゃないよな……
「ちなみに俺の評判は?」
「軍略に長じ、極めて勇猛。詩才に富み文武両道の偉材」
俺は「ほほう」と鼻をひくつかせた。
褒められれば嫌な気はしないものだ。
「ただし……度しがたい好色で乱暴者。着いた渾名がリオンクールの悍馬」
うーん、知らなかった。
俺って悍馬って呼ばれてたのか。
ちなみに悍馬ってのは言うこと聞かない馬って意味だ。
「俺って王様には素直だったけどな」
「御し難いと言う意味でしょう。世間では父親に背き幽閉した反逆児ですよ?」
確かにな。
俺は客観的に分析されたら兄殺しの容疑者で親父を幽閉した悪魔みたいな存在だ。
当たり前だが、アモロスの人々は同族殺しには好感を持たない。
これはイマイチ外交が上手くいかない理由の一つだ。
「そう考えると、メンゲの息子は大したこと無さそうだ」
「油断は禁物。才を発揮する場が無かっただけかもしれませんし、人は成長します」
デコスはあくまで冷静に俺の慢心を諌めた。
「まあな、ドレルムもいるし油断はできん……引き続き調べてくれ。それと……」
「領内のトリスタン派ですね?」
俺の言葉を遮り、デコスはニヤリと笑った。
デコスも御し易いとは言い難い曲者だ。
「ああ、頼むぞ」
俺の言葉に頷き、デコスは立ち上がった。
連合軍が襲来するのは早ければ夏、軍備を急ぐ必要がある。
次回、バトルです。
 





