56話 子供との対面
年が明け、春が来た。
ポンセロ率いる同胞団も無事に帰還し、俺を喜ばせた。
「ポンセロ、済まなかったな」
俺が労うと、ポンセロは「いえ……」と低い声で謙遜し、俺に近づいた。
どうやら聞かれたく無い話があるようだ。
彼は低い声で話し始めた。
「王都で気になる話が……メンゲ男爵の息子が報復の軍を挙げると噂がありました。援軍を募っているとも」
「そうか……そうだろうな」
俺は頷き、納得した。
報復は貴族の権利だが、男爵程度でリオンクール伯爵家の相手をするのは難しい。
仲間を募るのが常道である。
……連合軍を起こすなら時間的な余裕はあるはず……慌てず軍備を整えよう。
俺はポンセロには同胞団の取り纏めを任せ、開拓地と領都に団員を振り分けた。
ルドルフの従士やロベールの従士を吸収した同胞団は合計で70人を超えており、開拓地には宿舎が足りない。
「ポンセロ、同胞団の事は任せた。訓練や軍備、開拓地の警備を頼むぞ」
「は……ご期待に応えてみせます」
これ以後、ポンセロは同胞団を取り纏め、開拓地の軍政を管理することになる。
アンドレは総務担当。
ポンセロは軍政担当。
タンカレーは民政担当。
この3人は俺の子飼いの行政官として大いに活躍していくことになる。
……ん? アンドレ、タンカレー、ポンセロ……アンポンタンか……ふふ、アンポンタントリオだ。
俺はクスリと笑った。
そう言えば昔、頓珍漢って泥棒とライバルのアンポンタンってのもいた気がする。
「よし、アンポンタンで頼んだぞ」
「……言葉の意味は良く分かりませんが……全力を尽くします」
ポンセロはからかわれているのは理解した様で、ムッツリと答えた。
洒落が通じないのがポンセロの欠点だ。
俺は叔父と相談し、ジローを要塞都市ポルトゥの城代とし、デコスに連合軍関係の情報を集めさせることにした。
ジローは村の名主として命令することに慣れているし、何より強い。
アモロスでは軍を率いるのに個人的な武勇は欠かせない。その上で武将としての資質の話となる。
誰もヒョロ男の命令など聞くはずが無いのだ。
ジローならば不屈の闘志で要塞を守り抜くだろう。
デコスは「暗部」を担当することが増えた。
ルドルフがフロリーアと睦まじく暮らす山荘を監視しているのもデコスだ。
彼はルドルフの従士長もロベールの教育係もこなしていた優れた戦士だが、どうやら彼の忠義の対象は「リオンクール家」にあり、個人に対してのモノではない。
ルドルフをあっさり見限ったことからも分かるし、恐らくロベールの暗殺にも関与している。
つまりデコスは、俺がリオンクール家に対して有益でいる限りは強い味方でいてくれる。
逆に、リオンクール家にとって有害であったり、他に相応しい当主候補が現れたら敵になるだろう。
今は俺の味方だ。
俺はダラけ始めると歯止めが効かなくなるタイプだから、この手の緊張感はあった方がいい。
ちなみにデコスの俺評は「病的な女好きだが、それ以外は合格」らしい。
俺の女性問題がどこまで知られているかは分からないが、油断はできない。
着々と俺を支える体制は整ってきた。
男爵程度の連合軍が来ようが問題はあるまい。
………………
そして、ベルが領都の別宅に入った。
俺は自らの子と初めて対面した……男の子だ。
「うわぁ、可愛いなあ……はじめまして。お父さんだよ」
黒い髪に青みがかった瞳、丸々とよく肥えていて可愛らしい。
「髪の色は俺、瞳はベルに似たな。顔もベルに似たのかな?」
「……さあ?」
俺は久しぶりに赤子を抱き、軽く左右に揺する。
首が据わっているので扱いは楽だ。
「名前は決めたのか?」
「シモンです……私の父の名前」
俺は「シモン・ド・リオンクールか」と呟いた。
