55話 毒婦騒動
「これはどうだ?」
俺はアンドレとタンカレーに「はねくり備中」と呼ばれる変わった形の鍬を見せる。
こいつは備中鍬の進化形で、足を固定する部品がついているのが特徴だ。
スコップのように地面に突き刺して、梃子の原理で土を耕す。
普通の鍬は前屈みになり腰に大きな負担がかかるが、はねくり備中ならば立った姿勢で作業ができ、体重をかけて深く耕すことができる。
大正時代に発明され、東海地方を中心に普及した。
俺は2~3度ほど使って見せ、タンカレーに渡す。
「お! 凄い! こいつは楽ですね」
「凄いな……深いぞ。ちょっと貸してくれ」
タンカレーとアンドレが試しているが、はねくり備中の使い心地に驚いているようだ。
「使えそうか?」
俺の言葉に2人が「うんうん」と頷く。
畑は牛が鋤を引いて耕すが、鍬を使わない訳ではない。
「良し……コイツは採用だ。すぐに数を揃えよう」
俺ははねくり備中を仕舞い、次の試作農具を取り出す。
こちらは江州鋤だ。
スコップのように反りのある鋤である。
俺から受け取ったアンドレが、早くも地面を掘っていた。
………………
田中だった頃を含め、俺には農業の経験は無い。
しかし、田中の実家の寺には無駄に広い境内地を利用して「ふるさと資料館」なるモノが常設展示されていた。
資料館といっても大したものではなく、骨董品とも言い難いガラクタを寄せ集めた倉庫に近いものだ。
来館者などは無く、夏休みの小学生が1人か2人自由研究で使う程度の小さな建物。
しかも人の出入りが無いものだから、夏休みに入る前に蜘蛛の巣を払う大掃除が必要だった。
しかし、昔の農具を展示してあるコーナーがあり、俺は「使ったこと無いけど見たことある」状態で、農具にはわりと馴染みがある。
はねくり備中、江州鋤、回転式脱穀機……先日作った踏み車は絵だけ見たことがあった。
ちなみに唐箕は……内部構造が分からないので不採用だ。
これらは採用され、開拓地の農業を効率化させていった。
反面で、農業の知識の無い俺は農法には馴染みがない。
精々が世界史だか地理だかで習った三圃式の農業までだ。
あとは三圃式を改良したフランドル農法か……これも、うろ覚えだけどな。
本来は四圃式と呼ばれたノーフォーク農法にトライしたかったが、俺には何を育てたら良いのか分からない……知識不足が悔やまれる。
まあ、リオンクールでは二圃式が主流であり、三圃式でも効率は上がる。
俺の荘園では三圃式が採用された。
始めはタンカレーやアンドレも馴染みの無い農法に反対したが、俺が「言うことを聞け」と無理矢理スタートさせた。
三圃式は1000年近くの期間(8~18世紀)西洋で根付いていた農法であり、良く似た感じのアモロスにも適しているだろうと判断した。
ちなみに大麦(夏穀)→ライ麦(冬穀)→休耕のローテーションを採用した。
農夫たちは小麦を作りたがったが、寒いリオンクールでは大麦やライ麦の方が向いていると判断したのだ。
ここは俺の荘園、小なりとも俺のモノだ。
最終的には「俺の言うことを聞け」で解決する。
権力とは素晴らしい。
小麦が無ければライ麦を食え。
三圃式が上手く回るようならば、休耕地をクローバーや根菜にさし代えるフランドル農法に切り替えても良いかもしれない……まあ、これは先の話だな。
砂糖の原料となる白ビーツ(甜菜)は脇作として奨励した。
アルバン(ロロの嫁の祖父)やトマ(ロナの夫)に頼んで様々な品種の甜菜を集め、吟味し、より糖度の高いモノを栽培するようにしていく。
いずれは砂糖工場も造りたいが、今のところはスミナの村の納屋を改装し、口が効けない奴隷が2人で秘密裏に砂糖を製産している。
すでに俺はコカース家にも砂糖の製法を伝えていた。
技術なんて世に出れば真似されて当たり前だし、製法の秘密を守る防諜をコカース家に委託したほうが楽だと思ったからだ。
スミナの実家は豊かになり、こちらにも税収として分け前はある。
誰も損はしていない。
「森も作りたいですね。薪が必要ですし、山からの風を防ぐように作りましょう」
「森を? どうやって?」
俺はアンドレの提案に首を傾げる。
森とは人の手で作れるものなのだろうか?
