54話 開拓のスタート
今日は2話更新します。
俺が領都の屋敷で暮らすようになり2月ほどが経った。
穏やかなモノである……表面上は。
ルドルフは平素のように政務をこなしているが、完全に気力を失っていた。
何事にも堪え性が無くなり、新しく執事に就任したモーリス・ド・グロートや、親族衆の筆頭である叔父のロドリグに突然仕事を丸投げしたりと周囲を困らせているらしい。
そのくせ強いリーダーシップがあるものだからタチが悪い。
思い付きで命令を下し、上手くいかなければ気紛れに撤回する。
朝令暮改の繰り返しだ。
プライベートでは妙に浮かれ、義理の娘であるフロリーアを連れて山荘に何週間も引きこもったりするのだから周囲も呆れている。
義理とは言え、娘との不倫は多くの良識派が眉をしかめた。
ルドルフの求心力は見る見るうちに低下していく。
明らかにルドルフはおかしくなっており、心療内科に通院が必要なレベルだが、ここアモロス地方ではメンタルクリニックなどは存在しない。
ルドルフの奇行は悪化していった。
ちなみに新しい執事のモーリスはジャンの実兄である。
少し面影はジャンに似ているが、やはり武闘派らしく左目は無い……ウチの執事は隻眼じゃなければいけないルールでも有るのだろうか……?
モーリスは強面だが実直な人柄で、俺と義姉フロリーアの勢力争いには関心を寄せていないのは好感が持てる。
執事職は世襲ではないが、古くからの親族衆であり、有力騎士家であるグロート家の出身者が就任することが多い。
グロート家で執事職のノウハウを蓄積しているのだ。
ちなみにジャンの親父さんはベルジェ伯爵との戦いで戦傷を受け、ひっそりと引退した。
引退の時まで地味な人だったらしい。
一方、ルドルフの奇行の裏で、何やらリュシエンヌは策謀を巡らせているようだが……俺には何も知らされていない。
「策が破れた時に備えてバリアンは知らない方がいい」
「今は開拓に力を入れ、実績を作るべき」
リュシエンヌは俺をこう言って計画すら明かしてくれない。
完全に子供扱いだ。
確かに17才の俺は、多少戦で活躍したが、政治の実績は皆無だ……いや、それどころか女房に逃げられてマイナスからのスタートだ。
これでは半人前扱いされても仕方がない。
俺はリュシエンヌの言う通り、開拓に集中することにした。
家族と言えば、実家に帰っていたスミナはリュシエンヌに説得され、俺の妹のカティアと共に領都の屋敷に入った。
相変わらずリュシエンヌとカティアの仲は険悪だが、これは仕方ない。
互いに触らない様に過ごしているようだ。
スミナが帰ってきてくれたのは良いんだが……どんな説得のされ方をしたのか、帰ってきた時には「女の戦い」に完全に目覚めていた。
彼女はアンドレをスパイにして、俺の動向を探っているらしい。
そして俺は毎日スミナに子種を搾り取られ……いや、まあ、嬉しいけども。
悪いのは俺だし、監視されるくらい別に良いんだよ。
でもさ……あの可愛かった、ベッドで身を固くしていたスミナが……俺の上に乗るようになってしまいチョッピリ複雑ではある。
可哀想なのはアンドレで、俺とスミナとの板挟みになり、胃を痛めたらしい。
普通の女の子だったスミナはリュシエンヌの指導により、俺の下半身を厳しく取り締まった。
実は俺はスミナが帰ってきてから1度だけイタズラをした。
屋敷の召し使いにムラムラきてしまい、ちょっとしたコミュニケーションをアレしてしまったのだ。
若い女が尻をふりふり俺のベッドメイクしてたらつい……って感じだ。そこに他意は無い。
誘ってきた女も俺も、後腐れ無く楽しんでお仕舞いだった。
日本だと浮気とか言われるのかも知れないが、性に大らかで娯楽の少ないアモロス地方では良く聞く話である。
独身の女が多数の男と関係を持ち、妊娠したら「父親を指名する」ことすらあるのだ。
この辺りは日本とアモロスの価値観に大きな差がある。
これがバレた。
