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53話 母の愛

 その後



 俺は何となく屋敷の中をウロウロしづらくなり、厩舎に向かった。


 ……母上には悪いが、1度帰るとするか……


 さすがに独身状態とはいえ、引っ越すには荷物をまとめる必要がある。


 ロロ、ジャン、アンドレ、タンカレー共にそれぞれの家に帰り休暇を楽しんでおり、俺は単独行動になる。


 危険な行動だと思われるかもしれないが、俺はむしろトリスタンの取り巻きを(おび)き出し、八つ裂きにしてやりたいくらいの気持ちだ。


 俺と甥を争わせようとする者がいる。

 そう考えると怒りではらわたが煮えくり返りそうだ。


 俺は余程、恐い顔をしていたらしく、馬番の奴隷が「ヒエッ」と小さく悲鳴を上げた。


 その様子に苦笑し、厩舎に向き合う。

 すると、入り口に描かれた放射状のシンボルマークが目に入った。


 建物の入り口の高いところに太陽を描くことはアモロス地方では割とある。

 これは神の教えの下を潜ると言う意味があるらしい。


 太陽は聖天教会のシンボルマークだ。


 ……そうだ、母上は信心深い方だ……礼拝堂かもしれないな……


 俺は(きびす)を返して礼拝堂に向かった。




………………




 やはり、礼拝堂の中には人影が1つ……母であるリュシエンヌだ。


 俺は驚かさないように、わざと足音を立てて歩く。


 リュシエンヌが振り返り、嬉しげな表情を見せた。


「バリアン……ああ、バリアン!」

「母上、無事に戻りました」


 リュシエンヌと俺は固く抱き合い、互いの無事を確かめあった。

 日本人にはあまり無いストレートな愛情表現だが、悪くはない。


 ……母ちゃんも1回くらい抱き締めてやれば良かった……


 俺は田中だったころの母親を思い出し、少しセンチな気分になった。

 もう、思い出そうとしても霧がかかったように顔が思い出せない……古い記憶だ。


「バリアン、首に怪我をしたの?」

「ええ……薄く裂かれましたが何ともありません」


 リュシエンヌが俺の首筋を撫で、傷痕を確認する。


「バリアン、私は……貴方まで喪う事を考えると……」


 リュシエンヌの顔が曇る。

 老けたな、と感じた。


 やはり母にとって(ロベール)を喪ったストレスは耐えがたいものなのだろう……美しかったリュシエンヌの髪には白髪が混じり、顔は(やつ)(しわ)が増えた。


「母上、私は誰にも負けません。兄上も、アルベールも私と共にあります……負けるはずがありません」


 俺はリュシエンヌを安心させようと強がりを言った。


 実際に俺を殺せるような凄腕はそうはいないと思う。



 しかし、母の反応は思いもよらないモノだった。


「バリアン、何か悲しいことがあったのね?」


 俺はドキリとした。

 母の勘であろうか?


「いえ、その……」

「話してごらんなさい、母の目は誤魔化せませんよ」


 リュシエンヌは「ふふ」と笑った。


 ……これは困った、ここまで言い切られては何かしらの確信があるのだろうが……俺の浮気問題か? それとも義姉(フロリーア)との関係悪化か……?