「簡単ですよ。深めに穴を掘って、馬糞と種を入れて埋めるだけです」
アンドレは事も無げに言う。
森を作るのはそんなに簡単な事なのだろうか?
「そんなに簡単に育つのか?」
「それは分かりません、運次第ですね。運が良ければ10年後くらいにはチョットした森になるかも知れませんよ」
アンドレはケロリと言い切るが、そんなモノなのかも知れない。
森は確かに必要なので、森を作るプロジェクトも同時にスタートした。
こちらは「成功したら儲けもの」くらいの感覚でいい。
幸いというか、馬糞や牛糞はいくらでもある。
農業の現場に関することは、畑も植林も引っ括めてタンカレーを責任者として一任した。
働き者の彼は水を得た魚のように躍動し、開拓地を発展させていくことになる。
農業とは、町づくりとは時間のかかるものだ。
バリアンの開拓した村は当時のアモロス地方としては革新的な技術が多く用いられた。
しかし、それでも目に見える成果として形になるのは先の話になるだろう。
………………
秋の頃、年中行事の年の挨拶が行われた。
本来ならば新年の行事なのだが、冬の厳しいリオンクールでは秋に前倒しで行われる。
俺はギスギスした家庭の雰囲気にウンザリしており、あまり気が乗らないが……まあ、年中行事だ。
俺やリュシエンヌ、スミナやカティアはルドルフの右隣、左隣にはフロリーアがトリスタンを抱いて立つ。
奇しくも左右に別れた形となり、集まった家来たちも何となく囲炉裏を挟んで左右に別れ、支持者側に立っているようだ。
中立派もいるだろうが、多くはこちら側にいる。
ちなみに俺とトリスタンの支持者は4対1くらいか。
ルドルフがいなければ勝負にもならん。
「今年はバリアンも王都から戻り、トリスタンと……」
ルドルフが挨拶をしているが、内容に精彩がなく要領を得ない。
「では平穏を祝して……」
ルドルフの音頭で皆が杯に口をつけようとした……その瞬間
「お待ちください!」
「飲むな!! 毒だぞ!」
広間の入口あたりで大声が響いた。
見ればデコスとジローだ。
……ジロー? 遅れてきたのか?
家督を継いでからは村の名主業に集中し、表舞台から姿を消していたジローの登場に俺は度肝を抜かれた。
「これをご覧ください!」
デコスが何かを掲げた……首だ。彼は女の首をこちらに投げつけ、フロリーアを睨み付ける。
……あれは、フロリーアの侍女だったか?