この体になって初めての子供だ。
ふと、田中の頃に長男を初めて抱いた記憶が蘇った。
……顕太は割りと大きかったな……3820グラム……
こんな数字ばかり覚えている。
もう、思い出そうとしても顔も朧気なのに。
俺がこちらに来てから10年だ……田中の子供たちも立派になったことだろう。
俺は久しぶりに我が子を思い出し、しばしセンチな気分に浸る。
シモンが泣いた。
「お、オシメだな……変えてやろう」
俺はシモンを下ろし、オシメを外してやる。
案の定、オシメは濡れていた。
「……何だか慣れてますね……何人目なんですか?」
「ん? 1人目さ、決まってるだろ?」
俺が答えると「絶対ウソ」とベルがそっぽを向き、俺はその頬に軽くキスをした。
親子、と考えたとき……俺の胸にはモヤモヤとした晴れぬ疑問に悩まされる。
……父上は、身内への愛が深い人だった……それが影響したのか……
俺はルドルフがおかしくなった理由を自分なりに考え続けた。
ルドルフは、ジゼル、ユーグ、カティア、ロベールと次々に愛する者たちとの別れを経験した。
それが強いストレスだったことは想像に難くない。
……いわゆる、退却神経症とか無気力症候群なのかもな……
俺は医者ではないからこれは想像でしかない。
だが、本業にのみやる気がなくなり、他の生活は以前のまま……と言うのはこれらに当てはまる。
全てに気力を失う鬱病とは違う。
ルドルフの本業は伯爵。これが不幸だった。
……まあ、全部推測でしかないけどな。
俺はオシメを替え、健やかに笑うシモンを見て複雑な気持ちになった。
……この子と、争う日が来るかもしれない。
シモンは妾腹の長子だ。十分に争いの種になり得る。
俺は「争えるのか?」と自問した。
答えは、出なかった。
………………
その後、リュシエンヌ、スミナ、ベルによる3者面談が有ったようだ。
その詳しい内容は俺が知る由もないが、協議の結果は伝えられた。
何だか凄い緊張した。
1・正室はスミナである。
2・スミナが男子を産んだ場合、嫡子はスミナの子となる。
3・ベルと子供の生活はバリアンが責任を持つ。
4・スミナに男子が無き場合、もしくは何らかの事情で家督が継げない場合はシモンが嫡子となる。
5・ベルが産んだ男子1人は領地を分与され、カスタ家を再興する。ただし、リオンクール家を継いだ場合はこの限りでは無い。
6・全てのバリアンの子は、6歳になると同時にリュシエンヌの元で教育を受ける。
7・互いに無駄に争わぬこと。
8・バリアンが他に妾を増やしてもスミナとベルの身分は保障される。
9・バリアンからの自らの扱いが不当であると感じた場合、リュシエンヌに相談すること。
……なんと言うか、色々決まったな……
俺は3人に突きつけられた羊皮紙を眺め、圧倒された。
アモロスの人々は契約が好きである。
折に触れてこのような約束事を作るのだ。
スミナは文盲だが、リュシエンヌには教養がある。
恐らくこの書類もリュシエンヌが書いたのだろう。
ベルは……ちょっと分からない。
「バリアン、質問はある?」
リュシエンヌから尋ねられた俺はしばし考える。
……これって母上の権力は絶大なものになるのではなかろうか……
俺は「うーん」と考えるが、この状況で異議を口にするほどの勇気は無い。
「この6番の、6歳になると……と言うのは?」
「子供同士が争わぬようにです。母親の元にいては周囲に良からぬ事を吹き込まれ、争いの種になります」
俺は「はあ、そうですか」と答えた。
スミナやベルが納得したならばそれで良いのだろう。
「他に妾が増えたら……と言うのは?」
「増やすでしょう?」
リュシエンヌに言いきられ、俺は何も言えなくなる。
「最後の……9番ですが……」