 いずれにしても言いづらい事この上無い。



 とりあえず俺は俺の浮気をリュシエンヌに白状し、スミナとの取りなしを頼んだ。


 さすがに兄の未亡人や遺児と対立したとは言いづらかったし、何よりスミナとの和平交渉は手詰まりであった。

 今はアンドレを軍使として全面降伏を申し入れている最中だが、スミナは徹底抗戦の構えを見せていたのだ。


 自分の浮気の後始末を母親に頼むのはどうかと思うのだが……今の俺は目的のために手段を選べない。

 領都の屋敷に住むとは「世継ぎ」としての立場を示す事にもなる。

 そこに妻がいない……これは少し問題があるのだ。


『家を治められない者に国を治められるはずがない』


 こう考える者は少なくないだろう。

 嫁に逃げられたのは政治家としての能力の欠如だととられかねない。


 俺はリュシエンヌによる大目玉を覚悟したのだが……意外にもリュシエンヌは俺をあまり叱らなかった。


「バリアン、お相手は誰なの?」

「は、ベルジェ伯爵に仕えていた騎士の娘です」


 リュシエンヌは「ほっ」と息を吐いた。

 安心したという風情ですらある。


「そう、きちんとした家柄なのね……家名は?」

「多分カスタです。その……落城のショックで記憶が混乱したようで、あの、自分の名前すら分からないので……私はベルと呼んでまして……」


 俺はしどろもどろに答える。


 ベルの家名は恐らく「カスタ」で間違いは無い。

 後に調べた結果、城の名前と城主の家名はすぐに判った。


 リュシエンヌは「可哀想な方なのね」とため息をついた。


「ご家族は?」

「討ち取りました……私が」


 俺が答えると、リュシエンヌは「そうだったの」と悲しげに呟いた。


「バリアン、貴方は優しい子だもの……自分を責めて憐れな娘に同情するのは分かるわ……でもね、スミナさんも貴方を待っていたのよ」

「……はい……分かります」


 リュシエンヌは、俺が憐れなベルを保護した後に情を通じたと勘違いしたようだ。

 現実はもう少しアグレッシブだったが……まあ、そこは訂正する必要は無いだろう。


「1度、私がスミナさんとベルさんにお会いしてお話をします。バリアン、貴方の家を守るのは母に任せなさい」

「は? いえ、しかし……」


 俺は戸惑った。

 母親と妻と愛人の三者面談とか、嫌な想像しかできない。


「バリアン、男に男の戦があるように、女には女の戦があるのよ。そこに貴方が(くちばし)を挟んではいけません。それは女が戦場に出るのと同じ、不名誉なことです」


 リュシエンヌはハッキリと俺を嗜め「母に任せなさい」と再度口にした。


 ここまで言われては俺も何も言えなくなる。


「ベルさんはいつこちらに来られるの?」

「は……子供の落ち着く来年にはと考えています」


 少し怖いが、ここに至ればスミナの説得はリュシエンヌに任せよう。

 しかし、言わねばならない事もある。


「母上、1つだけ……私はベルを手離すつもりはありません」


 俺が言い切ると、リュシエンヌは「当然です」と応じた。


「寄る辺の無い貴婦人を飽きたからと捨てるような真似は許しません。責任は取りなさい」


 俺はリュシエンヌの言葉を意外に思いながらも「誓います」と口にした。

 どうやら母にとっては愛人の有無よりも、相手の身分の方が大事なようだ。


 これはこれで1つの価値観なのだろうが、俺は少し違和感を覚えた。

 アモロス王国に来て10年……だが、こうしたことは未だにある。


 リュシエンヌはじっと俺を見つめる。

 その表情は真剣で、少し俺は気圧された。


「バリアン、あなたは父上のようになってはいけません。卑しい女を好み、あまつさえ……近頃はフロリーアを……! あの人は(けだもの)ですっ!! ロベールが、あの子が憐れで……」


 リュシエンヌは「ううう」と俺にしがみつき泣き出してしまった。


 どうやら、ルドルフがフロリーアに手をつけたようだ。


 義理とはいえ父と娘の不倫である……これは大スキャンダルだ。



 さすがに俺も驚いたが、同時に「なるほどな」とも思った。


 俺はフロリーアが俺と伍して対立するのに違和感を感じてはいたが、これで謎は解けた。


 ロベールの死で弱体化した旧ロベール支持者の支援だけで俺と対抗するには少し無理がある。

 しかし、ルドルフとの関係があれば話は別……正に鬼手、(フロリーア)の執念だ。


 俺は大多数のリオンクール人から認められている自信があるが、ルドルフが「世継ぎはトリスタンだ」と言えば引っくり返る可能性は否定できない。

 ルドルフは強いリーダーとして部下から慕われる存在だ……その意向は大きな影響力がある。


 俺はフロリーアの形振り構わぬ姿に、ある種の恐れを抱いた。

 愛する夫を殺され、子供の命を守らんとする女の執念がそこにある。


「ドレルム卿は……?」

「激怒してリオンクールと絶交されたわ……娘を辱しめられたと怒り狂われて」


 俺はため息をついた。

 やはり、ルドルフはロベールの死から何かがおかしい。


 ルドルフは確かに女好きであった、しかし……少なくとも色ボケして友情を蔑ろにするような惰弱な男では無かったはずだ。


 しかも、ドレルム家は先年のベルジェ伯爵との戦いでも少なくない軍勢を出してくれた。

 リオンクール家にとって大切な同盟者だったはずだ。


 そのドレルム家に対しての背信行為を世間はどう受けとめるか……想像するだけで恐ろしい。


 最悪、リオンクールは外交上で孤立するかもしれない。


 外交だけでなく、後継問題も滅茶苦茶だ。

 俺を世継ぎとして屋敷に住まわせつつ、フロリーアを抱いてトリスタンを保護する……これで揉めないはずが無い。


 ルドルフは正常な判断力を失っているとしか考えられない。

 冷たいようだが、あまり関わりたくは無い状態だ。


「母上、私は新しい村を拓きます……そこで共に暮らしませんか? 嵐が過ぎ去るのを待ちましょう」


 俺はリュシエンヌを憐れに思い、父と離れ新たな場所での生活を勧めた。

 そこには屋敷を離れ、全ての失策をルドルフに擦り付けようという俺の打算もある。


「だめよ、貴方が出ていけば(けだもの)たちの思う壺……母に任せなさい。これは女の戦いよ……貴方を……私の子供を蔑ろにさせるものですかッ!!」


 リュシエンヌの怒りは凄まじく、努気で後れ毛が逆立っているのが見てとれる。

 まさに怒髪天を衝くとはこの事か。


 優しい母の目に、狂気に似た憤怒の色を見た俺は気圧された。


 ……母親の執念とはこれ程のものか……


 俺は母親となったベルを想像し、背筋に冷や汗が伝った。


 怖じ気づいた俺をリュシエンヌは優しく抱き締め、甘く囁いた。


「バリアン、私の可愛い子……何も心配しなくていいのよ、私があなたを守ってあげる」



 その声はどこまでも愛に満ち、恐ろしい声だった。



 リオンクールの地で、母の愛がぶつかり合おうとしていた。

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