その首の持ち主はフロリーアが実家から連れてきたお気に入りの侍女だった。
フロリーアはあまりの事に口元を押さえ言葉を失っている。呼吸が荒い。
「何事だ!? 控えよ!」
ルドルフが怒気を露にし、怒鳴り付ける。
しかし2人は怯まない。
「いや、控えねえっ!! この女が宴会に毒を仕込んだんでさ! 若様! 飲んじゃいけねえっ!!」
ジローが叫んだ。
あまりの内容に周囲がざわめく。
ルドルフのこめかみは怒りで血管が浮き立っている。
皆が集まる行事の邪魔をされたのだ……ルドルフの面子は丸潰れである。
「バリアン、その酒を奴隷に飲ませよ」
ルドルフの指示により、憐れな中年奴隷が毒味役に選ばれた。
彼が選ばれた理由は近くにいたからだ。
怯えた表情で葡萄酒を飲んだ奴隷は、すぐに異変を見せた。
胃の中のものをぶちまけ、呼吸に変調をきたしたようだ。
苦し気に「コヒュウ、コヒュウ」と不思議な呼吸音を立てながら蹲っている。
「毒だ!?」
「バリアン様の杯に毒が!」
「飲むな! 毒が入ってるぞ!!」
場内は騒然となり、皆が杯の中身を床に捨てた。
葡萄酒の臭いが充満し、少し気分が悪くなる。
……出来すぎだ。仕組んだな……
俺は表情を手で隠すリュシエンヌと、顔面蒼白となったフロリーアを見比べた。
フロリーアは顔を真っ青にし、一言も発しない。
恐らくは毒を仕込んだのも暴いたのもリュシエンヌの差し金だ。
しかし、動転したフロリーアがここで何かを言えば立場を悪くするのは目に見えている。
堂々と否定すれば印象は変わるが、今の状態でそれは難しい。
本人もそれが分かっているのか、フロリーアは真っ青な顔で憐れっぽくルドルフにすがりつくのみだ
デコスとジローは堂々としている。こちらは証拠や証人ぐらい事前に用意しているはずだ。
ルドルフは不機嫌そうに席を立ち、フロリーアを連れて姿を消した。
この態度も場内の家臣たちの不信感を煽ったようだ。
ルドルフは意図しなくても、この不祥事の調査を放棄したことは「犯人を庇っている」という印象になり、共に去ったことでフロリーアが犯人のようなイメージを強く残した。
無論、気付くものはこの茶番に気付いているだろうが何も言わない。
「バリアン、父上が退席されたのです。貴方が場を取り仕切りなさい」
リュシエンヌが俺を促した。
……そうか、母上の狙いは俺に父上の代理をさせることか……
リュシエンヌも、いきなりフロリーアを排除できるとは考えていないようだ。
少しづつ既成事実を積み重ね、少しづつフロリーアへの反感を煽る。
実に意地が悪い。
言い方は悪いが『女だな』と感じるやり口だ。
リオンクールの男は俺も含め、ガーッと怒って殴り合えばお仕舞いだ。
俺もフロリーアとトリスタンを除く場合は、もっと「直接的」な手段に出るつもりだった。
だが、リュシエンヌはフロリーアを社会的に抹殺しようとしている様だ。
……でも、ジローがこんなこと……?
俺は不思議に思う。
ジローは典型的なリオンクールの男だ。
どうしても陰謀とは結び付かない。
……まあいい、今は……
「皆、騒がないでほしい。この場にある料理や酒には手を着けるな」
俺は堂々とした態度で料理を下げさせ、急いで新しい酒と料理を運ぶように指示をとばす。
侍女の首も片付けさせた。
そして新しく運ばれた酒を配り、改めて皆に向き合う。
……この芝居に乗らなければ、母上やジローたちの気遣いが無駄になる。それは駄目だ……曖昧な態度は懲りたはずだ。
俺はルドルフの席、すなわち伯爵の席の前に立ち、周囲を見渡す。
「まず先程の粗相を詫びたい。私の不徳でいらぬ騒ぎを起こし、楽しい宴の席を台無しにしてしまった」
俺が「申し訳ない」と詫びると、周囲が少しざわめいた。
彼らが求めるのは強いリーダーである……主君は家臣に謝罪などは滅多にしない。
だが、これは俺の印象を強めるための演出だ。
俺はまだ伯爵では無い。
高圧的に振る舞うよりは謙虚な態度の方が好まれるはずだ。