どうやら張り巡らされたスミナの監視網に引っ掛かったらしい。
スミナは俺を責めずに召し使いを折檻し、解雇したそうだ。「夫を誘惑するとは何事だ」と怒り狂って。
その様子はアンドレを通じて俺に伝わった。
その後、解雇された女には俺からも少なくない詫び料を届け、俺は屋敷内ではスミナ以外の女は見ないように心掛けている。
なんだか、我が家が息苦しい……早くベルに会いたい。
………………
初夏
リオンクールの地は梅雨が無く、最も過ごしやすい季節と言われている。
俺と仲間たちは開拓の為にリオンクール盆地の北西部を調査していた。
なぜ北西なのかと言うと、いずれ山脈を越え、北北西にあるドレーヌ子爵領との交易ルートを開通させたいと思っているからだ。
ドレーヌ子爵は親戚であり、領地は海沿いの土地だ。
山脈をぐるりと迂回すると距離があり、多くの貴族領を通過する必要がある。
しかし、山脈越えのルートが開通すれば距離はかなり稼げるはずだ。
先ずはリオンクール盆地の北西部に拠点を作り、ある程度の段階で道を切り開く。
海の産物と山の産物を交換すれば互いに利益が出るのは間違いない。
リオンクール盆地の北部には大きな湖があり、東方山脈の雪解け水を水源としている。
豊富な水量は河川を形成し、中央部から北西の渓谷へと流れは続く。
その曲がりくねった流れから肘川と呼ばれる大きな川だ。
肘川はリオンクールに大きな恵みをもたらし、流れの南側は農地が広がっている。
しかしながら北側は土地が僅かながら高く、水利が悪いので農地としては発展してこなかった歴史がある。
故に肘川の北側は空き地が多く、俺たちが開拓することに近隣の地主からも異議は出なかった。
俺たちは肘川の北側、小高い丘に立ち辺りを見渡した。
丘は低い山と言った風情で疎らに低い木々が自生し、湧水もあるようだ。
丘を下ると平野が広がっていおり、少し南に肘川が流れている。
「この丘にしよう。水も湧いているし、守りやすい」
俺の提案にロロやジャンは頷くが、アンドレとタンカレーは渋い顔をする。
「どうした? 何かあるなら言ってくれ」
俺が促すと、タンカレーが口を開いた。
「ここに水が湧いてますが、大した水量じゃないです。これじゃ畑は広がりませんよ……溜池を作るにしても限界はあります」
「そうか、なら肘川から水を引くのはどうだ? 見たところ大した段差じゃなさそうだし……」
肘川の北側は高いと言っても精々が2メートル弱ほどだろう。
しかし、これにはアンドレが反論する。
「無理です、水は低いところから高いところには流れません。汲み上げたり、井戸を掘ることは出来ますが……それでは大規模な農場にはなりません」
アンドレやタンカレーは農家である。
農業に関しては俺よりも経験があり、無視は出来ない意見だ。
「でもさー、守りから見れば此処しか無いだろ?」
「そうですね、周囲の警戒も容易ですし、水が湧いているので城の飲料水にできます」
ジャンとロロの思考は軍事寄りだ。
山にはエルワーニェと呼ばれる山岳民族がいるし、周囲の豪族とモメる事もあるだろう。
守りは堅い方が良い。
「皆の意見は分かった。今回はここに拠点を作り、他に農業に適した候補地が見つかれば広げていこう。タンカレーもアンドレもそれでいいな? 後は……水を上げる事ができるか考えよう。心当たりはあるんだ」
全員が頷き、候補地が決まった。
注文した奴隷は揃っていないが、取り合えずはこの地に住居を作らねばならない。
………………
建物は取り合えず風雨の凌げる掘っ立て小屋から始まり、徐々に奴隷が集まり人手も増えた。
掘っ立て小屋は丘の麓である。
いずれは丘の上に城を築きたいが、今はその時では無い。
徐々に俺の従士になりたいと言った者も増え、一緒に開拓に参加している。
こちらは元ロベールの従士なども含まれており、彼らは恐らくトリスタン派のスパイだが……正直に言って隠し事は無いし、人手は有り難いので受け入れた。
