5話 洗濯板
数週間が経ち、季節も秋を迎えたようだ。
この世界にも四季はあり、なんだかホッとする。
俺は朝食を終え、ぼんやりとロナとロロの姉弟が洗濯をしているのを眺めていた。
2人はバチャバチャと大きな桶で洗濯物を踏みつけている。
しばらく踏み続け、水が黒くなると汚れた水を捨て、井戸から水を汲んで桶に入れる。
こうして見ると、洗濯は中々の重労働だ。
……今はまだ良いが、もう少し寒くなったら大変だろうな……
現代人の俺には、こうした何気ない日常の一つ一つが珍しくて仕方がない。
しばらくすると、2人は俺の視線に気がつき、明らかに警戒感を見せた。
この姉弟は俺が入る前のバリアンに散々に苛められていたらしく、今でも俺を嫌っているのだ。
俺は邪魔をするつもりも無いので振り返り、その場を離れる。
……ちゃんと謝りたいけど、それすらも許されないなんてなあ……
ロナとロロは奴隷であり、貴族である俺が頭を下げるのは問題があるらしい。
今までの俺の価値観はここでは通用しない。
俺は出来るだけこの世界の常識を身に付けようとしているために、他者の忠告は守るようにしているのだ。
……そう言えば、2人は洗濯板は使わないのかな? 足で踏むよりかは効率が良さそうな気がするが……
俺はふと、洗濯板の存在を思い出した。
昔の洗濯と言えば洗濯板のイメージが強い。
絵本の桃太郎とかでも、お婆さんは洗濯板で洗濯をしていたはずだ。
洗濯板は現代でも密かに人気があり、密林通販などでも流通しているアイテムである。
機能面やコスト面、環境面はもちろん、災害に備えるという意味もあったはずだ。
田中の家でもシャツの袖口や靴下などの汚れが酷いときにはシリコン製の小型の洗濯板を使っており、少量の洗濯には大変便利なモノである。
……洗濯板か、機会が有れば作ってもいいかもな。
俺はぼんやりと木製の洗濯板をイメージした。
実は田中は知らなかったが、洗濯板が広まったのは意外と遅く、19世紀のことである。
アモロス王国ではまだ発明されていない。
俺がぼんやりと洗濯板を思い出しているとジローがニヤニヤしながら近づいてきた。
「若様、お悩みですな」
「いや、うん、そうだな」
俺が曖昧に返事をすると、ジローは得意気に何度も頷いている。
「若様、女子と言うのは……」
何やら勘違いしたジローが講釈を垂れているが、俺は完全に無視をした。
何故ならコイツは先程から「今月は犯罪者の処刑があるからロナを誘って見に行け」とか訳のわからないことばかり言っているのだ。
何が悲しくて女連れで鞭打ちや縛り首を見なきゃならんのか理解に苦しむ。
大体、こんな顔の四角い若造に女性の扱いなぞ講釈されたくないぞ。
俺はちゃんと妻子がいたんだからな。
俺はジローを無視して洗濯板の構造を思い出そうとしていたが、見慣れたはずの物でも意外と覚えていないものだ。
洗濯板なんて簡単だって?
材質は木にするにしても、溝の数や深さ、角度をパッとイメージできるかい?
洗濯板の溝は前後が決まっていて緩いU字にカーブが付いてるんだ。
うっかり逆向きに使うと繊維を痛めてしまうので注意して欲しい。
「なあ、ジロー、洗濯でさ……こんな板を使うのって知ってるか?」
俺は地面にガリガリと洗濯板を描いてジローに見せた。
「うーむ……知りません。若様は知らないかもしれませんが、洗濯ってやつはロナがやってるように踏むか、叩くんでさ」
どうやらジローは洗濯板を知らないようだ。
もう少しリサーチをしてみようと思う。
………………
結論を言えば、皆が洗濯板を知らなかった。
リサーチしたのは、ジロー、リンネル師、母ちゃん、適当な家来数名である。
折角なので作ってみようかとジローに相談し、適当な木材と鑿を貸してもらったが、これが中々難しい。
結局は殆どをジローに任せることになってしまった。
ちなみに溝は適当に20とした……こんな感じだった気はする。
2度ほど失敗してしまったが、3度目でなんとかそれっぽいものが完成した。
数日かかったのはご愛嬌だが、ジローは中々器用である。
「それで、このギザギザの板をどう使うんですかい?」
「ああ、ちょっと使ってみよう」
俺たちはロナの母ちゃんに頼んで洗濯物を2枚ほど貸してもらった。
溝のカーブを下に向け、ゴシゴシと擦り付けると黒い汚れが染み出してくるのが分かる。
「こんな感じで洗うんだ……踏んで何回も水を捨てるよりも早いし、水も節約できる」
ロナの母ちゃんに見せると、驚きと疑いの入り交じった表情をしていた。
ジローは「ほえー」と気の抜けた表情でポカンとしていた……あまり理解していないのかも知れない。