「だが、私は嬉しい。『我ら』の危機を救ってくれた友人、デコスとジローには感謝を。彼らの勇気は『我ら』に伸びる陰謀の刃をはね除けた……デコス、ジロー、こちらに」
これは『我ら』と言うのが肝だ。
リュシエンヌの小芝居をバリアン派とトリスタン派の対立にすり替えてしまおうという魂胆だ。
俺はデコスとジローを隣に招き、杯を手渡した。
「さあ、勇者たちよ、今日の乾杯は君たちが」
俺の提案をデコスは「恐縮です」と軽く受け、意外とシャイなジローは「うっ」と戸惑った。
これは彼らにとっての名誉になる。
「リオンクールに!」
「若様、いや、バリアン様に!」
デコスとジローが音頭を取ると、皆が『乾杯!!』と唱和し、宴は始まった。
俺はあえて犯人への言及は避け、2人の活躍を称え続けることにした。
下手なことを言えばボロが出る。
「2人とも、母が世話になったな」
俺が水を向けると、デコスはニヤリと笑い、ジローは不思議そうな顔をした。
漫画ならばジローの頭上に「?」が浮かんでいるだろう。
「バリアン様、ジローは私が頼んで助けて貰いました……ジローは実直で裏表がありませんから」
「そうか、そうだな……ありがとうジロー。また助けて貰ったな」
どうやらジローはデコスに巻き込まれただけらしい。
確かに彼と謀は結び付かない……彼が表舞台に立てば陰謀のイメージは薄れるだろう。
俺と親しく、損得抜きで助けてくれる侠気の持ち主でもある。
これはデコスの人選の妙だ。
「若様、間に合って良かった……グスッ」
「泣くなよ、ありがとなジロー。これからも助けてくれるか?」
ジローは「もちろんでさ」とベソをかきながら笑った。
彼は30才を超えているはずだが、まだまだ少年のような若さがある。
つい、俺も釣られてホロリと来てしまう。
しかし、周囲は俺とジローの涙を好ましいモノと見てくれたようだ。
身分を超えた主従の友情などは彼らの大好物なのだ。
この後も宴会は盛り上がり、ただでさえ少ないトリスタンの支持者は多くがバリアン派に鞍替えしたようだ。
実際に数の差と、フロリーアの失態(リュシエンヌの罠だが)を目にして不利を悟ったのだろう。
これ以後、驚いたことにルドルフはフロリーアを連れて別荘に引き籠ってしまい、ますます政治から離れていく。
完全に伯爵としての責務を放棄したのだ……これには皆が呆れ果てるしかない。
このルドルフの極端な行動はリュシエンヌも予想外だったようで、大いに驚いていた。
はじめはルドルフを何とか呼び戻そうと躍起になっていた一部の家臣や庶民も、徐々にルドルフとフロリーアには愛想づかしをしたようだ。
最近では何か悪いことが起こると2人のせいになるらしい。
例えば日照りが続けば「悪領主のせい」、犬に吠えられれば「毒婦のせい」と言った具合だ。
自然とルドルフの従士隊は解散状態となり、そのまま同胞団に入団した者も多い。
実質的にリオンクールの政務を取り締まるのは、俺と叔父のロドリグとなるのに時間は掛からなかった。
……引き籠っているなら、それでいい。むしろ手間が省けた……フフッ、セルフ軟禁かよ……
俺は別荘を監視し、外界との接触を厳しく制限した。
実質、幽閉状態だ。
この政変で、火種は残ったもののリオンクールの後継は俺に一本化された。
領内には根強いルドルフ待望論はあるが、とても主流派とは言い難く警戒するほどの動きも無い。
世間が忘れた頃に「不幸な出来事」があるかもしれないが、それは先の話になるだろう。
ジローは表舞台に復帰し、デコスは俺の謀臣のような立場となった。
この一連の流れは後に「毒婦騒動」と呼ばれることになる。
フロリーアは名君ルドルフを狂わせ、リオンクールを混乱させた傾国の美女として名を残すことになった。
田中の実家のお寺はモデルがあります。農具は展示してませんけども。
ルドルフのイメージモデルは晋の献公。後継問題以外は名君でした。
父ちゃんと甥っ子は火種として温存されました。