むしろトリスタン派からの支援だとすら思っている。
すぐに全員が寝れるだけの掘っ立て小屋が立ち、湧水を溜めるための溜池も作った。
夏が来る頃には少しずつ開墾がはじまり、平行して揚水装置の開発も開始された。
揚水装置と言えば水車、竜骨車、踏み車、アルキメディアンスクリューなどが思い付く。
この時点で竜骨車やアルキメディアンスクリューは作るのが大変なので却下。
取り合えず水車を作ることにした。
そして、俺はここで皆が水車を知らないことに驚いた。
水車の歴史は紀元前に遡り、古代ローマの文献にも見られる。
しかし、奴隷の労働力が豊富であった古代世界では普及せず、忘れ去られた技術となった。
中世に改めて注目され、製粉や製材にと普及していくことになる。
風車も似たような時期に普及したが、風車よりも安定的に動力が得られるために水車の方がより好まれたそうだ。
河川に浮かぶ船に設置された「舟水車」という形式もある。
この時代のアモロス地方にも水車は無いでもないが、一般的とは言い難く、皆が知らなくても無理は無い。
さて、バリアンに話を戻そう。
まず、固定式の水車を作るために土地ギリギリの所を削り、穴を掘って水を引き入れ、水車を設置した。
水車が回転するように流れを意識して穴を掘ったつもりだ。
水車の製作には領都の大工や鍛冶屋と協力したが、俺しか現物を見たことが無い代物である。
製作は難航し、多額の資金が投入されたがナントカ完成した。
順調かと思われた開拓事業だが、ここで2つ問題が起きた。
1つ目、水車が回転しない。
水流の問題なのか技術的な問題なのかは分からない。
だが、回転はしないのは事実だ。
苦肉の策として急遽手すりをつけ、足踏み式の揚水器「踏み車」に改装したら上手く動いた。
奴隷が交代で踏み車を動かし続けている。
これにより肘川の水を開拓地に引くことに成功した。
以後、長い時間を掛けながら開拓地の平野部には農地が広がることになる。
余談だが、大工と鍛冶屋には技術を秘匿せずに広めるようにお願いしたのだが、残念ながら別口の注文は無かったらしい。
俺の目的は農業の生産力を上げることで、別に誰が開墾しようが構わない。
誰も真似をしようとしなかったのは少し残念だ。
そして2つ目の問題とは……資金難だ。
流石に奴隷やら牛やら農具やらを揃えて飯を食わせていると個人の資産では限界が来た。
俺は金を調達するために、リオンクール伯爵家から借金しまくった。
ルドルフが政務に興味を失っているので、借りたい放題である。
どうせ俺が継ぐ資産だ。
返す気も無いし、自重もしない。
実際は借金じゃなくて横領だな。
リオンクール伯爵領の税金が、俺個人の荘園を作るためにジャブジャブと注ぎ込まれたのだから大問題だが……この失点は資産を管理していないルドルフのモノだ。
俺はルドルフに多額の用途不明金を押し付け、知らん顔した。
実際にルドルフはフロリーアと過ごす豪華な別荘なんかを建てたりしてるので、良い隠れ蓑になったのはラッキーだった。
リオンクールの民は貧乏だ。
追加で税などを取られなくても、伯爵と愛人が贅沢をすれば憎まれる。
今のルドルフはトリスタン派の保護者のような立場にあり、彼の求心力の低下は俺にとっての追い風になる。
ルドルフに敵意はないが、トリスタン派を庇うならば俺の政敵だ。
曖昧な態度は必要ない……俺は全力でルドルフの不利益になるように働いた。
いつの間にかリオンクール中でフロリーアは伯爵をたぶらかし、庶民の税で私腹を肥やす「毒婦」だと言われ庶民の怨嗟の的となった。
これは「誰か」が意図的に流した噂が大きい。
俺が「兄を殺した」と言う噂も僅かに流れたが、ルドルフとフロリーアの関係の方がスキャンダラスであり、俺の噂は広まらなかったようだ。
少しづつ、リオンクールの地に毒が回り、謀略の機は満ちつつあった。
次回はいつも通り昼頃に更新します。
 