「バリアン、早速ありますよ。ベルさんの母乳はシモンを育むためのものです。貴方が吸ってはいけません」
俺は「ぶはっ」と噎せこんだ。
リュシエンヌがとんでも無いことを口にしたからだ……と言うか、ベルはなんて相談してやがるんだ。
「いや、それは……その……つい興味が」
「いけません」
リュシエンヌにピシリと言い切られて俺は小さくなるしかない。
ベルが「ふふん」と鼻を鳴らした。
その顔には「いい気味だ」と書いてある。
……ベルに蔑まれると、凄く興奮するな……
俺は不思議な感覚を味わった。
これはこれで悪くない。
「……バリアン、聞いていますか?」
俺はリュシエンヌの声で現実に引き戻された。
「全く貴方と言う子は……今日からはスミナさんと励むのよ。先ずは正嫡子を作りなさい」
「は、はあ」
俺には順番を決める権利すら無いらしい。
……完全に種馬か……まあ、それでもいいか……変に気を使わず、楽と言えば楽だ。
ふと、スミナを見ると今にも泣きだしそうな悲しげな顔をしている。
恐らく子供が出来ていないことに対して何か言われたのだろう。
「母上、回数はいかほど……」
「スミナさんが心行くまで励みなさい」
俺はスミナを和ませるための冗談のつもりだったのだが……大真面目に返されてしまった。
その後、本当に細かいところまでルールが決まっていく。
それこそ体位までだ。
「スミナさんには子を成しやすい姿勢や食べ物を伝えました。すぐに出来ますよ」
……マジかー、母親に教わった体位とか精力剤とか何プレイなんだ?
俺は微妙な心持ちでリュシエンヌからの指導を受けていた。
この後、リュシエンヌは内向きの権力を一手に握り、ある種の聖域としてリオンクールに君臨することになる。
リオンクールで「お袋さん」「おっ母さん」などと言えばリュシエンヌのことを言い、後の世に「賢母」の典型例となる。
………………
開拓地も順調に発展を見せた。
アンセルムをはじめ、彼の弟子筋の鍛冶職人や、木工や裁縫、革細工の職人たちは、1つのエリアに纏まって入植してもらった。
ふいごや金床などの専門的な設備は各人で用意してもらったので、意外と早く工房は稼働を始めた。
何かを注文する時はここに来れば良い……分かりやすくて良いと思う。
職人を1ヶ所に纏める……言わば「職人町」を作ることで互いに競い合い、技術を向上させて欲しい。
彼らは俺がスカウトしてきたり、遍歴職人だったりと様々な経歴の持ち主だ。
まだまだ職種も数も増やしたいと思っている。
「旦那、ここは面白れえな。見たこと無い農具や揚水装置……全部アンタが考えたんだろ?」
アンセルムが話しかけてきた。
約束通り彼には処女の奴隷を2人与えた……処女を捧げると働いてくれるなんて邪神か何かだろうか?
「まあな、でもクロスボウは作れない……アンセルム頼りさ。任せたぞ」
「ああ、任せときな」
アンセルムはニヤリと笑い、頼もしげに胸を叩いた。
聞くところによると、彼は「処女」と言うのもの対して極めて強い拘りがあり、女奴隷を愛でるが決して散らさないらしい。
いい年して独身だった理由が分かる気がする。
彼らは俺の注文によく応え、様々な新兵器が生まれていく。
中には役立たずもあったが(主に俺の知識不足が原因)、同胞団の装備は飛躍的に向上した。
この地で製産されたクロスボウをはじめ、バリスタ(大型クロスボウ)やカタパルト(大型投石器)も城塞都市ポルトゥに優先的に配備され、防衛力を高めていく。
……連合軍が来るのは秋か……場合によっては来年になるかもしれない。
その頃までには軍備もかなり整うはずだ。
メンゲ男爵の後継者がどれほどの者かは知らないが、俺は「いつでも来い」と言う心持ちで待ち構えていた。