「取り合えず使ってみて欲しいんだ……また改良したいから意見が欲しい。あと、使い終わったらカーブを上に向けると乾きやすいから」
俺はロナの母ちゃんに洗濯板を押し付けてその場を去った。
彼女とて娘を傷つけた俺に良い感情は持っていないだろうし、長居はしたくなかった。
「若様、あんなので洗濯が楽になるんですかい?」
「多分な……洗剤とかも改良できたらいいんだけど、ちょっと無理そうだしなあ」
俺は付き合ってくれたジローに感謝し、夕飯時にジローの有能ぶりを親父のルドルフに伝えておいた。
ルドルフは変な顔をして聞いていたが、ジローが7才児に変なことを吹き込んでいるのではないかと疑ったのかもしれない……すまんジロー。
そんなこんなで、俺のアモロス王国での初めての足跡は洗濯板であった。
みみっちいとか言うなよ、このくらいで良いのだ。
有り難いことに洗濯板の評判は上々で、俺とジローはいくつか増産することとなった。
親父のルドルフや母親のリュシエンヌも「よく思い付いたな」と言うくらいの反応で、特に思うところは無かったようだ。
変に目立って俺の正体がバレても面倒臭いので洗濯板くらいの発明(?)が、個人的には丁度良いと思っている。
そもそもこれは頑張っているロナとロロへのプレゼントのつもりなのだ。
あまり洗濯板自体は世間に普及しなかったが、リオンクール家では活躍することとなる。
………………
「あの……若君様」
ある日、ロナが俺に声を掛けてきてくれた。
「若君様のお陰で洗濯が楽になりました。ありがとうございます」
ぎこち無くロナは頭を下げた。
突然のことで俺は少し驚いたが、多分ジローが何か口添えしてくれたのだろう。
「いや、楽になったのなら嬉しいよ。わざわざありがとう……あと、今までゴメン」
俺が小声で謝るとロナは驚いたのか目を大きくしていた。
さすがに人目もあるので頭を下げるのは不味いだろうが、さりげなく伝えたので誰にも聞かれてはいないだろう。要は聞かれなければ良いのだ。
「あのさ、こんな事を言うのは、何なんだけど」
俺は思いきって「友達になって欲しい」とロナに伝えた。
自業自得なのであろうが、バリアンには同年代の友達がいない。
そしてこの屋敷には同年代の子供はロナとロロしかいない。俺は2人と仲良くしたいのだ。
やはりバリアンとして生きていくのに友達が1人もいないのは不自然だし、少し気になる。
それに大人としては、この姉弟が一方的に貴族に苛められた記憶を持ち続けるのも良くないと思うのだ。
「若君様、その、勿体ないです」
「……嫌ならいいんだ、焦ってゴメン」
言ってから気がついたが、考えてみたら雇い主の息子から「友人になろう」と言われて断れないだろう……可愛そうなことをした。
俺が立ち去ろうとすると、ロナが「嫌じゃありません!」と声を張り上げた。
ロナの大きな声を初めて聞いたので少し驚いた。
「私と、ロロにも友達はいません、だから……」
ロナはモジモジと俯いた。
彼女が下を向くと、額の傷が良く見えて俺の心はズキンと痛んだ。
「バリアンって呼んで欲しい。友達だから」
「……はい、バリアン様」
ロナは恥ずかしそうにはにかんだ。決して美形ではないが、笑うと可愛らしい顔をしている。
ふと、人の気配を感じ、振り替えるとジローと他の数名の家臣がニタニタと笑いながらこちらを見ていた。
「良かったですね、若様」
「いや、めでたしめでたしだな」
「はっはっは、若様は女泣かせになりますな」
彼らは言いたい放題にこちらをからかっている。
大人から見れば、子供たちのやりとりは微笑ましくて仕方がないのだろう。
外野にからかわれてロナは俯いてしまった。耳まで真っ赤だ。
だが、精神年齢が40才を超えている俺はこの程度では動じない。
「うん、俺はこんなに可愛い娘と友達なんだぞ。独身のお前には羨ましいだろう?」
俺がジローにドヤ顔をすると、彼らは顔を見合せて大爆笑をした。
俺がアモロス王国に来て早くも3ヶ月……ようやく俺にも余裕が出てきた。慣れてきたのだろう。
ロナとロロとも関係を修復し、1つ胸の支えが下りた気分だ。
余談だが、ジローが提案した「処刑デート」は意外とスタンダードのようだ。
と言うのも、このアモロス王国では娯楽が極端に少なく、鞭打ちや縛り首は一種のスリル溢れるショーとなっているらしい。
処刑が行われる広場には屋台が出るほど賑わうそうだ。
つまり、日本で言うところの縁日デートみたいなモノなのだろう。
やはり郷に入れば郷に従え……疑ってすまなかったなジロー。でも、どう見てもモテそうに無い四角い顔をしてるお前も悪いんだぜ